第1章 嵐を呼ぶ新人おばけ!(二)
シャッ。
厚手の遮光カーテンの隙間から、ほんの少しだけ差し込んでいた夕方の光が、スマートフォンの画面に反射してはじけた。
画面に照らされたのは、美月の顔――けれど、その表情には、何の起伏もなかった。
まばたき、ゼロ。
笑いも、怒りも、困惑すらない。
そこにあるのはただ、青白く照らし出された「顔」だった。
「チーン♪」
通知音が鳴る。
指が、自動的にスッと動く。
まるで、感情ではなく、条件反射で動く機械のように。
目が、わずかにだけ光を帯びる。
けれど、唇は一ミリも動かない。
(……感情、ゼロ。なにこれ)
天井の角に、こっそり張り付くように潜んでいたくるみは、思わず息を飲んだ。
彼女のスマホから流れていたのは――
「誰かのランチ写真」「人気配信者のライブ告知」「動物の鳴き声をアフレコしたショート動画」。
すべて、何かを「楽しませる」ように作られたはずのコンテンツ。
でも、美月の目は、そのどれにも反応しない。
「これって……心が動いてないじゃん」
くるみは、思わずつぶやきそうになるのをぐっとこらえた。
その瞬間――
「ごはんできたよー!」
階下から、母の声が届いた。
でも、美月は何も言わず、イヤホンを耳に押し込んだ。
「ごーはーんー!」
さらに大きな声が続く。でも、美月は、
シャッ。
通知にタップして、指先で動画を切り替えただけだった。
返事はない。顔を向けることもない。
(……無視、じゃない。たぶん……もう、聞こえてないんだ)
くるみの胸に、ひやっと冷たいものが流れた。
そして、そこに感じたのは、どこか自分とよく似た「既視感」。
「――あたしみたいじゃん、これ……」
その呟きと同時に、くるみの足がすこしだけ震えた。
ふと、画面に映った「自分撮り」の顔。
SNSでバズらせるために、笑顔を貼りつけたあの日の顔と、今の美月の顔が、重なって見えた。
「見てないんだよね、誰も」
天井に浮かぶくるみの声は、誰にも届かない。
部屋の中は、スマホの光だけが灯っていた。
「ま、反応ないのは予想通りだけどさ」
くるみは天井からふわりと降りて、美月の部屋をぐるりと見渡した。
ポスターもない。ぬいぐるみも、写真立てもない。
あるのは、教科書とスマホと、押し黙った空気だけ。
「なんかさー……これじゃ「映え」ないんだよねぇ……」
ため息まじりに、自撮り棒をシュッと構える。
「でも、逆に考えれば――「映え」させればいいってことか☆」
くるみの目がキラリと光った。
スマホの中から、自作の「心霊スタンプ」を呼び出す。
半透明の青い手、赤黒くにじむ目玉、ぽよんと浮かぶ謎のスライム。
「ふふ〜、この「ダサかわスタンプ」、今こそ出番じゃん!」
画面をなぞる指がスルスルと走るたび、
ベッドの下から「ゾンビ手」がにょきっ。
天井の隅には「ささやきスライム」。
タンスの引き戸からは「のぞき目玉」。
「映える〜♪ ホラーなのに、ちょっとかわいいってやつ! これ絶対トレンド入りだって!」
彼女のテンションは右肩上がり。
でも、肝心の美月は、まるで見えていない。
それどころか、スタンプの「ゾンビ手」に足が触れても、反応すらしない。
(おかしいな……普通なら、ひと声くらいあげるでしょ?)
くるみは、ちょっとだけ不安になる。
だけど、すぐにその違和感を笑い飛ばした。
「まあ、いいや! だったらもっと攻めなきゃ! 「バズの神様」は、努力する子に微笑むのだ〜!」
くるみは、ピースサインでキメながらスマホを掲げた。
「ミヅキちゃん、あなたの代わりに、あたしが「心を動かす」からねっ☆」
くるみの声は、どこか切なくもあった。
それが「助けるため」だったのか、「見てほしい」だったのか、
この時の彼女には、もうよくわかっていなかった。
翌朝。
美月は、いつもより三分遅く家を出た。
ランドセルではなく、リュックサック。
口はへの字。目は、寝不足で少し赤い。
母は、食卓でトーストをつまみながら声をかける。
「スマホ、持っていかないの?」
……返事は、なかった。
ただ、ドアが「バタン」と閉まる音が、会話のかわり。
三沢市立第三小学校。
校舎の廊下には、朝からざわめきがあった。
「見た? あれ……ガチじゃない?」
「てか、ちょっとやばくない? 呪われるかも」
「なんか「自分で投稿してた」って……怖っ」
美月が教室に入った瞬間、空気が一段下がる。
(……なんで、こんな空気なの?)
