三の三
わたしは胃が小さい。少なめによそってもらった給食のご飯と肉じゃがをやっと平らげるころには、七波と莉帆が教室前の廊下で待っていた。
「ごめん、待たせた。それで——」
推理するには手がかりが足りないから、と集まったわけだけど、それを調査するためのアテはあるのだろうか。関係のありそうな生徒に聞き込みをするにしても、この時間、誰がどこにいるかを把握するのは難しいと思うし。
そう考えを述べると七波は、都合のいい人がいるから、とさきに立って歩き始めた。
北校舎から左回りに、西校舎の昇降口を過ぎると、そこにあるのは職員室だった。
「失礼しまーす」
七波はノンストップで窓際のデスクに向かっていった。目当ての人物がどこの席かまで知っているらしい。
「先生、お時間いいですか?」
呼びかけられた教員は、あー、と曖昧に答え、作業中だったノートPCを閉じた。顔を上げて相手を確認すると、急に愛想を取り繕って、八幡野さん、と猫なで声で応じる。
「どうしました? 文集に寄稿する気になりました?」
「んー、それはまだ考え中です。今日はお願いがあって来ました」
「お願い、か……」
みるみるやる気をなくし、ぱっちり開いていたまぶたが下がって半目になる。今日もジャージの脚を組んで、背もたれに上半身を預けた。
国語の吉田先生。この人が〈都合のいい人〉らしい。
「お願いならこのまえも聞いたろ? こっちのお願いもさあ……」
もう丁寧語を使うこともやめてしまった。
「少なくとも、三つは願いを叶えてほしいですね」
「わたしはランプの魔人か」
あっけに取られて漫才のようなやりとりを聞いていると、背後にいた莉帆に袖を引かれた。
「どういう関係なんだ? ヨッシーと七波は」
そんなのわたしに訊かれても困る。というか、吉田先生のあだ名はヨッシーなのか。友だちがいないから知らなかった。
「そっちのふたりはどうです? 文集に興味は?」
再度、社交性スイッチオンになったヨッシーが、回転椅子を回転させてこちらに体を向けた。
「いや……なんですか文集って?」
「先生は文芸部の顧問やってるの」七波が口を挟む。「年に二回、文集を発行してるらしいんだけど、今年は部員が少ないからわたしに寄稿してくれないかって」
つまり七波は、弱みにつけ込んで要求を通そうとしているわけか。
「授業やってて思ったんだが、文章書くのが上手いんだよな。だからさあ、お得意のミステリでもミステリ評論でもなんでもいいから書いてくれよお」
ヨッシーはデスクに肘を置いてため息をついてみせた。オンオフの切り替えが激しい。
「この前のお願いっていうのは?」
「通学路について。みんなが避けてる道があるけどなんでなのかって、調べてもらったわけ」
「そうそう。あれさあ、工事について把握してたのは、きょうと——」
ヨッシーは口を押さえてキョロキョロと周囲を見回した。聞かれては困るようなことをいいかけたらしい。
「まあ、ここではなんだから、話があるなら場所を変えようか」
キーラックから視聴覚室の鍵を借り出して、職員室をあとにした。
視聴覚室は南校舎の二階、西の端にある。ヨッシーは鍵を開けてわたしたちを通し、内側から施錠しなおすと、
「あれなあ、ほんとは教頭が把握していて全体に連絡するはずの案件だったわけ。口うるさく小言をいってる暇があったら、自分の仕事をしてくれってなあ」
堂々と愚痴り始めた。
「そんな……いいんですか、生徒の前で?」
「なんだよ、チクるつもりか? そんなことするなら、金輪際〈お願い〉は聞いてやらないからな」
なんとレベルの低い……。とは思うものの、この先生に親近感を覚えつつあるのもまた事実だった。このくらい緩いほうが、生徒との関係を築きやすいのかもしれない。
「本題に入ってもいいですか?」
「はいはい、どーぞ」
不満そうにしながらも、なんだかんだで聞いてくれるようだった。聞いた上で面倒がるのだろうけど。
「歩き回ってるらしいんだよ、石膏像が」
莉帆が代わっていう。と、ヨッシーの反応は予想と違っていた。
「それならわたしも、原さんから聞かされた気がする。あの子はどうもゴシップ好きみたいだから、話半分に聞き流してたけど」
どうやら原瑞稀は、誰彼かまわずいいふらしているらしい。そうなのか、と呟いた莉帆は、やや気落ちしたようだった。自分だけが頼られたと思っていたのだとしたら、少し可哀想ではある。
