第6話 無口な観察者

その夜、蒼石は眠れなかった。


モニターの前に座り、涼太の会社「響プロモーション」の公開データを何度も見直していた。彼の手元には、過去に契約していたインフルエンサーのリストがある。全部で七人。それぞれが一定のフォロワー数を獲得した後に契約を打ち切られている。


理由は全て同じ。『方向性の不一致』。


蒼石はその言葉の裏にあるものを探すように、さらに深く調べた。すると、ある共通点が見えてきた。契約を打ち切られたインフルエンサーのうち、三人が「契約後に精神的な不調を訴えた」という記事を発見したのだ。本人たちが直接語っているわけではない。ネットの片隅に、ファンが書き込んだ小さな投稿が残っているだけだった。


『A子、事務所変わってから元気なくなったよね。なんか無理させられてる感じ。』


『B美、最近の投稿、全部同じような構図でつまらない。前はもっと自然だったのに。』


『C香、泣きながらライブ配信してた。事務所に何か言われたんだと思う。』


蒼石はそれらの書き込みをスクリーンショットで保存し、一つのフォルダにまとめた。彼の表情は相変わらず無表情だったが、カメラを握る指先はわずかに強張っている。


(……涼太は、由貴も同じようにするつもりだ。)


蒼石はその確信を持ちながらも、どう由貴に伝えればいいのか分からなかった。彼は口下手だ。言葉を選べば選ぶほど、うまく伝わらない。それに、由貴は今や涼太の言葉に夢中になっている。彼のことを疑うようなことを言えば、おそらく由貴は逆上するだろう。


それでも、伝えなければならなかった。


翌朝、蒼石は由貴の部屋のドアをノックした。珍しいことだった。いつもは由貴の方から転がり込んでくるのに、今日は彼が先に動いた。


「……由貴、起きてるか」


「んー……何?」


ドアが開き、寝ぼけた顔の由貴が現れた。

髪はボサボサで、目の下にはうっすらとくまがある。彼女は眠そうに目をこすりながら、蒼石を見上げた。


「……何?朝から珍しいね。何か用?」


「……話がある」


「話?また詩的なキャプションの話?もういいよ、あれは使わないって決めたから」


「……違う。涼太さんのことだ」


由貴の表情が一瞬で変わった。眠気が吹き飛び、警戒したような目つきになる。


「……涼太さん?何かあったの?」


「……彼の会社、過去に何人かのインフルエンサーを契約打ち切りにしている。理由は『方向性の不一致』とされているが、その後に体調を崩した者がいる」


由貴は蒼石の言葉を理解するまでに数秒かかった。そして、彼女は眉をひそめた。


「……何、それ?どこでそんな情報を?」


「……ネットで調べた」


「ネットで調べたって……涼太さんの会社を、ネットで調べたの?」


「……ああ」


由貴はしばらく蒼石の顔を見つめていたが、やがて大きなため息をついた。


「……蒼石、あなた、まさか涼太さんのことを調べてるの?嫉妬?」


「……嫉妬じゃない。事実だ」


「事実って、ネットの情報でしょ?誰が書いたか分からないようなやつ」


「……それでも、可能性はある」


「可能性?何の可能性?」


由貴の声が次第に高くなっていく。蒼石は彼女の目を真っ直ぐに見つめながら、静かに言葉を続けた。


「……由貴が、同じようになる可能性だ」


その瞬間、由貴の顔が一気に紅潮した。


「何言ってるの!?涼太さんは私のことをちゃんと見てくれてる!具体的に褒めてくれるし、データも分析してくれてる!それなのに、あなたはネットの怪しい情報で彼を疑うの!?」


「……由貴」


「もういい!これ以上、涼太さんの悪口を言うなら、私、怒るからね!」


由貴はドアをバタンと閉めた。その音が、蒼石の耳に長く残った。


蒼石はその場に立ち尽くしたまま、しばらく動けなかった。彼は自分の言葉がうまく伝わらなかったことを悔やんだ。もっと違う言い方があったはずだ。もっと優しく、もっと丁寧に、彼女の心に届くように話せばよかった。でも、彼にはそれができなかった。


