第11話「フックに鳴らす」

夕方。


窓の外が、少しずつオレンジになってきた。


しずくとあおいは、昼過ぎに大学へ行った。昼休みに長く抜けたぶん、こっちはここから帳尻合わせ。田中さんとの会議も、五時にずらしてもらってた。


タマはPCの排気口の上。モチはレジ裏。クロは主のいない窓際のソファで丸くなって、トラはじゃらしを足の甲に乗せたまま、ぼーっとしてる。


二人がいないと、猫まで暇そうだ。


◇


「ねえ、昼間のあれ、保存するの?」


のどかがカウンターから聞いてきた。夕方の店は、静かな時間帯。


「うん。AIのフックに置いとく」


「フック?」


「コーディングエージェントが、何かするタイミングで音を鳴らすやつ。いま、ディレクトリ分けてる」


ターミナルで、いくつかフォルダを開いて見せる。


```

~/.claude/sounds/

PreToolUse/

PostToolUse/

Stop/

Notification/

...

```


「Stopってフォルダに入れとくと、AIが終わったときに、ここのwavから一個ランダムで鳴る」


「じゃあ、『コーヒー、入ったのです』はどこ?」


「Stopかな。終わった感あるし」


「『お兄さん、もう休憩したらいいのです』は?」


「Notificationでいい。通知っぽい」


「『あおいは天才なのです』は?」


「あおいは……Stopにしとく。完了感あるから」


「『ページ、めくってほしいのです』は?」


「これはNotificationだな。ねだってる感じだし」


「あと、あおいの『いってらっしゃい』。頼まれてたでしょ」


「まだ作ってない。午後は仕事してたから」


「まじめだ」


窓際のソファで、クロが尻尾だけ、ぱたりと動いた。


◇


それぞれのwavを、各フォルダに振り分けて保存していく。


これでAIを走らせるたびに、三人が考えた台詞のどれかが、ランダムで響くことになる。


「これさ、わたしたちが家でも聞きたいんだけど」


「ファイル送ればできるよ。Google Driveに保存するから、リンク送る」


「ぐーぐるどらいぶ」


のどかが、ぴたっと止まった。


◇


とりあえず、LINEの友達登録から。カウンター越しに、QRコードを読み合う。


そういえば、連絡先を知らなかった。ほとんど毎日会ってるのに。


wavをまとめてGoogle Driveに上げて、共有リンクを送る。


「送った。そこからダウンロードして、ファイルのアプリで再生すればいける」


「……開いた。英語のファイルがいっぱいある」


「それが音声。一個ずつタップすればダウンロードできる」


「した。……で、どこ行ったの?」


「消えてない。スマホの中の、ファイルアプリ。ダウンロードってフォルダがあるから」


「ふぁいるあぷり」


のどかが、頬を膨らませた。悪いのはスマホらしい。


カウンターに並んで、一通り教える。ファイルの開き方、再生の仕方、間違って消さない方法。


「……あ、鳴った」


のどかのスマホから、小さく「コーヒーが、はいったのです」。


「鳴ったけど。ごめん、わたし、たぶん二度とここまでたどり着けない」


「教えたのに」


「よくわかんないから、わたしは、お店で聞く」


顔を上げて、


「だって、お兄さんの仕事中は、ニャンだもんがわたしたちの代わりに喋ってくれるんでしょ?」


「結果としては、そう」


「じゃあ、いいの。それで」


のどかが、満足そうに笑った。


「お仕事中も、わたしたちが近くにいるみたいじゃん」


「……まあ」


否定しなかった。


◇


「あ、二人のぶんは、わたしからリンク送っとくね」


そういえば。三人の中で、連絡先を交換したのは、のどかだけになった。


深く考えないことにする。


◇


五時が近づいてきた。


「そろそろ、田中さんの会議入る」


「えー、もうちょっと聞きたい」


「仕事だから」


「ちぇ」


ヘッドセットを取り出して、電源を入れる。


ピピッ。電池切れの警告音。


「あ」


「どうしたの?」


「ヘッドセット、充電切れ」


「予備は?」


「ない。家でヘッドセット使ってないんだよ。PC本体のスピーカーとマイクで済ませてるから、こいつをカフェに持ってくるだけで」


「だから充電忘れがちなんだ」


「そう」


「ケーブルは?」


「ある。バッグに一応入れてた」


「じゃあ、繋げばいいじゃん」


「いま繋いでも、すぐには使えるレベルまで上がらない。会議始まる」


「マジか」


仕方なくヘッドセット諦めて、PC本体のマイクとスピーカーで会議に入ることにする。PCの内蔵マイクは無指向性。指向性ノイズキャンセルのヘッドセットと違って、店じゅうの音を、まるごと拾う。家ではこの構成だけど、ここでは絶対やらない。今日は、しょうがない。