わかっているようで、わかっていなかった。
でも、クラスのあちこちから視線が突き刺さる。
「……おはよう」
勇気を出して言った一言にも、返事はなかった。
(もしかして、投稿……見られてる?)
くるみが勝手に仕掛けた「心霊投稿」。
それが、美月のアカウントからアップされたまま、何の説明もなく拡散されていた。
《#部屋に誰かいる》《#天井の顔》《#病みポエム姫》《#見てほしかっただけ》
(ちがう……こんなの、私じゃない)
美月は、心の中で叫んでいた。
でも、声にはならない。
誰にも聞こえない。
そのとき。
「ま〜た、スマホ見てたの? 朝から?」
突き刺すような声が、背後から飛んできた。
振り返ると、そこには母がいた。
保護者会の帰り道、校門近くで出くわしたのだ。
「いい加減にしなさい。学校で問題になってるの、わかってるの?」
「……ちがっ」
「何が「ちがっ」なのよ! 言い訳ばっかりして! ちゃんと説明してよ!」
母の小言は、いつも通り――
でも、今日はその言葉が、違うふうに聞こえた。
(話してないの、私じゃない。聞こうとしないの、そっちなのに)
「……もういい。なにも言わなくていいから」
母は、勝手に話を終わらせて、去っていった。
残された美月は、手の中のスマホをぎゅっと握りしめた。
目の前の世界が、にじんでゆがんだ。
――そして、天井の隅。
ふよふよと浮かぶくるみが、その様子を見つめていた。
(……なにこれ。なんか、変な方向いってない?)
でも、その「違和感」を止めるには、
もう、くるみ自身が「投稿」という波に乗りすぎていた。
夜――
窓の外に吹く風が、木の葉をざわめかせる。
美月は、自分の部屋のベッドに寝転んだまま、天井を見つめていた。
スマホの画面は伏せたまま。
でも、その存在が手のひらにじんわりと残っている。
(もう、なにも見たくない……)
でも、ポケットの中から、小さな通知音が漏れた。
「ピコン♪」
その瞬間、無意識に手が伸びる。
美月は、がばっと起き上がり、画面を開いた。
すると、そこに。
「おかえり〜、見てたよ。ぜんぶ」
と、表示された新着メッセージ。
そこに添えられていた画像は、美月の「心霊投稿」を加工した動画。
《天井からの視線》
《叫ぶ少女》
《#リアルホラー体験記》
再生数、いいね、コメント――爆発的な数字が並んでいた。
「……なんで……」
それは、自分が投稿したものじゃない。
でも、自分の顔、自分の部屋、自分の名前がそこにあった。
(見られたくなかったのに……!)
美月の両手が震える。
そして、叫んだ。
「見てほしくなんかなかった! こんなの、見られたくなかった!!」
その瞬間。
窓の外から、ふわりとくるみが現れた。
「……ううん。あたしは……見てほしかったんだよ」
その声は、いつもの明るいテンションじゃなかった。
カーディガンの袖をぎゅっと握りしめている。
「「いいね」がいっぱいついて、バズって……それが、あたしの全部だと思ってた。でも……なんか、ちがったんだよね……」
「バズったのに……さみしくてさ……」
美月は、その言葉に、ハッとする。
「それ……わたしも、ちょっとだけ……わかるかも」
二人の間に、沈黙が落ちる。
けれど、どこかあたたかい。
くるみは、少し笑った。
「ねえ、美月ちゃん。ほんとうはさ……「いいね」がほしいんじゃなくて、「見てほしい」だけだったんだよね。だれかに、「ちゃんと」」
「……うん」
美月が、かすかにうなずいた。
「もう、自撮りとかスタンプとかじゃなくて、ちゃんと見たいし、見てほしい……声で、気持ちで……」
くるみが、そっと手を伸ばす。
でも、その指先は、美月に触れることはない。
「だからさ……変わってみよう? ほんの、七秒だけでいいから」
その言葉に、美月の瞳が揺れる。
――その七秒が、物語を動かす。
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