伝えれば伝えるほど、溝は深まる。


その言葉が、蒼石の頭の中で繰り返し響いた。


その日、由貴は涼太との撮影に出かけた。彼女は蒼石を無視して家を出て行ったが、その背中はいつもより少しだけ小さく見えた。


スタジオで涼太に会った由貴は、すぐに彼の笑顔に包まれた。


「由貴ちゃん、今日も最高の笑顔だね。何か良いことあった?」


「……いや、別に」


「あれ?元気ないね。何かあったら言ってよ」


由貴は少し迷った後、蒼石の話をした。


「……蒼石が、涼太さんのことを調べてるみたいで。ネットで過去の契約者とか見てるって言ってたんです」


涼太は一瞬だけ目を細めたが、すぐに笑顔に戻った。


「なるほどね。彼、心配してくれてるんだ。でも、由貴ちゃん、彼の言うことを真に受けすぎないで。俺は君のことを大切に思ってる。それは、これからの仕事で証明するよ」


「……そうですよね。私も、そう思います」


「それに、蒼石くんは君に『綺麗』と言わない。それは、君を不安にさせるだけだ。彼の『無口な愛情』は、君を傷つけているんだよ」


由貴はその言葉に、胸の奥がチクリと痛んだ。


(確かに……蒼石は『綺麗』と言ってくれない。いつも「いい顔だ」とか「そのままでいい」とか、そういう曖昧な言葉ばかり……)


「さあ、撮影しよう。今日は特別に、俺が直接編集まで担当するよ。君が『最高の自分』を感じられるように、最高の一枚を撮るから」


涼太はカメラを構え、由貴に微笑みかけた。由貴はその笑顔を見て、自分の心が少しずつ癒されていくのを感じた。


その日の撮影は、いつも以上に充実していた。涼太は次々に新しいポーズを指示し、由貴はそれに応える。彼の言葉はいつも具体的で、由貴の心を満たした。


「由貴ちゃん、その角度、本当に美しいよ。まるで絵画みたいだ」


「この光の当たり方、君のために調整したんだ。どう?自分が輝いてるのを感じる?」


「今日の由貴ちゃんは、過去最高に美しい。俺の目には、そう映ってる」


由貴はその言葉を一つ一つ胸に刻んだ。そうだ。自分は美しい。誰かにそう言ってもらわないと、自分でも分からなくなってしまうけれど、それでも――。


撮影が終わり、由貴がスタジオを出るとき、涼太が彼女の肩に手を置いた。


「由貴ちゃん、明日はお休みだね。ゆっくり休んで。でも、一つだけお願いがあるんだ」


「……何ですか?」


「蒼石くんのことは、あまり気にしないで。彼は君のことを理解してない。でも、俺は理解してる。それでいいんだよ」


由貴はうなずいた。その言葉が、彼女の心に深く染み込んでいく。


(蒼石は、私のことを理解してない。涼太さんは、理解してる。それでいい……それでいいはずだ。)


その夜、由貴が家に帰ると、蒼石の部屋の灯りが点いていた。彼女はドアの前で立ち止まり、中から聞こえてくる物音に耳を澄ませた。


ペンが走る音。それから、時折、小さなため息。


由貴はノックしようかどうか迷ったが、結局やめた。自分から話しかけると、また言い合いになる気がしたから。


彼女は自分の部屋に戻り、スマホを開いた。涼太から新しいメッセージが届いている。


『由貴ちゃん、今日の写真、編集終わったよ。

明後日投稿するから楽しみにしてて。それと、蒼石くんに何か言われたら、すぐに俺に連絡してね。君を守りたいから。』


由貴はそのメッセージを読みながら、ふと違和感を覚えた。


(……涼太さんは、どうして蒼石のことをそこまで気にするんだろう?)


その疑問は、すぐに涼太の次のメッセージでかき消された。


『君が笑っていられるなら、それでいい。俺はそれだけを願ってるから。』


由貴はその言葉に、心が温かくなるのを感じた。


(やっぱり、涼太さんは私のことを大切に思ってくれてる。)


彼女はそのまま、涼太のメッセージを読み返しながら眠りについた。


隣の部屋では、蒼石が静かにPCの電源を落としている。彼のモニターには、涼太の会社に関するデータが並んだまま消えていった。


彼は机の引き出しを開け、一冊のノートを取り出した。そこには、由貴の「何気ない瞬間」が細かく書き綴られている。朝の寝ぼけた顔、おにぎりを食べるときの表情、スタジオでスタッフに笑いかける横顔――すべて、彼だけが知っている由貴の姿だった。


蒼石はそのノートを一瞥し、そっと閉じた。


そして、彼は静かに、新しい決意を胸に秘めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録(無料)

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る