第8話 武器屋の親父と、最初の買い出し

 《ひよこ隊》が青い魔石を持ち帰った、その日の午後。


 誰も近づかなかったはずのダンジョン入口に、久しぶりに人の気配が戻り始めていた。


《外部個体の接近を検知しました》


《接近人数:2名》


 通知を受けた藤堂直人は、第一室の奥にあるのぞき穴へ向かった。


 草地の向こうから歩いてくるのは、若い冒険者らしい二人組だった。


 片方は短い槍を持ち、もう片方は小さな丸盾を背負っている。入口から少し離れた場所で立ち止まり、暗い洞窟を警戒するように眺めていた。


「ここで合ってるよな?」


「《ひよこ隊》が今日、宝を持ち帰ったって場所だ」


「でも最初の調査じゃ、十二人全員が丸裸で帰ってきたんだろ?」


「今朝は矢が一本しか飛ばなかったらしい。毒も前ほど強くなかったって」


「誰か先に入らないかな」


 二人はしばらく入口を見つめていたが、結局、入ってはこなかった。


「今日は様子を見るか」


「ああ。明日、人が増えてからにしよう」


 そう言って、町の方へ引き返していく。


《接近個体が有効範囲外へ移動しました》


「まだ、入るところまではいかないか」


 直人は落胆しかけた。


 しかし、昨日までとは違う。


 昨日は遠くから見ただけで、誰もが進路を変えていた。


 今日は二人が入口まで確認に来た。


 町の中で、何かが変わり始めている。


《町内期待度:低迷》


《再挑戦見込み:上昇中》


《翌日予想入場者数:4~9名》


「明日は、本当に戻ってくるかもしれないな」


 直人が小さく拳を握ったとき、奥の部屋からリナの泣き声が聞こえた。


「ふぇ……ふえぇ……」


「リナ?」


 急いで寝床へ戻る。


 三体のゴブリンが、リナを囲んで右往左往していた。


 一体は毛布を直し、一体は木皿を差し出し、もう一体は空になった袋を逆さに振っている。


「ギッ、ギッ!」


「分かってる。腹が減ったんだろ」


 直人は山羊乳粉末の袋を受け取った。


 軽い。


 底に残っている粉を指で集めてみたが、一回分にもならなかった。


《山羊乳粉末》


《残量:不足》


「……切れたか」


 昨日の夜から、分量を慎重に計算して使っていた。


 それでも、もともと冒険者一人が携帯していた分しかない。


 赤ん坊を何日も育てられる量ではなかった。


 リナは目を閉じたまま、弱々しく泣いている。


 昨日ほど衰弱してはいない。


 だが、空腹を放置すれば、また同じ状態へ戻ってしまう。


「とりあえず、何か代わりになる物は……」


 直人は倉庫の食料を確認した。


《黒パン:6個》


《乾燥肉:4袋》


《干し果物:2袋》


《携帯スープ:3食》


 どれも、乳児へ食べさせられるものではない。


 携帯スープを薄めることも考えたが、塩分や香辛料が強すぎる可能性がある。


「回復の泉じゃ、腹は膨れない」


 泉の水で体調を維持することはできる。


 だが、栄養は補給できない。


 リナを家族として登録しただけで、食料が自動で生成されるわけではなかった。


「町で買うしかないか」


《所持G:1,400》


 金はある。


 昨日、冒険者たちが落としていった財布から回収したものだ。


 硬貨そのものは、この町で使われている通貨と同じはずだった。


 問題は、直人が町へ出られるかどうかだった。


 見た目は普通の人間である。


 角も翼もない。


 ダンジョンマスターだと名乗らなければ、町へ入ること自体はできるかもしれない。


 だが、異世界へ来てまだ数日。


 町の習慣も、商品の相場も、人の身分証明の仕組みも分からない。


 さらに、乳児用の食料を買えば、当然こう聞かれる可能性がある。


 ――子供はどこにいる。


 ――母親はどうした。


 ――なぜ、見たこともない男が一人で乳を買いに来た。


