第1章 嵐を呼ぶ新人おばけ!(一)

 「だぁぁぁああっ! また赤字ぃ!?」

 

 朝からセンの絶叫が、三沢おばけ社の天井に響き渡った。帳簿を開いたまま、机に突っ伏す経理おばけ。その肩には、伝票がどっさり山積み。


 「ぷる〜ん♪」


 その山の下から、どこか呑気な声が聞こえてくる。伝票をシュレッダー代わりに、もぐもぐしていたのは、半透明スライムのぷるりんだ。


 「ぷるりん! それは経費の証拠書類だぞ! 飲み込むな、吐き出せえぇぇ!」


 センが机をバンバン叩いて騒ぐ横で、古い柱時計が「カーン」と九時を告げた。と同時に――


 「おっはようございまーーーす☆」


 ガラガラガッシャーン!!


 引き戸が吹き飛びそうな勢いで開き、銀髪ボブの少女・くるみが、騎士の槍よろしく自撮り棒を掲げて飛び込んできた。


 「撮影、速攻開始っ☆ Check it out!」


 パシャッ!


 社内が一瞬、白く染まる。目をしかめたセンが、机の角に頭をぶつけた。


 「撮影禁止だと、札に書いてあるだろがァァァァ!!」


 「うわ〜レトロ感、最高! ここ絶対バズるって!」


 くるみはくるくる回りながら、天井の雨漏りのシミすらも「映えポイント」としてパシャパシャ撮影。


 そこへ、もわ〜んと白い煙が立ち上り、宙に浮かぶ浴衣姿のゲン爺が登場。


 「おぬし、何者じゃ?」


 「くるみですっ! 特技はSNSをバズらせること!」


 「ばず……? 爆発系か?」


 「そうそう! 『いいね』の火山がドカーン! って感じ!」


 「ふぅむ……つまり、なんじゃ?」


 ゲン爺が眉間にしわを寄せている横で、センがこめかみを押さえる。


 「社長! こいつはダメです。騒がしいし、危険ですし、うるさいです!」


 「ふふふ、まあまあ〜」

 のほほんと現れたのは、黒のロングワンピースに、薄桜色の羽織をまとった女性だった。

 黒髪ロングに、ほんの少しだけずれた桜色の丸眼鏡。

 胸元には、黒い丸い鈴がひとつ、そっとぶらさがっていた。音は鳴らず、でも、なにか大事なものみたいに見えた。

 小比類巻櫻子――三沢おばけ社の三代目だ。


 「時代はSNSですし〜。バズるって、なんだか花火みたいで素敵じゃないですか〜」


 「社長……また感覚で雇って……!」


 「だって、どんなおばけにも事情ってものがありますから〜。ね?」


 「よろしくお願いしまーす! この社、あたしがバズらせてあげますから!」


 「面白くなりそうだな……」と、センがぼそり。ぷるりんは「ぷるる〜ん♪」、ポチゾンビは「骨タグがうずくワン!」と騒ぎ出す。


 ゲン爺はゆっくり言った。「これは……嵐を呼ぶ新入りじゃのう」


 三沢おばけ社に、新たな風が吹き込んだ瞬間だった。



 その翌朝――三沢おばけ社に、静かな風が吹いた。


 ギィィ……。


 入口の引き戸が、昨日とは真逆のテンポでカラカラと言いながら開く。ためらうように顔を出したのは、黒いコート姿の女性だった。肩をすぼめ、目の下にはくっきりとクマ。片手にはしわくちゃになったチラシ。


