第8話 ひと文字
歓迎会がお開きになる頃には、時計の針は午後十時を回っていた。
「じゃあ、お疲れさまでした!」
「また月曜日!」
店先では、それぞれが帰路につく準備を始める。
昼間から降り続いていた雨は、夜になっても静かに街を濡らしていた。
「結構降ってますね。」
「折りたたみ持ってて良かった。」
「私は傘忘れちゃった。」
笑い声があちこちで上がる。
「じゃあ、また。」
涼子は同じ方面へ帰る社員たちと並び、いつものように明るく手を振った。
「お疲れさまでした!」
「お疲れ!」
その笑い声が雨音に混ざり、少しずつ遠ざかっていく。
気がつけば、店の前にはさくらとさくやだけが残っていた。
「さくらさんも、この駅ですよね。」
「うん。」
「途中まで一緒ですね。」
ただ帰る方向が同じ。
それだけの理由で、二人は肩を並べて歩き始めた。
傘を打つ雨音だけが、静かに続いている。
飲み会の賑やかさが嘘のようだった。
「今日は楽しかったですね。」
「うん。」
「みんな、よく笑ってた。」
「馬場さんのおかげかもしれませんね。」
「そうだね。」
さくらは小さく笑う。
「見てるだけで元気になる人っているんだなって思った。」
「いますよね。」
さくやも笑った。
「僕も、ああいう人はすごいなって思います。」
また少しだけ沈黙が流れる。
けれど、不思議と気まずさはなかった。
駅の明かりが見え始める。
さくらは雨粒が落ちる歩道を見つめながら、小さく口を開いた。
「そういえば・・・。」
「はい?」
「私とさくや君って。」
少しだけ照れ笑いを浮かべる。
「ひと文字違いなんだね。」
さくやは一瞬きょとんとしたあと、自分の名前を小さく口の中で繰り返した。
「さくら……さくや。」
そして思わず笑う。
「……ほんまや。」
すぐに照れたように肩をすくめた。
「あ、また出ちゃいました。」
「ふふ。」
さくらも笑う。
「私は結構前から気付いてた。」
「言われるまで全然気付きませんでした。」
「でしょう?」
「ちょっと悔しいです。」
「何が?」
「先に気付かれたことです。」
二人は顔を見合わせて笑った。
その笑い声は雨音に溶け、静かな夜へ消えていった。
改札の前で立ち止まる。
「じゃあ、また月曜日。」
「はい。」
「お疲れさまでした。」
「お疲れさま。」
さくらは改札を抜け、階段を上る。
途中で一度だけ振り返ると、さくやは改札の前で軽く会釈をしてから、反対方向のホームへ歩いていった。
その姿が人混みに紛れて見えなくなるまで、さくらは静かに見送っていた。
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家へ着く頃には、雨は少しだけ弱くなっていた。
玄関で靴を脱ぎ、部屋の灯りをつける。
静かなワンルーム。
バッグを置き、ソファへ腰を下ろす。
今日の歓迎会を思い返す。
関西弁で笑うさくや。
楽しそうなみんなの声。
そして、改札まで歩いた短い帰り道。
スマートフォンを手に取る。
画面には翌日の予定が表示されている。
土曜日。
その次は、日曜日。
画面を消す。
窓の外では、まだ雨が降っていた。
月曜日まで、あと二日。
たった二日なのに、少しだけ長く感じた。
雨は、いつか止む。
けれど――
この夜が、もう少しだけ続けばいい。
そんなことを思いながら、さくらは静かに目を閉じた。
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