「説明できないよな」


 町の隣のダンジョンへ捨てられていた子供を保護した。


 自分はそのダンジョンを所有する魔王である。


 今はゴブリン三体と育てている。


 正直に話せば、善意で保護した人間として扱われるより先に、誘拐犯か魔王として拘束されるだろう。


「ギ……?」


 リナのそばにいたゴブリンが、心配そうに直人を見上げた。


「何とかする。乳がないなら、買ってくる」


「ギッ?」


「俺が町へ行く」


 三体のゴブリンが、一斉に大きく目を見開いた。


「そんなに驚くなよ。俺は見た目だけなら人間だ」


「ギギッ!」


 一体が直人の服をつかみ、激しく首を横へ振る。


 危険だと言いたいらしい。


「分かってる。でも、お前たちが行けばもっと危険だろ」


 三体が同時に黙った。


 人間の町へゴブリンが入れば、理由を聞かれる前に討伐される可能性が高い。


 直人なら、少なくとも普通に歩いているだけで襲われることはない。


「昼は目立つ。夕方になってから行く」


 そこまで言ってから、直人は自分の服を見下ろした。


 目を覚ましたときから身につけている、粗末な麻の上下。


 町の人間と比べて極端に奇妙ではないが、かなり貧しい旅人に見える。


 武器もない。


 身分証もない。


「まず、町へ入れるかどうかだな」


 直人は管理画面を開いた。


《ダンジョンマスター活動範囲》


《本体からの安全移動範囲:ダンジョンコアを中心に半径1,000メートル》


《範囲外へ移動した場合、ダンジョン管理機能の一部が制限されます》


「町の東門は範囲内か?」


《肯定》


「市場は?」


《一部が範囲内です》


 町全体を歩き回るのは難しい。


 だが、東門近くの商店街までは行けるらしい。


「管理画面も完全には切れない」


《遠隔管理可能項目》


《侵入検知》


《罠稼働停止》


《所属個体への警報》


《緊急帰還》


「緊急帰還まであるなら、多少は安心か」


 直人はリナを見た。


 泣き疲れたのか、ゴブリンに抱えられながら小さく息をしている。


 今日のうちに食料を手に入れなければならない。


 迷っている時間はなかった。


「俺がいない間は、罠を全部止めておく」


 これから冒険者が来る可能性はある。


 しかし、リナを守る者が減った状態で、攻略者を迎え入れるわけにはいかない。


《入口矢トラップ:停止》


《毒床:停止》


《宝箱:一時休止》


《臨時休業状態へ移行します》


 入口に、簡素な木札が生成された。


《設備調整中》


《本日の攻略受付は終了しました》


「こんな機能もあるのか」


 町の者には、ダンジョンの文字として普通に読めるらしい。


 直人はゴブリンたちへ指示を出した。


「二体はリナのそば。一体は入口を見張れ。誰か来ても中へ入れるな」


「ギッ!」


「危険を感じたら、この警報を押せ」


 壁に赤い光点を設定する。


「押せば俺の管理画面へ通知が来る」


「ギギッ!」


「それから、リナに泉の水を少しずつ飲ませてくれ。腹は膨れないけど、何も飲まないよりはいい」


 三体は真剣な顔でうなずいた。


 直人は財布へ三百Gを入れた。


 千四百Gすべてを持っていくのは危険だ。


 相場が分からない以上、必要以上に金を見せるべきでもない。


「行ってくる」


「ギッ」


 三体の返事に背中を押され、直人は初めてダンジョンの外へ踏み出した。


 草地を町へ向かって歩く。


 これまで、入口から眺めるだけだった場所だ。


 振り返れば、岩肌に開いた小さな洞窟が見える。


 外から見ると、本当にただの穴だった。


 あの中に罠があり、回復の泉があり、ゴブリンが暮らし、人間の赤ん坊が眠っているとは思えない。


「俺の城、外から見ると貧相だな」


