Echoes of SIGN@L

まこてぃ(makoty2016)

『SIDE C:和彦編 ― 拍の中にいる人』

…目覚ましのアラームより早く起きる。

朝から少し何かに勝った感じがする。


早すぎたか…妻も当然まだ起きてはいない。


まぁ、ライブ前の朝は、静かすぎるくらいがちょうどいい。


和彦はそう思っている。


−−−−−


そう、僕の名前は…和彦。42歳。

市役所勤務をしている。


いつの頃からかEchoes Of SIGN@L(略して「しぐえこ」)という女性ユニットにハマっている。


妻には、そのことはまだ知られていない…はずだ。


今日はその彼女たちのライブの日。


−−−−−


さて、目覚めた瞬間から、すでに今日の調整は始まっている。


身体の重さ、呼吸の深さ、心の揺れ方。全部を少しずつ“整えていく作業”だ。


…テレビで天気予報が流れている。

いつものあのツインテールの子ではない。

まだ午前5時、あの子もまだ寝ているだろう。


ただ、天気は関係ない。気分も関係ない。

必要なのは、ただひとつ。


「今日、乱れていないこと」


何がって?すぐにわかるさ。


−−−−−


和彦は外へ出た。


ライブの日の朝、必ず訪れる場所がある。


近くの小さな神社だ。

こじんまりしていて、いつも爽やか。 


今回の一曲目、どの曲で来るかな…

ベースの蒼唯(あおい)さん、また煽ってくるだろうか。


そんなことを考えながら。

やはり神社は落ち着く。


神社に行くのは習慣ではない。

思考回路の“確認”に近いのだ。


手を合わせるというより、

自分の中にある雑音が増えていないかを確かめているだけだった。


お願い等はほとんどしない。


その代わり、感謝だけを置いていく。


今日も元気でありがとう。

ライブ、ありがとう。


−−−−−


昼には食事を整える。

量ではなく質。

満腹ではなく安定。


ライブの日の昼ごはんは"ざるそば"。

これ一択。


身体を軽くするためではない。

“余計な揺れを減らすため”。


−−−−−


和彦は日頃、筋トレを適度に行なっている。

筋トレは自分を追い込むものではない。


むしろ逆で、

一定のリズムを崩さないための反復運動だった。


回数が重要ではない。

ブレないことが重要だった。


"余計な揺れを減らす"="ブレない"


何が言いたいかって?ふふ、直にわかるさ。

「拍」を整える準備、だ。


−−−−−


そして夜。


地下鉄と徒歩で会場に向かう。


駅に着くとトイレに駆け込み、和彦は静かに着替える。


整える。


白い鉢巻き。

紫のタンクトップ。


胸と背中には金色の文字。


――涼歌。


今日も4人に会える。


その中でも、つい目で追ってしまうのが涼歌(すずか)だ。ゆるふわな巻き髪の先がパープルな子。


前回のライブ、涼歌がショルダーシンセを持って出てきたのは驚いた。

いつもは、ちょっとうしろの方で落ち着いて弾いているのに。


自分の自信ある「拍」を見事に撃ち抜かれた…


ちなみにその金文字は装飾ではない。

“位置”なのだ。


自分の中で、その名前がどこにあるかを固定するための印。


今日のライブにおける自分の座標。


みんな、ついてこれているかい?