「知ってるならまあ、話は早いな。どう思うんだ、ヨッシーは?」
「どうっていわれてもなあ。誰かが動かしたんだろうとしか」
「そんなことはわかっているんです」
七波がぴしゃりという。莉帆と違って敬語がちゃんとしているのに、こちらのほうが容赦ない。
「先生には、それが可能だった人物を絞り込んでいただきたいんです。とくに、最終下校時刻——午後六時以降の学校のことなんて、生徒には知りえないですから」
「はあ、なんでわたしが……」
ヨッシーは机に尻を乗せて、うなじのあたりを手で押さえた。
「まず間違いないのは、犯人がいるとすれば、そいつは夜間の学校には入れなかったってことだなあ。いまどきどこの学校でもそうだと思うが、防犯のために警備会社と契約してて、教員がいなくなると防犯カメラや動体センサーが稼働するようになってる。ほら、そこの窓も、窓枠のところに灰色っぽい箱がついてるだろ? それもそれだ」
確認してみると、たしかにそれらしいものが張り付いている。存在が当たり前すぎて、意識してみなければおそらく一生気づかなかっただろう。
「同じようなのが学校中に設置されてる。校内でなにか動くものがあれば、センサーが感知して警備会社に通報がいって、すぐさま警備員が駆けつける。だが、そんな記録はここ数年ない」
「セキュリティがかかってたのは何時からです?」
「正確にはわからんけど、七時ごろだろうなあ。ひと昔前まで教員は長時間の残業が当前だったんだが、いまは逆に、早く帰れって校長がうるさいのなんの。〈働きかた改革〉にご執心でさ、そのくせ仕事の量はほとんど減ってないんだから——」
「閑話休題」
脱線しかけているのを、七波がにべもなく引き戻す。けど、少なくともこれで、石膏像の動いた時間が夜でないことははっきりした。仮に像が自ら動いたのだとしても、動体センサーの感知は避けられない。怪談のベールが、一枚剥がれる。
「朝はどうですか?」
「二日前っていうと、火曜日か。なら、わたしが朝一出勤した日だから覚えてる。開門が七時だから、セキュリティ解除したのがその十分前。そのあとは門のところに立ってたから、早く登校してきた生徒も覚えてる。雨の影響で少なかったが、陸上部が六人と園芸部の東山さん、それから——」
ヨッシーと目があった。
あ、わたしのことも、ちゃんと覚えてるんだ。眠たそうで、生徒になんかまるで関心がないような顔をしていたのに。
「ま、そんなとこだ」
「五時間目と六時間目はどうです? このあいだに動けそうな人に心当たりがあるとか」
「ないね、わたしも授業中だったから。なにか知ってるとしたら教頭かなあ。授業の時間はたいてい校内を歩き回ってるし」
「……仕事もせずに?」
つい無駄な口を挟んでしまった。さきほどの愚痴の件もあるし、教頭ってそれでいいのかという疑問が抑えらなかったのだ。
「いんや。授業の様子を見て回って、校長に報告するのは教頭の仕事だから。わたしはなあ、正当な理由もなしに人を非難したりはしないぞ」
「あ、はい。失礼しました」
己の軽率さを呪うとともに、若干の理不尽も同時に呪った。どうしてわたしはいつもこう……こうなんだろう。
気まずく白けた視聴覚室に、五時間目が迫ったことを知らせる予鈴が鳴った。あるいは、わたしの亡骸を弔う鐘の音かもしれない。
「そういうことだから先生、調査お願いしますね」
七波は一方的に告げ、早々に退室しようと廊下に足を向けた。有無をいわせず要求を飲み込ませるつもりだ。これが世渡りの上手な人間の立ち回りであるなら、わたしも見習わねばなるまい。
二、三秒のあいだ、この世の終わりのような表情をしていたヨッシーだったが、ふいに気を持ち直して、うさんくさいスマイルを顔に貼り付けた。
「わかりました。みなさんも、文集への寄稿、お待ちしてますからね」
「みなさんって、あたしもか?」
莉帆は意外そうに、しかしまんざらでもなさそうに訊き返した。
「新井さんも文章を書くのは苦手じゃないでしょう? 自分の興味がある分野について調べて、簡単な文章にまとめるだけでも結構ですから。赤沢さんは——」
こちらを向いた愛想笑いが、夕刻のアサガオのようにしぼんでいった。
「ま、書いてるうちに上手くなればいいからさ」
……。
ありがとうございます、吉田先生。亡骸に花まで添えてくださって。
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