第9話 海越え
十組の旅団を乗せた船は予定通り正午頃、軽快にツィア島を出港した。
潮風に誘われてどこまでも、白い波を殴り返しながら船は進んでいく。
ツィア島で雇った船乗りが言うことには、沿岸で魔獣の襲撃に遭わなかったこともあり、かなり順調な船出であるそうだ。
エンディミオはと言えば、他の同乗者の荷運びや魔獣退治の手伝いに行ってしまった。どうやら今回の同乗者達は商人が多かったようで、積み荷の整備が不十分であったらしい。
「(……私も手伝うって言ったのに)」
正体を悟られては元も子もないでしょう、今は大人しくしていてくださいの一点張りで、追い返されてしまった。
仕方がないので私は邪魔にならぬよう、一人、船縁に身を凭れている。
目を閉じれば波音の合間に、船上を走る怒声と、上空を鳴き交わすウミネコの声が聞こえた。
――やることがない。
やれることはあるのに全然やらせてくれない、とも言う。
こっそり他の同乗者に何か手伝えることはないかと聞いてみたけれど、「子どもの仕事は遊ぶことさね」と笑って断られてしまう。中にはおやつにお食べ、と積み荷から柑橘や蜂蜜をくれる人たちすらいた。
みんなが忙しくしている中、暇を持て余した私の遊び相手はといえば猫くらいのものであった。
彼女の名前はブラッキー。聞けば、この海越えを請け負った船乗りの飼い猫らしい。右後ろ足に白靴下を履いた黒猫で、船の揺れなど意にも介さず、甲板を我が物顔で歩いている。
そんなブラッキーが貰った柑橘にじゃれつく姿を、私はぼんやりと眺めていた。
暫くそうしていると、甲板を踏む軽やかな足音が聞こえてくる。次の瞬間、首筋に冷たいものが触れる。
「うわっ……! クロエ、それにベルナお姉さん。びっくりさせないでよ」
振り仰いだ先にあったのは茶目っ気たっぷりに笑うクロエと、後ろで困り眉になりながらも微笑むベルナの姿だった。
「ごめんごめん! ここに居たんだねミーシャ、探したよ。というかどうしたの、船酔い? 体調悪い?」
「ううん。エンディミオが『今日は積極的悪役令嬢業はお休みです』って」
「え? なに? なんだって?」
要は余計なことをするな、である。
事件を解決し、かっこよく人々を助けるターンは暫くお休みなのだった。
「それで、今のは……氷?」
「せいかーい! みんな頑張ってくれてるからさ、差し入れに氷水でも振る舞おうと思って。聞いて驚きなよミーシャ。ベルナ姐さんは氷魔法が大得意なんだから!」
「大袈裟よ、クロエ」
航海の発展は魔術の成長と共にあった。
航海に於いて最大の問題は水と食料だ。天候に恵まれなければ水不足になり、風向きに恵まれなければ飢餓に直面する。
水、食料、風――それらの問題を魔術が解決するとともに、帝国は大航海による豊かな発展を遂げた。
……とはいえまだまだ魔術師は貴重な存在。航海のためにわざわざ呼び寄せることもよくあった。
「船員全員分作るのか?」
「ええ。私は量は作れるけど大きいものを作るのは苦手だけど、変わりに量を作ることはできるの。この程度のサイズの氷なら全員に行き渡る量を作れるわ」
「アタシたちは旅芸人だからさ、積み荷もまあまあ多いワケ。でも他の商人達みたいに積み荷からお礼をってのは難しいでしょ? ならせめて氷水をって話になったの。こんなに暑いんだもん、みんな喉が渇いてるよねって」
なるほど、それは確かに助かるだろう。ただでさえ暑い海の真上で肉体労働をしているのだから、氷水は天の恵みよりも甘いはず。
「折角なら氷水よりもいいものを作ろう」
「氷水よりいいもの……?」
立ち上がった私が向かったのは、先ほど声をかけた同乗者だった。
おやつに柑橘を、と譲ってくれた果物売りの夫婦は丁度自分たちの作業が一段落したところだったようで笑顔で出迎えてくれた。
「柑橘を売って欲しい? そりゃいいけど」
「ありがとう、これで足りる?」
渡した銀貨を数えながら、彼らは不思議そうに首を傾げた。
「うん……よし、十分だね。それにしてもそんなに柑橘を買ってどうするんだい? 食べるのかい?」
「それはもう少しあとのお楽しみだな」
購入した柑橘を布に包み、ベルナと協力して甲板に戻る。戻った先では、手分けして材料収集をしていたクロエがぶんぶんと手を振っていた。
「ミーシャ、言われた通り商人達から蜂蜜と塩を買ってきたよ。……それで、これをどうするの? 蜂蜜漬け……にはちょっと時間が足りないよね」
「蜂蜜漬けも美味しいけど、今日はジュースを作ろうと思って。ベルナ、コップに水を出して。そうだな……八分目くらいかな」
わかった、と頷いてベルナがコップに手を翳す。すると間もなく泡沫を抱きながら水がコップの中に溢れ出した。
私はその水に柑橘の絞り汁を小さじ一杯、蜂蜜を小さじ2杯、塩をひとつまみ加える。
「後はスプーンで底から丁寧にかき混ぜて、氷で冷やせば……『スポドリ』の完成!」
「ふーん、レモネードみたいな? 美味しそうだね、それ」