 「……あの、「おばけ」を借りられるって、聞いたんですけど……」


 センがすかさず立ち上がる。


 「はい、当社では「恐怖を通じた教育的指導」をモットーに――」


 「ふええ、センさんまた早口営業トーク〜」


 のほほんと社長室から現れた櫻子が、ふらふらと手を振る。


 「ようこそ、三沢おばけ社へ〜。どうぞお入りくださいませ〜」


 女性はコートのすそを握りしめたまま、おずおずと事務所に入った。椅子に腰かけたあとも、うつむいて声が小さい。


 「娘が……最近、全然……私と話してくれなくて……」


 その呟きに、センの背筋がピンと伸びた。櫻子はそっと首をかしげる。


 女性の声は、灰色に濁っていた。


 櫻子には生まれつき、声の揺らぎから『感情の色』を感じとる力がある。祖母は東北でも名の知れたイタコで、櫻子にはその力が少しだけ受け継がれていた。

 といっても、たいして便利なものではない。色が聞こえたところで、その色を塗りかえてあげられるわけではないのだ。


 ただ、この灰色は、ところどころうすい。

 娘の話をするときだけ、その奥に、まだ消えていないものが残っている。


 ――ああ。まだ、ちゃんと好きなんですね。


 櫻子は、女性のほうへ、そっと身体を向けた。


 「もしかして……スマホ、ですか〜?」


 コクン、と小さく頷く女性。


 「食事中も、お風呂の中でも、ずっとスマホばかり。話しかけても「うん」の一言だけで。最近では……通知音としか会話してない気がして……」


 スッ。


 センが黙って分厚い契約書を取り出し、バンッと机に広げた。


 「ございました。「スマホ依存向け・恐怖体験スペシャルパック」。SNSアカウント乗っ取りが可能な上級プランもございます。税込一万円ポッキリ!」


 「いやいやいやいや、営業が怖すぎます〜!」


 「社長! ビジネスはスピードが命です! 迷っている間にライバル社へ行かれては元も子も……!」


 「でも、今回は『こわがらせ』より『気づいてもらう』のが大事かと……。ね?」


 櫻子の視線が、女性にやわらかく注がれる。


 「お嬢さんは、何年生ですか〜?」


 「……六年生です。名前は……美月っていいます」


 ピクン。


 その名を聞いた瞬間。ソファの後ろでスマホをいじっていたくるみの指が止まった。顔が、スマホの青白い光に照らされる。


 「……美月……?」


 その名を、そっと口の中で転がすように呟いたあと、くるみは自撮り棒を握り直して立ち上がった。


 「あたしも、生きてた頃、その名前だったの。名字は違うけど、なんか……引っかかるっていうか」


 事務所の空気が一瞬しんとなる。


 「これは、もしかして……『運命』ってやつですか〜」と、櫻子がふわっと微笑んだ。


 くるみは前に出て、きゅっと拳を握る。


 「社長、その依頼――あたしにやらせてください!」


 「待て待て! お前が出ると絶対騒ぎになる!」


 センが止める間もなく、くるみの背中から、じわじわと黒い霧のような「転送エフェクト」が広がっていく。


 「自撮り棒、準備OK。撮影用アプリ、昨日アプデ済み!」


 「だから勝手に行くなと言っとるんだああああ!!」


 「たまには勢いで行くのもアリでしょ〜?」


 ――その瞬間。


 ピシィィィン!


 ブラウン管のノイズ音と共に、くるみの身体がピクセルに分解され、宙に舞っていった。


 ……しん、と静まり返る事務所。


 母の目が、その様子に釘付けになっていた。


 わけがわからない。

 なのに、なぜか涙が出そうになった。


 「……あんなふうに、誰かのために動ける子が……うちの娘と、似てる気がして」


 母の手が、そっと契約書に伸びる。

 震える指先が、迷いながらも印鑑を押す。


 チリン……。


 やわらかく、澄んだ鈴の音が鳴った。


 櫻子が目を閉じ、ゆっくりと頷く。


 「今のが、『本当の契約』ですね〜」


 センが困惑するように言う。


 「え、でも、対価の話は……まだ……」


 櫻子はにこにこと言った。


 「いただいてますよ〜。『覚悟』、ですね〜。とてもあたたかくて、まっすぐな」


 母は、小さな声でつぶやく。


 「……娘に……ちゃんと向き合いたい、って。……ほんとうに、そう思ったんです」


 「七秒で、充分です〜」


 チリン。


 さっきより少しだけ長く、透き通った音が、社内に響いた。


 ……誰も、言葉を発さなかった。


 ただ、その音だけが、心の奥のなにかを、やさしく揺らした。

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