一の四
わたしの手を握ったまま、七波は昇降口に向かってぐいぐいと進んでいく。
「ちょ、ちょっと待って」
下駄箱の手前まで来て、ようやく七波を立ち止まらせることができた。たいした運動もしていないのに上気しながら、わたしはここぞとばかりに問いただす。
「ちゃんと説明して。なんでわたしは許されたのか。なんでわたしを疑わなかったのか。教科書ってなんのことなのか。結局のところ、犯人は誰なのか」
「そんな一度に答えられないよ」
七波は眉根を寄せて苦笑する。
「じゃあ、どこからでもいい。話しやすいとこからで」
「んー、本当にわからない?」
マイペースに受け答えながら、まだ新しい学校に慣れない様子で、七波は自分の靴を探す。
もどかしく感じながら、わたしは種明かしを待った。考えてみたところで、自分の頭で真相にたどり着けるとは思えないから。
「なら教えてあげる。この事件には、そもそも犯人なんていなかった。鞄にペンケースが入っていなかったのは当然で、その鞄にペンケースが入っているはずなんてなかったんだから」
意味がわからない。禅問答かなにか?
「いやでも、たしかに鞄にしまったって……。目撃者もいるんだけど」
「だからね、柚木さんがテニスコートに持っていったのは、自分の鞄じゃなかったってこと」
自分の鞄じゃなかった? 誰かの鞄を間違って持っていったってことなのか。だけど——。
じゃあ誰の鞄を? と口にしかけたところで、わたしの目は七波の肩から提げられたそれに釘付けになった。
「まさか……」
「やっとわかった? そう、柚木さんが持っていったのはわたしの鞄だった。わたしは図書委員の仕事のために、筆記具だけ抜き出して鞄は教室に置いていったからね。まだ新しい学校生活が始まったばかりだし、席も前後で隣どうしだし、間違えるのもしかたないね」
たしかに、学校指定の通学鞄はまだ新品同然で、自分のと七波のを見比べたって見分けがつかない。座席については、名簿の五十音順で並べられた結果、〈やわたの〉と〈ゆのき〉が前後で隣り合うのも自然なことだった。机の横にかけられていた二つの鞄を取り違えるのも、しかたないことだった。
「けど、ポーチは? 鞄にはポーチが入っていたんだから間違えようがないんじゃ……」
「鞄に入れた順番が違う。ペンケースを入れたのは終礼のとき。ポーチを入れたのは教室を出るとき。それまでは手に持ってたんじゃない?」
教室を出るまでポーチは持っていた。いわれてみれば、それは十分にありえることだった。ポーチには女子特有の小物がいくつも入っているはずなんだから、おしゃべりするあいだも手元に置いておきたい理由がある。そして、教室を出るときに自分の鞄に入れたつもりが、間違って七波の鞄に入れてしまったのだとすると……。
「じゃあ、教科書に名前を書いたか訊いたのは?」
「名前があるなら、さすがに鞄のなかを探したときに気づいただろうから。でも、柚木さんは気づかなかった。ペンケースがないと大騒ぎして教室に引き返してきたところで、ようやく自分の間違いを悟った、ということ」
名前がないのであれば、まだ鞄も教科書も見た目に違いはない。入学から間もないいまだからこそ起こりうる勘違いだったということか。
なんにせよ、佳菜は三人の友だちを巻きこんで失せもの探しをやったあげく自らの過ちに気づいたわけだ。きっと正直にはいい出しづらかっただろう。だから——。
「ゴミ箱にペンケースを入れたのは、佳菜だったってこと?」
「そう、深くは考えずにやっちゃったんだろうね。ゴミ箱から見つかったことにして、ひどいイタズラだね、でごまかそうと。まさか犯人探しが始まって、しかも容疑者が玲愛ひとりに絞りこまれるなんて、思ってもみなかった」
佳菜のあの沈鬱な表情は、被害にあって傷ついたからじゃなかった。わたしが責められている状況に良心が痛み、本当のことを打ち明けるべきかと葛藤したからだった。
「教室ではいま、どうなってるんだろう。嘘をついたと白状したら……」
「さあね。本当に友だちなら、許してもらえるんじゃない?」
あけすけな物言いだけど的を射ているようで、なにもいい返すことがない。
ゆっくり時間をかけて事情を飲みこみながら、わたしは上履きと外履きを入れかえる。
「なにが起きていたかは理解した。けど、なんでそんなこと見抜けたの。わたしにはさっぱりなんだけど」
「なにいってんの。わたしに答えを教えてくれたのは玲愛じゃん」
「わたしが……?」
まったく身に覚えがない。
「桜の花びら、わたしの足もとに落ちてきたんでしょ?」
「そう、だけど」
「わたしは校舎から出てないんだから、花びらがついてたとすれば鞄しかなくない?」
花びらが、鞄について……?
ああ、あの花びらも、わたしの頭に乗っていたのと同じように、鞄に乗せられてテニスコートから運ばれてきたのか。つまりそれは、七波の鞄が教室から持ち出されていたという、動かしがたい証拠であって——。
きっかけの気づきはあったのに、どうしてそこまで頭が回らないかな、わたしは。
七波はひと足先に履きかえて、校舎から出ていった。春風に吹かれてスカートをなびかせながら、大きくノビをすると、
「んーっ、カンペキぃ!」
清々しい横顔でそういった。
見ていて面白いほど、ころころとよく表情が変わる。わたしはそんな七波を、もっと近くで観察していたいと思った。
「ねえ、まだひとつ、答えてもらってない質問があるんだけど」
靴のつま先をとんとんと合わせながら、七波の隣に並ぶ。
「ん、そうだっけ?」
「そうだよ。なんで犯人はわたしだって考えなかったのかってこと」
七波は最初からわたしのことを疑っていなかった。花びらの証拠が見つかったのはずっとあとのことだった。あの状況では、どう考えたって一番怪しいのはわたしだった。じっさい、わたしには盗んで捨てることができたはずだし、アリバイも証明できたかわからないし——。
なによりわたしは〈よそ者〉なんだから。
「いいじゃん、そういう気まぐれがあっても。これはミステリじゃなくて現実なんだから。名探偵も、誰かをしん……」
七波はなにかをいいかけて、口ごもった。一瞬だけ目を泳がせて鼻の頭を掻いたかと思うと、直後には全てを忘れてしまったかのようにけろっとして、足どりも軽く歩いていってしまった。
なにをいいかけたんだろう?
現実だからなんだというんだろう?
狐につままれたような気分になりながら、わたしはおずおずとあとに続く。
と、七波は前触れもなしにくるっと振り返って、今日一番の笑顔を見せた。
「ねえ玲愛、家はどのあたり?」
これが、わたしにとって初めての、ひとりぼっちじゃない通学路だった。
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