『SIDE A:第一章』#01 "発信"
"和彦と祐太郎が見たライブの数ヶ月前"
札幌の朝は、まだ少しだけ音が遅れている。
テレビ局の屋上に出ると、冷えた空気が頬に刺さった。六月だというのに、風はどこか冬の名残を引きずっている。
「……うわあ、まださむーい」
結城美咲(ゆうきみさき)がそう言って笑った。金髪のポニーテールが風に揺れる。
「うん、でも夏が近い気がするー」
鼎(かなえ)まりみが小さく笑う。
ショルダーケースを肩に掛け直しながら、青空を見上げる。
「でもさ、ここから始まるの、ちょっと好きかも」
白坂蒼唯(しらさかあおい)はビルの下を見下ろしながら、静かに言った。
人の流れはまだ少ない。朝の札幌は、どこか優しい。
その少し後ろで、蔡涼歌(さいすずか)は何も言わず立っていた。
風が彼女の黒髪をわずかに揺らす。
誰かが気づく前に、時間だけが一歩先に進んでいくような静けさだった。
⸻
「じゃあ、行きますよー。リハ軽く回して、そのまま本番いきまーす」
スタッフの声が響く。
番組はローカル局の新企画だった。
札幌の若手アーティストを紹介する、いわゆる“朝のバラエティ枠”。
軽い感じでいいから、そう聞いていた。
軽いはずだった。
⸻
スタジオに入ると、空気が変わった。
照明が落ちているわけでもないのに、そこだけ少し密度が違う。
「うわ、なんか……音、詰まってる感じしない?」
美咲が小声で言う。
「反響が少ないだけ。テレビスタジオってだいたいそう」
まりみは即答した。
「へえ、そういうのすぐわかるの、ちょっとかっこいい」
「かっこいいっていうか、機材がそう言ってるだけ」
さらっと返す。
そのやりとりを聞きながら、プロデューサーである倉橋真琴(くらはしまこと)は少しだけ笑った。
この4人は、まだ“ひとつの音になっていない"。
だがそれは、悪い意味ではなかった。
むしろ、これから形が決まる“前の状態”だ。
⸻
「ハイ、それでは今注目のバンド、『Echoes of SIGN@L』のみなさんでーす!」
「じゃあ一応、自己紹介と軽いトークからお願いしますね」
MCが笑顔で言う。
軽快なBGMと共にカメラが回り始める。
赤いランプが点いた瞬間、空気がわずかに締まった。
⸻
「えっと……結城美咲です。ギターやってます。よろしくお願いします」
美咲は少しだけ早口で言って、笑った。
その笑顔で、空気が少しだけ柔らかくなる。
⸻
「鼎まりみです。シンセ担当です」
「……機材とか、好きです」
「それは知ってる人には伝わるやつ?」
MCがすかさず突っ込む。
「伝わる人にだけ伝わればいいでーす」
まりみは笑顔で返した。
スタジオが一瞬だけ笑いに包まれる。
⸻
「白坂蒼唯です。ベースです。……しっかり支えます」
「シンプル!」
MCが笑う。
蒼唯は小さく頷いた。
その“余白の少なさ”が、逆に安心感になっていた。
⸻
最後に、涼歌。
マイクの前に立つまでに、一拍だけ間があった。
「……蔡涼歌です」
それだけだった。
MCが少し困った顔をする。
「えっと……好きな食べ物とかは?」
「特にないです」
短い。
でも、不思議と場が壊れない。
むしろ、そこに“何かが残った”ような感覚だけが残る。
⸻
倉橋(プロデューサー)は、モニター越しにそれを見ていた。
(まだ音が出ていないのに、良いバンドになりかけている。バランス良いし)
そんな違和感にも似た確信があった。
⸻
「じゃあ最後に、少しだけ演奏お願いします!」
「曲は『SIGN@L(シグナル)』です!」
MCの声が上がる。
軽いBGMがフェードアウトしていく。
スタジオの空気が、少しだけ“音楽側”に傾いた。
⸻
当初、演奏依頼があった際、ボーカルだけ生で、他はオケ、いわゆる弾いてるフリだと思っていた。
ところが…生演奏だと聞き、事実、緊張が常時続いている感じだった。
みんな顔を見合わせ、一度頷いた。
美咲がギターを構える。
まりみがショルダーシンセを肩に掛け直す。
蒼唯がケーブルを確認する。
涼歌は、まだ動かない。
⸻
その瞬間だった。
まりみのシンセが、小さく“誤作動”したように音を鳴らす。
「……あれ?」
誰かが言う前に、美咲がその音にコードを合わせた。
蒼唯が遅れずに低音を支える。
そして涼歌が、ほんの一瞬だけ鍵盤に触れた。
⸻
音が、揃っていない。
細かく言うと、
バッキングのシンセの音色がいつもと違っていた。
直前のリハーサルでいじったままの設定。
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…でも、崩れていない。
むしろ、初めて“形になりかけているもの”の音がしていた。
⸻
倉橋は小さく呟く。
「……何か信号が届いたみたいだな」
⸻
誰にも聞こえないくらいの声だった。
でも、その言葉だけが、なぜかスタジオに残った気がした。
⸻
演奏が終わる。
拍手は一拍遅れて来た。
まだ“正体がわからない音楽”に対する、戸惑い混じりの拍手だった。
⸻
美咲が小さく息を吐く。
「……今の、成功なの?」
まりみはモニターを見たまま答える。
「成功かどうかは知らない。でも、記録はされた」
蒼唯は静かに頷いた。
涼歌は、何も言わなかった。
ただ、鍵盤の余韻を見ていた。
⸻
スタジオの外では、札幌の朝がまだ続いている。
何も知らないまま。
でも確かに、どこかで“音が変わった”朝だった。
外へ出た四人。
誰も成功だと思ってない。
それでも……
通りすがりの一人の女性が振り返る。
「あれ?あの子たち……」
その朝のことを、
誰もまだ、特別な出来事だとは思っていなかった。
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