−−−−−


会場に入ると、すでに音の前段階がある。


ざわめき。足音。照明の気配。


それらは和彦にとって“ノイズ”ではない。

絶対音感があるわけではないが、すべて「拍」の一部だった。


まだ音楽が始まっていなくても、

彼の中ではすでにリズムが流れている。


全てがちょうど良い。

朝の神社も昼のざるそばも、全てこれのためにある。


−−−−−


開演。


ついに来た。


しぐえこの世界に溶け込み、「拍」を作り上げる時が来たのだ。


光が落ちる。


最初の一音が出た瞬間、和彦の中の何かが切り替わる。


やばい、今日もまりみさん、オープニングからシンセでギターのフレーズ弾いてやがる…


しかもあの笑顔…ツインテールでいつも楽しんで弾く姿が可愛くて仕方がない。


おっと。見惚れているわけにはいかない。

“観る側”から、“合わせる側”へ。


−−−−−


彼は踊っているようで、踊っていない。


正確には、音に合わせて動いているのではなく、音の中にある“構造”をなぞっている。


他の人には難しいかもしれない。

ただこれが大事。


キレはある。

でも熱ではない。


崩れない。

でも固くない。


そこには奇妙な安定だけがある。


ベースの蒼唯も安定した弾きっぷりでブレていない。

だから俺もブレちゃいけない。


それこそ、和彦の「拍」なのだ。

もっと極めねば。


−−−−−


周囲の観客とは明らかに違う動き(笑)なのに、

浮いているわけではない。


むしろ逆で、

“この場のどこかに最初から組み込まれていた動き”みたいに見える瞬間がある。


まさかの演出の一部かのように。


だからこそ、誰かの心に強烈に突き刺さるのだ。


妙な動きをする白いハチマキに紫のタンクトップの男性のことが。


−−−−−


あっという間に前半が終わった。


MCに入る際、彼女らは深々とお辞儀をし、観客全体を見回す。


お客さん一人ひとりを感じるように。

みんなが楽しんでもらえるように。


しばらく無言、笑顔、頷き…


そして…ボーカルの美咲(みさき)が、


「みなさん、こんばんは。

…Echoes Of …SIGN@Lです…」


この絶妙な空間から放たれる言葉

そして、SIGN@Lの前の「間」…


もうしぐえこの全てが尊い。


和彦はMCの間も、その独自のリズムを刻む。

4人の声、観客の反応、全てをなぞるように。


−−−−−


美咲がMCで話している間も

とある場所からキラキラと何かが動く。


独特のテンポで。


だが、メンバーはその妙に動くモノを知っている。


知っている…というより、

“毎回、視界の端に必ずいる存在”として認識されていた。


特に理由はないのに、

気づいてしまう位置にいる。


微妙な動きとともに。

「涼歌」の金文字とともに。


でも触れてはいけない。

演奏に集中できなくなるから…


−−−−−


しっとりとしたピアノ主体のバラード。


涼歌がピアノを弾く姿


和彦の本能の動きが止まるほど

その姿には吸い込まれてしまうような美しさがある。


妻にはまだ言えない。

47になって初めて「推し」ができたことを。


しかも涼歌だけではなく、

もう、しぐえこ全てが推しなのだ。


−−−−−


美咲は歌っているときに一瞬だけ思うことがある。


(あの人は、楽しんでるのかな)


でもその問いは途中で消える。


楽しむ、という概念がそもそも適切じゃない気がしたからだ。


彼の動きを乱してはならない、そんな感覚に…いや、そんなわけがない。


こっちが主役なんだから。飲み込まれてたまるか。


−−−−−


その動く存在が、「涼歌」の名前を胸と背中に入れていることを、他のメンバーは誰も指摘しない。


だが、まりみはショルダーシンセを弾きながら、いつも観客席のある箇所だけ違う動きでキラッと光るのが気になっていた。


今日もやっぱり「涼歌」だ…


蒼唯に言うべきか、いや彼女はそういうのツボにハマりやすいし。やめておこう。


だが、彼女たちが気にしたとしても、

和彦にとってそれは目立つための記号ではなく、“整合性を保つための配置”だった。


俺はここで今日も「拍」を奏でている…と。


自分もライブの一部なんだ、と。


−−−−−


ラストの曲


変わったタイトル「十四時」。


前に雑誌のインタビューで見たが、

彼女らが高校の学校祭で、初めて人前で演奏を始めた時間…だったかな。


なんてストーリーだ…泣ける。


あ、す、涼歌が出てきた。え?なんだ?


シルバーのショルダーシンセを肩に掛けて前に出てきた。

これはレアなのだ、涼歌が前に出てくるのは!

また見れるとは!ちょっとまずい!


案の定、和彦の刻みが最後の最後で乱れる。


あぁっ畜生!


和彦は必死に修正を試みる。


"構造をなぞーる…"


いいぞ…落ち着いてきた…


−−−−−


決して乱れてはいなかった。


和彦が乱れたと感じた刻みは、実は周りの観客と一体だったから。


見事な周りとのシンクロ具合、まりみからもそれはハッキリと見えた。


(あっ。ズレてない(笑))


−−−−−


ライブが終わる。


拍手の中で、和彦はすぐには動かない。


余韻を受け取るのではない。

“終わりの拍”を確認している。


音が消えたあとにも、まだリズムが残っていることを知っているからだ。


さらに言えば、最後に乱れてしまった「拍」への反省会も兼ねていた。


拍手、歓声、アナウンス…全てを噛み締める。


まさかあそこで涼歌が出てくるとは。


あぁ、でも来てよかった。

和彦はいつも思う。


この瞬間がたまらない。

次こそは乱されないように。

今度は隣町の神社に行ってみるか。


そう、彼はもう既に次への調整に入っている。


−−−−−


誰かが言う。


「あの白ハチマキの人、やっぱ毎回いるよね」


その言葉は軽い。


でも軽さの中に、少しだけ説明できない重さが混じる。


それはそうだろう。

一人だけ違う空間にいる…和彦の「拍」の深さを知る人は果たしているのだろうか。


−−−−−


お疲れー!

今日めちゃよかった!

涼歌、前出たねー

…ふふっ


メンバーはまた次へ向けて歩みを止めない。


和彦も同じだ。

まぁ、これでまた来週も頑張れる。

しっかりと整えなければ。


しぐえこ、ありがとう。

また来るよ。


そしていつも彼は一番最後に会場を後にする。


…前を歩く青いラガーシャツの青年…学生だろうか。

そう言えばいつも見かける気がする。


「…同類…?」


直感は当たる。乞うご期待。


−−−−−


「ただいま」


家に着いた。


「おかえり。飲み会楽しかっ…え?何その服?」


「あ、あぁ。ち、ちょっとビールこぼしちゃって…

帰り道のドンキで買ってきた!」


「ドジねぇまったく。お風呂沸いてるから」


「あ、ありがとう」


…ふふっ。ごまかしても、もう知ってるんだってば。

あなた…ライブ、行ってきたんでしょ。

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