 だが、今は外観を気にしている場合ではない。


 町へ近づくにつれて、人の声が大きくなる。


 畑から戻る農民。


 荷車を引く商人。


 薬草の束を抱えた子供。


 直人は無意識に緊張した。


 自分が魔王だと見抜かれるのではないか。


 管理画面が他人にも見えているのではないか。


 しかし、すれ違う人々は直人を少し見るだけで、すぐ自分の仕事へ戻っていった。


 東門には、槍を持った衛兵が二人立っていた。


「止まれ」


 声をかけられ、直人の心臓が跳ねる。


「町へ何の用だ?」


「買い物です」


「どこから来た?」


 直人は一瞬だけ迷った。


「東の街道を歩いてきました。しばらく、この辺りで仕事を探そうかと」


 完全な嘘ではない。


 ダンジョンは、町の東側にある。


 仕事を探しているのも本当だ。もっとも、自分で作る仕事だが。


 衛兵は直人の服装と手元を確認した。


「武器は?」


「持っていません」


「冒険者ではないのか?」


「ええ。雑用でもあればと思って」


「身分証は?」


「失くしました」


 衛兵の眉が動く。


 怪しまれている。


 直人が緊急帰還を意識しかけたとき、もう一人の衛兵が口を挟んだ。


「その格好で盗賊には見えん。東門周辺だけなら通してやれ」


「問題を起こすなよ。日が落ちる前に宿を取れ。野宿は禁止だ」


「ありがとうございます」


 直人は頭を下げ、門をくぐった。


 町の中へ入った瞬間、空気が変わった。


 焼いた肉の匂い。


 鍛冶場から響く金属音。


 呼び込みをする商人の声。


 石畳を走る子供たち。


 数日前まで画面の向こうから眺めていた、異世界の町。


 今、その中を自分が歩いている。


「見物してる場合じゃない」


 直人は東門周辺の店を探した。


 乳児用の食料なら、食料品店か薬屋だろう。


 だが、文字は管理画面の補助によって読めても、店の仕組みまでは分からない。


 どこへ入るべきか迷っていると、通りの角から聞き覚えのある声がした。


「だから、今月中に払うって言ってるだろ!」


「先月も同じことを言ったよな」


「次は絶対に持ち帰る! 今日だって、ちゃんと宝を――」


 声の方を見る。


 小さな武器屋の前で、《ひよこ隊》の剣士が大柄な男に頭を下げていた。


 男は五十歳前後だろうか。


 太い腕に革の前掛けを着け、髭にはところどころ白いものが混じっている。


 店先には剣や盾が並び、奥には鍛冶場らしい炉が見えた。


「その宝ってのが、これか?」


 武器屋の男が、指先ほどの青い魔石を持ち上げる。


「鑑定しても二十Gがいいところだ。回復薬とパンを合わせても、借りた装備代には全然足りん」


「でも、ダンジョンには本当に宝があった!」


「それは分かった。お前たちが嘘をついてないのもな」


 男はため息をつき、剣士の腰にある安物の剣を指した。


「だから、また貸してやったんだろうが。次に失ったら、本当に荷運びからやり直しだぞ」


「分かってるよ」


「分かってない顔だ」


 直人は、少し離れた場所から会話を聞いていた。


 《ひよこ隊》が再挑戦できた理由が分かった。


 この武器屋の男が、装備を貸したのだ。


 昨日奪われた剣や弓の代わりを用意し、もう一度挑戦する機会を与えた。


「で、矢は本当に一本だったのか?」


 武器屋の男が尋ねる。


「ああ。昨日と全然違った」


「毒床は?」


「弱くなってた。足が少し重くなるだけだ」


「罠の故障か?」


「分からない。でも、ちゃんと対策すれば第一室までは行ける」


「ふむ」


 男は腕を組んだ。


 その顔には、冒険者とは違う計算が浮かんでいる。


「つまり、盾があれば矢を防げる。毒も耐えられる。昨日売れ残った小盾が動くかもしれんな」


「親父、商売のことしか考えてないだろ」


「当たり前だ。お前たちが装備を失えば、新しい装備が売れる。持ち帰りに成功すれば、次の客が来る。どっちに転んでも、武器屋には仕事が増える」


「ひどいな!」


「そのひどい武器屋から、無利子で剣を借りてるのは誰だ?」


 剣士が黙り込む。


 男は鼻を鳴らしたあと、少しだけ声を落とした。


「まあ、何も持ち帰れなかった昨日よりはましだ」


 その言葉に、直人は胸を突かれた。


 自分が還元した七十八G。


 ダンジョン経営の数字としては、わずかな額だった。


 だが、その小さな戦利品が、《ひよこ隊》の信用を少し戻している。


 武器屋にもう一度装備を貸す理由を与えている。


 そして今後、盾や薬を買おうとする冒険者が増えるかもしれない。


 町へ返した価値は、持ち帰った品物の価格だけではない。


 次の商売を生み出すきっかけにもなっている。


「おい、そこの兄ちゃん」


 突然、武器屋の男が直人へ声をかけた。


「え?」


「さっきから、店の前で何を見てる」


 気づかれていた。


 直人は慌てて視線をそらしかけたが、逃げれば余計に怪しい。


「すみません。少し聞きたいことがあって」


「武器か?」


「いえ。食べ物を探してます」


「ここは武器屋だ」


「見れば分かります」


「なら、なぜ俺に聞く」


 直人は少し迷った。


 だが、この男は《ひよこ隊》へ装備を貸した。


 口は悪いが、完全に冷たい人間ではなさそうだ。


「乳児に飲ませる山羊乳の粉末を売っている店を知りませんか」


 武器屋の男と《ひよこ隊》の剣士が、同時に直人を見た。


「乳児?」


「はい」


「お前の子か?」


 直人は言葉に詰まった。


 家族として登録した以上、自分の子だと言っても完全な嘘ではない。


「……保護している子です」


「母親は?」


「いません」


「どこで拾った」


 直人の緊張が高まる。


 正直に場所を言うわけにはいかない。


「町の外です」


「ずいぶん曖昧だな」


 男の目が細くなる。


 《ひよこ隊》の剣士も、訝しげに直人を見ている。


 直人は逃げ道を考えた。


 だが、ここで逃げれば、次に町へ来られなくなる。


「本当に、困ってるんです」


 直人は財布から硬貨を取り出した。


「金はあります。山羊乳の粉末と、乳児に使える清潔な布。それを買いたいだけです」


 武器屋の男は、直人の手にある硬貨を見た。


 冒険者たちから回収したものだ。


 偽金ではない。


「その金、どこで手に入れた」


「仕事の報酬です」


「何の仕事だ?」


「……回収と、管理です」


「怪しいな」


「自分でもそう思います」


 直人が答えると、男はしばらく黙った。


 やがて、大きなため息をつく。


「赤ん坊は、今どこにいる」


「町の外です。仲間が見ています」


「仲間?」


「三人います」


「男か、女か」


「……男、というか」


 ゴブリンに性別があるかどうか、直人は知らない。


 答えに困っていると、男はますます怪しむ顔になった。


「お前、本当に誘拐犯じゃないだろうな」


「違います」


「なら、子供を連れてこい」


「それはできません」


「なぜだ」


「まだ弱っていて、町まで運べないからです」


 それは本当だった。


 直人はまっすぐ男の目を見た。


「昨日、死にかけていました。今は少し回復しました。でも、飲ませる物がなくなったんです」


 男の表情から、わずかに険しさが消えた。


「昨日、か」


「はい」


「町の東側で?」


 直人は答えなかった。


 男はしばらく直人の顔を見ていたが、それ以上は追及しなかった。


「待ってろ」


「え?」


「いいから、そこで待ってろ」


 男は店の奥へ入っていった。