味見をどうぞと2人に差し出せば、まずはベルナ、次にクロエの順で口をつける。
嚥下する音ともに2人の目が丸くなった。
「……甘いわ!」
「ほんとだ、甘い! あれ、そんなに蜂蜜入れたっけ!?」
「軽く脱水症状を起こしてたのかもな、水分不足だと甘く感じるんだ。運動後は塩分と水分が不足するから、今回の場合はもってこいだ。月都ではよく飲むんだよ。これなら大人も子供も飲みやすくていいだろう?」
満場一致で許可が降りたため、次は量産の工程に入る。ベルナが氷を作り、クロエが水を生み出し、私が調味料を入れる。まるでレーンのような流れ作業の合間に、世間話の花が咲いた。
「ふーん、ミーシャさんは月都の出身なのね。じゃあ一緒に居た男の人も?」
「エンディミオは違うよ。彼は確か伝令都の向こうの……エリス地方って言ってたかな」
エンディミオのように月都から離れた土地の出身の人間が側仕えに任じられるのは珍しいことだ。通常であれば、月都の神官の子女子息達が『月の半神』の側仕えとして召し上げられる。
私もその慣例にならって、彼以前にも何人かの護衛をつけられていた時期があった。
けれどそのほとんどが一ヶももたず自主退職。たった一人、一年ほどもった男がいたがそちらは逆に私が先に音をあげる結果になった。
こうして、巡り巡ってハズレくじを引かされたのがエンディミオなのである。
「(思い返してみれば、よく三年ももっているな、彼も私も。彼が来てから神性と人性の均衡が崩れることもなくなったし……)」
なんと稀有な男だろうかとしみじみ思うばかりである。
こうしてエンディミオに畏敬と感謝の念を送っていると、隣で爆弾を落とした少女(クロエ)がいた。
「エンディミオさんとミーシャって恋人なの?」
動揺のあまり、うっかり蜂蜜を入れすぎてしまった。
「ち、ちが……違うぞ! なんで!?」
「だって男女で二人旅だなんて珍しいじゃない。距離感もなんだかただならぬ感じだし……あ、夫婦?」
違うと、彼の名誉のためにも強く否定しようとしたところで私は不意に、日差しの翳りを知覚した。
音もなく背後に忍び寄っていた彼は、ひょいっと蜂蜜入り過ぎのコップを取り上げた。
「――俺の噂話ですか、お嬢さん達。随分楽しそうですね」
「エンディミオ!」
「そうです、俺たちは恋人なんで」
「エンディミオ……?」
「嘘です。きちんとお話すると、ミーシャ様と俺はお嬢様と使用人に過ぎませんよ。ミーシャ様は今回の旅で母君のご実家を訪ねられるため、俺が護衛としてつけられた、それだけの話です」
そうですよね、という視線に振り子のように頷いた。
クロエはつまんないのーと呟き、ベルナがすみませんと謝る。
私は隣に座ったエンディミオの耳元に囁いた。
「……エンディミオ、ありがとう」
「いえ、俺たちは一蓮托生ですから。気になられるのなら飲み物の報酬代ということで……ほら、あと3つですよね? 俺がやっておきますから、配ってきたらどうですか?」
そう促され、私はクロエとベルナと共に立ち上がった。
エンディミオがそうであったように他の同乗者たちも次々と仕事を終え、甲板に上がってくる。
ドリンクを手に取った船員たちは皆その冷たさに笑顔を浮かべていた。
「ああ、助かるよ。喉がカラッカラだったんだ。中は人が多くて蒸し暑かったから……」
「ん、これ美味いな。どうやって作るんだ?」
「生き返るようだ……懐かしい味だな。もしかして月都の出身かい?」
甲板はまるで一つの小さな町のように活気立っている。脱水や熱中症による体調不良者は今のところ居ないようで私も肩を撫で下ろした。
笑い合い、時に各地の噂話に花を咲かせながら乗員たちが喉を潤していく。
――このまま、大きな揉め事もなく対岸に辿り着けれると良いのだが。
船の脅威は海であり、同時に人である。
閉ざされた船上という狭い空間においては、人と人との軋轢もまたそれだけで命取りになる。だからこそ、こうして笑い合える時間は何よりも尊い。
その様子を眺めていると、人混みの向こうからエンディミオが歩いてくるのが見えた。その手元には完成済みのドリンクが2つ収められている。
「ミーシャ様はまだお飲みになってませんよね」
「……よくわかったな」
「それが俺の仕事なので」
エンディミオは肩をすくめて笑うと、グラスを一つ渡してくれた。手に伝わるグラスの温度は冷たくて気持ちいい。
沈黙が落ちる。しかし不思議と心地よさがあった。
――まるで、本当にただの女の子に戻れたみたいだ。
半神になる前、なんてことない女の子だったあの頃へ。
この船に乗っている人は、私が半神だなんて知る由もない。この楽しい旅が長く続きますようにと私は目を細めた。
悪女は一日にしてならず 尾崎妖狐 @ozakiyoko
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。悪女は一日にしてならずの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます