一の三
「なにこれ、どういう状況?」
七波のその問いかけに、なぜか四人組は答えなかった。
「いやその、じつは……」
わたしは説明した。佳菜のペンケースが盗まれて、ゴミ箱で見つかったこと。わたしが犯人と疑われていること。わたし以外にできたはずがないこと。それでもわたしはやっていないということ。
「なるほどね。じゃあ方向性を変えて、玲愛がやってないことを証明するっていうのは? いわゆる、アリバイってやつ」
ほお、という吐息とともに、目から鱗が落ちた。
べつに犯人を突き止めなくても、自分がやっていないことを示せればそれでいいのか。当然といえば当然だけど、推理小説を読み慣れていないわたしにはない発想だった。
「まず、玲愛は図書室に向かうとき、どういうルートで向かった?」
その質問になんの意味があるのかはわからなかったけど、わたしはとにかく思い出した。
「えっと、昇降口から校舎に入って、すぐ北側の階段から二階に上がって、三年生の教室の前を通ったけど」
「何時だったか覚えてる?」
「昇降口のとこの時計が四時三十七分だった」
「じゃあ、この教室には近づいてないってことだよね。四十分には図書室にいたって、わたしが知ってるし」
なるほど。仮にわたしがペンケースを盗んでいたとしても、教室に入ることができなかったなら、ゴミ箱に捨てることもできなかったということになる。
わずかだけど、希望の光が見えてきた気がする。
「で、それを証言してくれそうな人はいる?」
「階段の前で教頭とすれ違ったから、もしかしたら——」
そこまでいって、いい淀んだ。
教頭先生がわたしの顔を覚えているか否かなら、否のほうがよっぽど優勢じゃないか。入学三日目の生徒が、無言で俯きかげんにすれ違っただけなんだから。
「じゃあ、教頭先生に確認してみる必要はあるけど、昇降口のほうから来て階段に向かったことは証明できるってことだよね」
「そう、かも」
「わざわざ階段を上がってから、また下りて一階の教室に向かったなんて考えにくいし、時間的にも厳しそう。これで、ほとんど疑いは晴れたといっていいんじゃない? 少なくとも、ほかの容疑者たちと比べれば、ね」
そういうことになるんだろうか。けどそれは、証言が得られると仮定した場合のことで——。
ん? いま、聞き捨てならないことをいわなかった?
「ほかの容疑者たち、っていった?」
「いったけど?」
七波は平然と答えた。というより、なにが疑問なのかわからない、というふうだった。
「それってその、具体的に……」
「いるじゃん、三人も。盗む機会があって、この教室まで来た人が」
しんと静まりかえった。はるか遠くのどこかで、卓球部が球を打つ音が聞こえたほどに。
「おい」しばらく黙って聞いていたみすずが、険をむき出しにしていった。「わたしたちのなかに犯人がいるっていいたいのか?」
わたしでないなら、瀬名みすず、川奈花恋、長尾和、この三名のうちの誰かである。
あまりにも当然の理屈だった。ペンケースを盗む機会があって、わたしの次にテニスコートを出て、ゴミ箱が調べられるより前にこの教室にいたのだから。
「そうとしか考えられないと思うけど」
七波は彼女たちと向き合わず、そっぽを向いてしまった。自分の席まで行って、そこにあった鞄を肩にかけて戻ってきた。これで話はおしまい、といわんばかりに。
「そんなわけない。どうしてわたしたちが佳菜にそんな——」
みすずは不意に口をつぐんだ。不安げな表情になって、花恋と和と交互に見比べて、それから雑念を振り切るように、ゆるゆると首を振った。
「だいたい、教頭がどうのっていうのも、まだ本当かわからないし」
「嘘だと思うなら、訊きにいってみる?」
七波のいいかたに挑発的な雰囲気はなくて、ただ純粋にそれで解決すると信じているようだった。
けど、わたしにとっては嬉しくない展開だ。もし教頭が覚えていなかったら、わたしが嘘をついたことになって、今度こそ追及を逃れられないような気がする。
「——もう、やめない?」
か細い、震えた声がいった。
柚木佳菜だった。ちぢこまって、両手で顔のほとんどを覆って、いよいよいたたまれなくなっている。彼女にしてみれば、友だちのなかに犯人がいるかもしれない、と疑わなくてはならなくなったわけだ。ただでさえ、悪意を向けられたことに傷心しているだろうに。
「でも、それじゃあ——」
なにかをいい返すみすずの声が、だんだん遠のいていくようだった。わたしの脳はもう、これ以上の情報を処理しきれそうにない。キャパオーバーである。
わたしにはわからない。わかりそうもない。誰がやったのかも、どうやったのかも、なぜやったのかも。
おまけにもうひとつ、七波のこともわからない。どうしてわたしを疑わないんだろう。七波からしてみれば、ほかの三人と等しく容疑者なのに。わたしとは、さっき初めて会話したばかりのはずなのに。
感情の読めない横顔を見ていると、視界のはじっこに、小さな白っぽいものがひらひらと舞うのを捉えた。七波の足もとに落ちたそれを、わたしはつい、しゃがんで拾ってしまった。
「ん、どうかした?」
七波が訊くので、
「これ、どっかから落ちてきたから」
手のひらに乗せて見せたのは、ひとひらの桜。
「またわたしの頭から、ってことはないと思うんだけど」
こんなときにくだらないことを、という反応が返ってくるかと思いきや、案に相違して、七波は真剣に花びらを見つめていた。
「ふんふんふん」と鼻を鳴らして、いや、鼻を鳴らすような擬音をいって、曲げた人さし指の第二関節を唇の下に押し当てる。まっすぐに結んだ口のまんなかだけが持ち上げられて、ひらがなの〈へ〉の形になっているのは、さながら猫の口のようだった。
十秒ほど沈黙の間をおいて、七波はおもむろに口を開く。
「わたし、けっこうものぐさでさ、まだ教科書に名前も書いてないんだよね。——柚木さんは、どう?」
突拍子もない、とはまさにこの瞬間のために用意された言葉だった。脈絡というものが完全に欠落していて、わたしの頭には疑問符しか浮かばない。
ついていけないのは、わたしだけではないみたいだった。三人の容疑者たちも、唖然としたような、呆れたような顔をしている。
けど、柚木佳菜は違った。ぐっと息が詰まったように硬直して、それから顔の前にあった両手を下ろして強く袖を握った。わずかに目線を上げて七波を、わたしを見て、首を左右に振った。
「じゃあ、わたしと玲愛は、もう行ってもいいよね?」
これに対しては、静かに頷いた。
「だってさ。ほら、早く帰ろ?」
七波はわたしの手をとって、優しく引いた。そのとき、わたしの掌に乗っていた桜はまた舞って、教室に取り残されてしまった。
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