 しばらくすると、布袋と何枚かの柔らかい布を持って戻ってくる。


「妻が孫のために買った山羊乳粉末だ。まだ未開封だ」


「売ってもらえるんですか?」


「一袋百二十G」


「買います」


「布は一枚十G。五枚で五十」


「お願いします」


 直人は合計百七十Gを差し出した。


 男は硬貨を数え、袋と布を直人へ渡す。


「薄め方は分かるか?」


「管理……知り合いに聞けば分かります」


「湯を沸かしたら、人肌まで冷ませ。濃すぎても薄すぎても駄目だ」


「ありがとうございます」


「礼はいい」


 男はそう言ってから、直人の財布へ視線を落とした。


「ただし、その子が本当にいるなら、次に町へ来たとき様子を教えろ」


「分かりました」


「それから」


 男は店先に並ぶ武器を指した。


「お前、武器を持ってないな」


「使えません」


「町の外で子供を守るなら、せめて短剣くらい持て」


「剣術はないんですが」


「獣を追い払うだけでも違う。何も持ってない奴は、それだけで狙われる」


 男は棚の下から、鞘に入った短い刃物を取り出した。


 装飾のない、実用品らしい短剣だった。


「中古だ。刃こぼれは直してある」


「いくらですか?」


「本来なら八十G」


 男は直人を見た。


「今日のところは、五十でいい」


「なぜ?」


「赤ん坊の乳を買いに来た男が、帰り道で野犬に食われたら後味が悪い」


 直人は短剣を受け取った。


 ずしりとした重みが手に伝わる。


 戦闘技能のない自分が持っても、強くなるわけではない。


 それでも、何もないよりは心強かった。


「ありがとうございます」


「あと、今度から乳は向かいの雑貨屋で買え。今日はもう在庫がないから、俺のを出しただけだ」


「分かりました」


 直人は、合計二百二十Gを支払った。


《所持G:1,180》


 初めて、Gが減った。


 昨日までは、増える数字だけを見ていた。


 今は、その金が乳と布と短剣へ変わっている。


 Gとは、ただ貯めるための点数ではない。


 町で必要な物を買い、住民を生かすための金だった。


「ところで兄ちゃん」


 帰ろうとした直人へ、武器屋の男が声をかけた。


「名前は?」


「藤堂直人です」


「変わった名前だな。俺はバルガス。この店の主人だ」


「覚えておきます」


「で、ナオト」


 バルガスは、青い魔石を指先で転がした。


「町の外で管理の仕事をしてるって言ったな」


「はい」


「今度、売れそうな武器や防具を手に入れたら持ってこい」


 直人の心臓が一度、大きく鳴った。


 倉庫には、十二人分の装備がある。


 その中には、この店で売られた物もあるだろう。


「買い取ってくれるんですか?」


「物による。ただし、盗品は御免だ」


「……敗走した冒険者の装備は?」


 口にしてから、直人は失言に気づいた。


 バルガスの目が細くなる。


「なぜ、そんな物を持ってる」


「仮の話です」


「仮にしては具体的だな」


 直人は視線をそらさなかった。


 ここで完全にごまかせば、今後の取引はできない。


「ダンジョンから回収された品を扱う仕事をしています」


 嘘ではない。


「持ち主が敗走して、所有権がダンジョン側へ移った物です」


「ダンジョン側?」


 バルガスは黙った。


 《ひよこ隊》の剣士が、直人と店主を交互に見る。


「まさか、あの洞窟の……」


「管理に関わっています」


 直人は、それ以上は言わなかった。


 魔王だとは名乗らない。


 だが、無関係だとも言わない。


 バルガスは青い魔石を机へ置き、腕を組んだ。


「俺が昨日貸した剣の前に、《ひよこ隊》が使ってた装備もあるのか?」


「あります」


 剣士が一歩前へ出た。


「俺の剣も?」


「ある」


「返してくれ!」


