No.10 四日目・秘書「台風一過のタンクトップ」

台風は夜のうちに過ぎ去り、空は台風一過のお手本みたいな晴天となった。

屋敷を取り囲むように、蝉が大合唱をしている。


ミカの朝顔は今日もコバルトブルーの花を咲かせていて、居間の窓辺から太陽のあたるテラスへ移動させた。

庭の空気は過ぎ去った強風によりかき混ぜられ、生々しい土や植物の匂いが立ち込めている。

葉や小枝も、随分と散らかっているようだ。

テレビによると、雨ではなく風の被害が多く出ているようで、倒木や看板が飛ばされている映像が多数流れていた。


千葉の湾岸にいるマドカさんからは、朝早く執事宛てにメッセージが届いたらしい。


『おはよう。そちらは被害はないですか?こちらのイベントは、特に問題なく今朝から再開です』


どうやら俺たちの身近には、大きな影響が出ていないようで、ほっとする。

朝食後、まずは皆で庭の掃除をすることにした。

ミカもユニを引き連れゴミ袋を持って、落ち葉を拾ってくれるそうだ。


俺は門扉周辺を担当し、竹帚で外を掃いていた。

すると困り顔をした町内会長さんと、お隣の山本さんが通り掛かる。


「おはようございます」


「あぁ、おはようございます。えーと、ハリーの秘書さんでしたよね」


「はい。どうかされたのですか?浮かない顔されてますけど」


町内会長さんは、はぁと溜め息をつき、状況を説明してくれる。


「実は三日後に開催する夏祭りの会場となる公民館前の公園で、倒木があったのです」


「え?それは大変だ。怪我人は?」


「怪我人は無かったのですが、木は公民館に向かって倒れたので、公園も公民館も使えそうにありません」


その話を聞いて、真っ先にミカの顔が思い浮かぶ。

あんな輝いた目で「夏祭り!」と楽しみにしていたのに、中止になったらさぞ悲しむだろう。

ミカだけじゃない、町内の子どもたち皆がショックを受けるはずだ。


「あぁ、そうだわ!私いいことを思いついた!」


突然、副会長をしているという山本さんが明るい声を出す。


「このお庭を夏祭り会場として貸し出していただけないかしら!」


町内会長さんは「それは流石に申し訳ないだろ」と口にしたが、山本さんは「でも他にいいアイデアはありませんよ」と言う。


「ねぇ、どうかしら?」


そう問われても、とてもじゃないが俺に判断できる事案ではなかった。

だから俺は二人に竹箒を預け、執事を呼びに行く。


(主人が留守のこの庭を町内の皆に貸し出して夏祭りを開催するのは、さすがにハードルが高いだろう……。執事だっていい顔をしないはずだ)


執事と一緒にミカもユニも、門扉のところまでやってきた。


「えっ、夏祭りやれないの?」


ミカは寂しそうな顔を山本さんへ向けている。

その表情を見てもなお、眼鏡執事は「それは私にも判断できません」と首を振った。

するとミカが「ママに電話を掛けて」と助け船を出す。


「そう……ですね。マドカさんに伺ってみます」


彼がスマホを操作するのを、皆が黙って見守っている。

呼び出し音がなり、程なくして『はい』と返事が聞こえた。


「もしもし、お忙しいところ大変申し訳ございません。今、お電話よろしいですか?」


『どうしたの?何かあった?』


彼女のハキハキとした声は、横にいる俺にもしっかりと届く。


「いえ、そうではなくご相談なのですが、三日後に町内の夏祭りが行われる予定なのです」


『あぁ、そんな時期ね。懐かしいわ』


「それが昨日の台風で、公民館前の木が倒れてしまったそうで、公民館も公園も使えないらしいのです」


『あらあら』


「今、町内会長さんとお隣の山本さんがいらしているのですが、もしよろしければお庭を会場としてお貸しいただけな……」


『いいわよ』


「へ?」


『いいに決まってるわ。小さい頃、ミカも参加させていただいたお祭りですもの。できるだけ協力してさしあげて』


「は、はい。ありがとうございます」


執事は、見えない相手に丁寧に頭を下げる。


「あ、あの、しかしこの件、坊ちゃんも了承してくださるでしょうか?」


そりゃ執事としては、マドカさんの許可だけでなく、CEOの許可も得たいだろう。


『アナタさ、うちの弟が「そんなの許可できない!」なんて言う子だと思ってるの?』


「いいえ。め、滅相もない!」


『じゃ、OKね。ちょっとブースにお客さんがいらしたから電話を切るわ。あとは任せます。どうぞよろしくね』


「ママー!ありがとう。大好きー」


ミカは切られる寸前のスマホに向かって、大きな声を出す。

こうしてトントン拍子に、屋敷の庭での夏祭り開催が決定した。



我々の夏季休暇が、急に慌ただしくなってきた。

まだ庭の掃除も終わっていないのに、夏祭りに向けての簡単なスケジュールも決まる。


まず、今日の夕方に公民館で行うはずだったバザーの準備を、屋敷の居間に場所を移して行う。

明日の午後は、庭にて盆踊りの練習会。

明後日は、朝から櫓を組み始め、諸々の夏祭り準備。

そして、明々後日が夏祭り当日だ。


となると、ミカが楽しみにしていたプール遊びができるチャンスは限られてしまう。

そう思い、庭の掃除を眼鏡執事に任せ、俺はプールに落ちた葉や枝を片づけた。


そして、プールが綺麗になると、急いで水を溜め始める。

一度に大量の水がゴーゴーと出てくる個人宅とは思えない設備は無事に稼働し、これなら数時間でひざ丈ぐらいまでは水が溜まるだろう。

その間に、俺は愛車でショッピングモールへ行って買い物をし、昼食用に美味いと評判の唐揚げ弁当も購入してくる。

秘書という仕事柄、忙しくなると燃えるタイプなので、段取りを組んでのマルチタスクはお手の物だ。


弁当を食べ終わる頃には、プールに50センチほどの水が溜まっていた。


(よし全ては俺の綿密な計画通り)


待ちきれないミカは、水着の上に長袖のラッシュガードを羽織り、居間で浮き輪を膨らませている。


「あのさ、これ」


俺は、執事にラッピングされた紙袋をぶっきらぼうに渡す。

目敏く見ていたミカがそれを指さし、「わー!プレゼントだ!」とはしゃいだ。


「昨晩トランプで負けちゃったからさ」


「あ、ありがとうございます。こんな綺麗にラッピングされたものをいただけるとは思っていませんでした。開けていいですか?」


「うーん。照れ臭いからさ、俺は先にミカとユニとプールに行っている。だから、それを身に着けたら、アンタもプールへ来いよ」


身につけるとはなんだろう?と首を傾げる執事を無視し、ミカにもビニール袋を渡す。


「こっちはミカにプレゼントだ」


「やったー。あっ、水鉄砲だ!三つもある。これ、すごい遠くまで飛ぶやつだよ。みんなでやろうね」



猛暑日の中、冷たくて気持ちのいいプールで、ミカと遊び始める。

俺は水着がないので、タンクトップに短パン姿。

ユニは水に飛び込む勇気はないようで、プールサイドの木陰にいて、少しの水が掛かるだけで満足のようだ。


しばらくして、ようやく執事が現れた。

いつもはピンと姿勢を伸ばしているくせに、今日はなんだか恥ずかしそうで背筋が丸くなっている。


「うわー!執事のおじさんもタンクトップに短パンだ!」


「よし攻撃!」


俺とミカは、執事の少しダボっとしたタンクトップを目掛けて、水鉄砲を発射する。


「お、おやめください、ミカ様」


「ほら、アンタの水鉄砲だ」


執事に投げて渡せば、彼はそれをキャッチして、俺に向かって速攻撃ち返してきた。

ミカの笑い声だけじゃなく、俺と執事の笑い声も蝉の声に負けじと響き渡る。


午後の太陽光はすさまじい。

プレゼントにより揃いとなった、タンクトップに短パン姿の俺と執事の肌をジリジリと焼く。

普段肌を露出しない執事の肩は、すでに赤くなっていた。


(まさか大人になった今、こうして夢中で水鉄砲遊びができるとは思わなかった。自分の子ども時代をなぞっているような、輝かしくて懐かしい夏時間。これはこれでとてもいい夏季休暇だ)


一時間ほど遊び、プール遊びはお開きとなった。

執事とミカを先に上がらせ、俺は一人プールサイドに残って、ユニの毛を入念にタオルで拭いてやる。

水面も凪ぎ静かになったプールには、蝉の声だけが降り注いでいた。


……ふと、どこからか視線を感じる気がして、キョロキョロと辺りを見渡す。

すると庭と森を繋ぐ柵の向こうで、なにやら怪しい気配が動く。


「おい!誰だ!」


その気配はさっと移動し、なくなった。

ただの見間違えか?

いや、まさかマドカさんの言っていたイケメン・プロレスラーみたいなミカの父親?


夏祭りがこの屋敷で行われ、人の出入りが増えるのならば、今よりももっとずっと執事と連携し、怪しい人影に気を配らねばならない。

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