第35話 聞こえたこと

昼休み。

さくらが席で昼食を取っていると、

少し離れたところから笑い声が聞こえた。


「咲夜くんって、それ好きだよね」


「好きですね。」


さくやの声だった。


昨日も、

似たような会話を聞いた気がする。


さくらは何となく顔を上げた。


さくやの机の上に、

小さなシュークリームが置かれている。


「甘いもの好きなんだ。」

近くにいた同僚が笑う。


「結構好きですよ。」


「意外。」


「そうですか?」


「もっと健康的なものしか食べなさそう。」


「どういうイメージですか、それ。」


笑い声。


さくらも、

少しだけ笑った。


昨日聞き逃した答えが、

分かった。


『甘いものが好き。』


ただ、

それだけだった。


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数日後。

仕事をしていると、

今度は主任とさくやの会話が聞こえた。


「咲夜君、土曜って空いてる?」


「土曜ですか?」


「もし暇なら、例の展示会どうかなと思って。」


「あー、すみません。」


さくやが少し笑う。

「映画行く予定なんですよ。」


「映画?」


「はい。」


「一人?」


「一人です。」


「寂しいな。」


「ほっといてください。」


主任が笑う。

さくやも笑っていた。


さくらは、

キーボードを打ちながらその会話を聞いていた。


『映画。』


一人でも行くんだ。

それも、

知らなかった。

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別の日。

朝から部屋が少し騒がしかった。


「咲夜さん、今日眠そうですね。」

同僚が言う。


「分かります?」


「めちゃくちゃ。」


「朝弱いんですよ。」


「意外。」


「朝から元気な人の方が意味分からないです。」

「馬場さんとかすごいなって思ってましたもん。」


「敵作りますよ。」


「朝なら戦う元気もないんで大丈夫です。」


周囲が笑う。


さくらも、

思わず笑った。


確かに。

思い返してみれば、

朝のさくやは少し静かだった。


話しかければ普通に答える。


でも、

どこか上の空な時がしばしばあった。


昼頃になると、

いつもの調子になる。


『朝は弱い。』


また一つ、

知らなかったことを知った。



どれも、

大した情報ではなかった。


甘いものが好き。

一人で映画へ行く。

朝が弱い。


仕事には、

何の関係もない。


知らなくても、

何も困らない。


それでも、

一度知ってしまうと、

今まで見えていなかったものが、

少しだけ見えるようになる。


休憩中、

さくやの机に甘いものがある。

本当に好きなんだ。


朝、

いつもより口数が少ない。

今日は特に眠そう。

そんなことに、

自然と気づくようになった。


その日の帰り。

さくらは電車の中で、

何となく今日の会話を思い出していた。


仕事の予定なら、

共有スケジュールを見れば分かる。


でも。

こういうことは、

そこには書いていない。


話しているのを聞かなければ、

きっと知らないままだった。



さくらは、

少しだけ不思議な気分になった。

同じ場所で働いていても、

知らないことは、

まだたくさんある。


でも、

今日だけで、

少し減った。


そのことが、

なぜか少しだけ、

嬉しかった。


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