 剣士が直人の胸ぐらへ手を伸ばしかける。


 バルガスが太い腕で止めた。


「敗走品の所有権は、ダンジョンへ移る。ギルドの規則だ」


「でも!」


「分かってて入ったんだろ」


 剣士は悔しそうに拳を握った。


 直人は、その顔を見た。


 前なら、規則なのだから当然だと思っただろう。


 今は違う。


 あの剣が、彼にとって単なる評価額ではないことを知っている。


「そのまま返すことはできない」


 直人は言った。


「でも、買い戻せるようにはできるかもしれない」


「買い戻す?」


「ダンジョンから回収された品を、この店へ売る。店が整備して、中古品として販売する」


 バルガスが眉を上げる。


「お前たちが金を貯めて買えば、取り戻せる」


「同じ物を、もう一度金を払って買えっていうのかよ」


「そうなる」


「ふざけるな!」


「でも、倉庫に積まれたままよりはいい」


 直人は静かに答えた。


「俺が持っていても使えない。町へ戻せば、誰かが使える。元の持ち主が買い戻すこともできる」


 剣士は納得していない。


 当然だ。


 しかし、バルガスは別の角度から考えていた。


「所有権が正式に移っているなら、盗品ではない」


 顎髭を撫でながら言う。


「ただし、店へ持ち込むときは来歴を記録する。元の持ち主にも知らせる。黙って売りさばくのはなしだ」


「それで構いません」


「買い取り価格は安いぞ。修理費もかかる」


「分かっています」


「あと、一度に大量には持ってくるな。市場価格が崩れる」


 直人は、その言葉に反応した。


「市場価格が崩れる?」


「当たり前だ。中古の剣を一度に十本も流せば、新品が売れなくなる。鍛冶屋も困る」


 価値還元率だけではない。


 町へ返す品の量や種類まで考える必要がある。


 大量に還元すれば、町が潤うとは限らない。


 既存の商売を壊すこともある。


「勉強になります」


「妙な奴だな」


 バルガスは鼻を鳴らした。


「次に来るとき、まず二、三点だけ持ってこい。俺が見てやる」


「分かりました」


「それから、そのダンジョンの罠」


 バルガスは《ひよこ隊》の木盾を指した。


「矢が一本なら、この程度の盾でも防げる。明日から小盾を店先へ多めに並べる」


「商売が早いですね」


「お前のところが罠を変えれば、町の売れ筋も変わる」


 バルガスは笑った。


「面白いじゃないか」


 直人も、わずかに笑った。


 自分が罠の設定を変える。


 冒険者が対策を考える。


 武器屋が商品を変える。


 その装備で冒険者が再び挑戦する。


 町とダンジョンは、すでにつながり始めている。


「また来ます」


「ああ。赤ん坊の報告を忘れるな」


 直人は山羊乳粉末と布、短剣を抱え、町を出た。


 東門を抜けたとき、管理画面に通知が浮かぶ。


《ダンジョン所属個体に異常なし》


《リナ:空腹状態》


《緊急度:上昇中》


「急がないとな」


 直人は草地を走った。


 レベル一の身体はすぐに息が上がったが、立ち止まる気にはならなかった。


 洞窟へ戻ると、三体のゴブリンが入口で待っていた。


「ギッ!」


「買ってきたぞ!」


 乳の袋を見せると、三体が一斉に飛び跳ねる。


 直人は鍋へ泉の水を入れ、火を起こした。


 バルガスに教わったとおり、湯を人肌まで冷ます。


 山羊乳粉末を適量溶かし、管理画面へ確認する。


《濃度:適正》


《温度:適正》


《摂取可能》


「よし」


 布へ乳を含ませ、リナの口元へ運ぶ。


 小さな口が動き、夢中で乳を飲み始めた。


「ふう……」


 直人は、今度こそ本当に安堵した。


 三体のゴブリンも、リナの周囲へ座り込んでいる。


「町へ行ってきた」


「ギ?」


「怖い場所じゃなかった。少なくとも、すぐには襲われなかった」


「ギギッ」


「それに、取引できそうな武器屋も見つけた」


 直人は短剣を腰へ差した。


「バルガスっていう、口の悪い親父だ」


 リナは乳を飲みながら、小さな手を動かした。


 直人の指を探している。


 差し出すと、また握られた。


《本日のG支出:220》


《購入物》


《山羊乳粉末》


《清潔な布:5枚》


《中古短剣》


《所持G:1,180》


 数字は減った。


 だが、無駄になったわけではない。


 リナの食料になった。


 生活用品になった。


 直人を守る最低限の道具になった。


 そして、町との最初の取引につながった。


「Gは、増やすためにあるんじゃないんだな」


 必要な物へ変え、また稼ぐ。


 町へ流れた金が、武器や食料となって城へ戻る。


 ダンジョンの中だけで資源を抱え込んでも、暮らしは成り立たない。


 直人は、倉庫に積まれた装備を見た。


 明日は、この中から二、三点を選ぶ。


 バルガスに査定してもらう。


 売れたGで、さらに乳や布を買う。


 冒険者が戻れば、DPも増える。


 宝箱から品を持ち帰らせれば、町の期待も上がる。


 少しずつだが、循環が見え始めていた。


《町内期待度:低迷》


《翌日予想入場者数:6~12名》


《周辺店舗動向》


《小盾需要:上昇予測》


《解毒用品需要:上昇予測》


「店舗動向まで出るのか」


 今日、バルガスが言っていたことが、そのまま数字になっている。


 矢を一本にしたことで、盾を使えば防げるという情報が広まった。


 毒床が残っているため、解毒用品も売れる。


 直人の罠設定が、町の商売を動かしている。


「俺がダンジョンを変えると、町の店も変わる」


 これまで、町は客の供給源としか見ていなかった。


 だが、町には武器屋があり、薬屋があり、食料品店がある。


 冒険者が損をすれば、彼らも影響を受ける。


 冒険者が成功すれば、対策用品が売れる。


 そして直人たちも、町の商品がなければ暮らせない。


「城だけ儲かればいいって話じゃないな」


 リナが乳を飲み終えた。


 直人は柔らかい布で口元を拭い、毛布へ寝かせる。


 少女は満足そうに目を閉じた。


「今日は、ちゃんと食べさせられた」


「ギッ」


「明日も何とかする」


 三体のゴブリンが、揃ってうなずいた。


 その夜。


 ダンジョンの倉庫では、ゴブリンたちが翌日町へ持っていく装備を選んでいた。


 錆びの少ない剣。


 壊れていない革の籠手。


 未使用の道具袋。


 一度に大量へ流せば、町の商売を壊す。


 だから、最初は三点だけ。


 直人は品物の横へ、元の所有者と回収日を書いた紙を置いた。


「来歴を記録する。黙って売らない」


「ギ」


「持ち主が買い戻したいなら、店を通して買えるようにする」


「ギギッ」


 初日に十二人から奪った戦利品。


 それは今まで、直人の利益として倉庫に眠っていた。


 だが、町へ戻せば新しいGになる。


 冒険者へ戻れば、次の挑戦を生む。


 武器屋が整備すれば、町の仕事にもなる。


 価値は、奪って抱え込むだけでは増えない。


 動かして初めて、次の商売につながる。


 直人は明日の販売品を確認し、管理画面を閉じた。


「ダンジョン経営って、罠を置くだけじゃないんだな」


 入口では冒険者を迎える。


 奥では魔物が働く。


 町では商人と取引する。


 そのすべてを回しながら、リナを育てる。


 最弱魔王の仕事は、少しずつ増え始めていた。


 そして翌朝。


 昨日まで静まり返っていた入口の前には、盾や解毒薬を手にした新人冒険者たちが、列を作り始めることになる。

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