せめて、と思う。画面共有は当たり障りのない範囲だけ。声も落とす。会社の秘密が漏れるより、猫の鳴き声が漏れるほうが、ずっとマシだ。


◇


Zoomを立ち上げる。田中さんの顔が映った。


「お疲れさまー」


「お疲れさまです」


「あれ、きみ、声、ちょっと響いてる?」


「ヘッドセット切れたんで、PCマイクで」


「ああ。じゃあ、こっちもなるべく短めにするわ」


田中さんに言われて、こっちもちゃんと声を抑えようと意識する。


そして、まだ気づいてなかった。


さっきのどかと一緒にwavを各フックディレクトリに振り分けたとき、いくつか、間違えて違うフックに入れてしまったことに。


◇


会議が始まる。設計の話。コードレビュー。


タマがPCの隣に乗ってきて、画面に映る。クロは窓際で丸まったまま。トラは一人でじゃらしを転がしてる。モチは、レジ裏でいつも通り。


途中、何か確認するためにAIにコードを生成させる。PreToolUseのフックが走った。


スピーカーから、ニャンだもんの声。


「あおいは、てんさいなのです」


田中さんが、画面越しに固まった。


「……今の、なに」


「……あ」


「あおいは、天才なのです、って言わなかった?」


「言いました」


「なんで?」


「いま、ニャンだもんに好きな台詞しゃべらせる遊びをやってまして。それ、間違えてPreToolUseに入れちゃった」


「PreToolUseで天才って自称してくる猫……」


田中さんが、ちょっと黙ってから、


「きみのPC、なんか変な世界観できてるね」


◇


カウンターから、のどかの声。


「あ、聞こえちゃった!」


田中さんが、また固まった。


「……今の、誰?」


「店員の、のどかさん」


「うん、そうじゃなくて。なんで会議に乱入してきてんの」


「乱入じゃないです。マイク、PC本体だから、声が拾われてるだけで」


田中さんは、なるほど、という顔をしてから、ちょっと笑った。


「なるほど、リアルタイム猫カフェ中継ね」


「中継じゃない」


◇


会議の途中、また別のフックが走った。


「ページ、めくってほしいのです」


田中さん、すぐ反応した。


「きみ、会議中に何読んでるの」


「読んでません。いまのも猫です」


「猫はページめくらないでしょ」


「……読書好きの常連さんの、台詞です」


「へえ。読書好きの常連さん」


田中さんの目が、ちょっと細くなった気がした。


◇


決定打は、二回目だった。


「あおいは、てんさいなのです」


田中さんが吹き出した。


「ねえ、あおいって誰。猫の名前じゃないよね」


「……常連の、学生さんです」


「台詞、本人が考えたの?」


「本人です」


「さっきの読書好きの人と、乱入してきた店員さんと……きみ、何人女性陣いるの」


「三人です」


「三人……」


田中さん、なんか、頷いてる。納得したような顔。


◇


会議は普通に進めた。設計の話。コードレビュー。タスクの確認。


合間に、AIがツールを呼び出すたびに、Stop、PreToolUse、Notification、いろんなフックが走る。それぞれのフォルダから、ランダムでwavが選ばれる。


「コーヒーが、はいったのです」


「はしるのです」


「お兄さん、ぼんやりしてるのです」


「お兄さん、もう休憩したらいいのです」


田中さんが何度か吹き出してた。とくに最後の一個で、本気で笑ってた。


「ぼんやりしてるのです、って言われてるじゃん」


「事実なんで」


「きみ、楽しそうでなにより」


◇


会議が終わった。Zoomを閉じる。


のどかがカウンター越しに、にやにやしてる。


「田中さんに、ばれちゃったね」


「なにが」


「うちらの存在」


「……ばれてもいいだろ、別に」


「いいけど。仕事中、声出さないようにしたほうがいい?」


「気を遣いすぎなくていい」


のどかが、嬉しそうに笑った。


◇


しばらくして、Slackで田中さんから一通。


「で、三人もいる女性陣のうち、きみ、どの子と仲良いの?」


「全員、です」


「全員?」


「全員、お客さんと店員」


「お客さんと店員、ねえ」


「……はい」


「ま、いいけど。気をつけなよ、いろいろ」


田中さんが何を「いろいろ」と言ってるのか、なんとなくわかった。でも、聞き返さなかった。


◇


PCを閉じる前に、もう一回、AIを走らせた。


「お兄さん、もう休憩したらいいのです」


のどかが、カウンターから笑った。


「ニャンだもんも言ってる」


「……はい、休みます」


PCを閉じた。タマが膝に乗ってきた。


充電切れのヘッドセットが、テーブルの隅に転がってる。


「次から、ちゃんと充電しよう」


「いまさら?」


のどかがカウンターから笑った。


「いまさらでも」


ヘッドセットをバックパックにしまう。家に帰ったら、まずケーブルに繋ぐ。今日は、たぶん、忘れない。


◇


「晩ごはん、食べてくでしょ。今日の定食、焼き魚だよ」


のどかがカウンターから言った。


「食べてく」


「よし」


◇


Lo-fiが流れてる。


ニャンだもんは、もう静か。


夕食前の、二人と四匹のカフェ。


まあ、こういう日も、悪くない。


充電は、忘れないように気をつけよう。


◇


つづく

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