第18話 口紅の意味

 夜会から数日が経ち、ルーシェは団長が隔離されている騎士団本部の団長室建物の掃除をしていた。

 

 ルーシェが来て以降、毒を撒く症状が出ないので、本部の建物に戻っても良いんじゃないかと言う話が出ており、隔離のために旧本部の建物に持ち出した荷物を運び入れるための準備である。


「ルーシェ、ちょっと良いか?」


 そう言ってマルクス様に呼び出され、ルーシェが使っている休憩室に行くと、机の上にいくつかの綺麗な箱が置かれていた。


「ま、またですか……?」


 マルクス様から届けられたのは綺麗なリボンが飾られた可愛らしい箱だった。

 全部で三個。そして手紙もある。


 夜会から数日が経ち、ルーシェのもとに騎士の誰かを経由して毎日のようにルーシェへ贈り物や手紙が届くようになった。

 驚くことに手紙や贈り物をくれた男性のほとんどが以前に見合いをしてルーシェをこっぴどく振ってくれたり、ルーシェを見下し、罵ってくれた者達で、ルーシェは気分が悪くなる。


 内容は決まってルーシェを振ったことを後悔している、的な内容で、ゾワゾワと鳥肌が立ってしまう。


「夜会以降、モテモテだな」


 マルクス様は言うが、ルーシェはあまり嬉しくはなかった。

 あの時、自分と向き合ってくれもしなかった人達が今更どうして手紙やら贈り物やらをくれるのだろうか。


「これ、何だろう?」


 ルーシェは贈り物の中身が気になり、三つの箱に視線を落とす。

 箱は若干差はあるが、どれも小さめの長方形で、綺麗な紙に綺麗なリボンがついている。


「あれだろ。口紅とかじゃないか? 大きさ的に」


「く、口紅ですか?」

 

 マルクス様の言葉にルーシェは驚く。

 開けてみると、彼の言う通り、箱の中身はどれも口紅だった。


「何でみんな口紅なんだろう?」


 艶々としたケースに入った口紅を見ながらルーシェは首を傾げる。


「ルーシェ、知らないのか?」


「何がです?」


 ルーシェは聞き返す。

 口紅に一体何の意味があるのだろうか。


「男が女に口紅を贈るのはその唇を自分のものにしたいって意味だよ」


「えぇ⁉」


 マルクスがニコニコしながら衝撃的な発言をするのでルーシェは素っ頓狂な声を上げてしまう。


「き……気持ち悪い……」


 自分を見下し、こっぴどく振った男達が今更自分をそんな目で見ていると思うと、何の罪もないこの口紅達を返品、もしくはドブに捨てたい衝動に駆られる。


「知らなかったのか? 他にも男が自ら女に口紅を塗るのも同じ意味があるな。誰かに口紅塗られそうになったら気を付けろよ。塗られたらキスしても良いですよって肯定だからな」


「えぇ⁉」


 マルクス様は笑顔で忠告してくれるが、もう既に時遅しだ。

 夜会でルーシェは団長から口紅を選んでもらい、塗ってもらってしまった。


(う、嘘でしょう……? で、でも、団長はこのこと知ってるの?)


 何となくだが、団長の場合は知らない可能性もある。

 

(でも、もし知っていたら? 知っていて、私に口紅塗ってくれたのだったら……)


 そう思うと恥ずかしくなって、急激に顔に熱が集まる。

 

「その反応を見ると、誰かに塗ってもらったことがあるみたいだな」


「や、夜会の時に……団長から……」


 ルーシェが赤くなっているであろう自分の顔を手で冷やしながら、マルクス様に告げると、マルクス様は目をまん丸にして驚いていた。


「……残念だな」


「何がですか?」


 シュンとした様子のマルクス様にルーシェは訊ねる。

 すると徐にルーシェに顔を近付けたマルクス様がクイッとルーシェの顎を持ち上げる。


「俺だってこの可愛い唇に色を付けたいと思っていたのに」


「え……?」


 赤い瞳がジッと意味ありげに見つめられ、ルーシェは戸惑ってしまう。

 

「なんてな!」


 マルクス様はパッとルーシェから手を放し、ケラケラと笑った。

 

「もうっ! マルクス様まで揶揄わないでください!」


「悪い、悪い。可愛かったもんだから、つい」


 ルーシェが唇を尖らせて抗議すると、マルクス様は悪気なく言う。

 不覚にも一瞬だけ、ドキッとしてしまったではないか。


「私の心臓はデリケートなんです。そういったことで揶揄わないでください」 

 

「随分と楽しそうだね」


 冷ややかな声が室内に響き、声の方を向くと、そこには怖い顔をした団長の姿があった。

 いつもよりも纏う雰囲気がピリピリとしており、冷たい視線が肌を刺した。


『君の心臓がデリーケートなんて知らなかったよ。僕はてっきり、鋼鉄でできているのかと思ってたけどね』くらいはいつもなら言いそうなものだが、何も言わず、室内に入ってくる。


「君、掃除は終わったの?」


 マルクス様とルーシェの間に割り込むように立った団長は視線だけこちらに向けて言う。


「もう少しです。あとは拭き掃除だけです」


「早く済ませてくれる?」


「分かりました」


(どうしたんだろう……何かあったのかな?)


 普段、団長は口が悪くて、ルーシェを揶揄うことはあってもピリピリした雰囲気で周囲に当たることはない人だ。


 けれども、今は苛立っているのが伝わってきて、ルーシェにぶつけているような気がしないでもない。


 実際、掃除が終わっていないのは事実なので大人しく掃除に戻ろう。

 いつもよりもピリピリとした雰囲気の団長にルーシェは答える。


「あ、カシュール。お前にも贈り物があるぞ」


「いらない」


 マルクス様が言うと、団長は即答した。


「そう言うなって。俺がこれを持ってるわけにはいかないだろ」


 マルクス様は手に持っていた小さな箱を団長に手渡した。

 箱を見た瞬間、団長の眉根がきつく寄り、嫌悪感を顕わにする。


「これ……」


 どうにも中身と差出人に覚えがあるらしい。

 中身を空けてみるとそこには白い石のペンダントが入っていた。


「これって、もしかして……」


「マグノリア嬢がルーシェがうちでお世話になっているお礼だって、置いて行ったぞ」


 マルクス様は爽やかな笑顔で告げるが、その言葉を聞き、団長は嫌なものを見るような目で石とマルクス様を交互に見つめた。


「何で受け取るわけ?」


「そう言うなって。お前が彼女を苦手なのは分かっているが、彼女の治癒石はお前の症状を緩和してくれただろう? 持っておけって」


 マルクス様の言葉に団長は押し黙る。


「姉の治癒石は効果があるんですか?」


「あぁ。カシュールの力が暴走した後、彼女に頼んで治癒石を作ってもらったんだ。討伐前にもらった石は色が抜けて効果がなくなってしまったからな。石を受け取ってから少し症状が落ち着いたから、効果はあるんだろう」


 マルクス様は団長の手の平にある白い石のペンダントに視線を落とし、感心したように言う。


 どうやら、姉から石を受け取ったのは討伐前の一回だけではないらしい。

 その後にも治癒の石を受け取っていて、石を受け取るのは今回で三回目のようだ。


 性格はあんなだが、聖力に関しては紛れもなく優れている。

 結晶石を作るのはとても労力を費やすのだそうだ。他人のために労力を使うことを基本的にしない姉だ作ったと思うと少しだけ感慨深い。


(私と交代したいって言ってたし、わざわざ治癒の石を贈ってくるってことはカシュール様が好きなのよね)


 以前、父に団長から縁談の申し込みはきていないのかと、訊ねていたことを思い出し、ルーシェは複雑な気分になる。


 胸の奥がモヤモヤとして、息苦しさを覚えた。


「今症状が抑えられているのは治癒石のおかげかもしれないし、持っていた方がみんな安心すると思うぞ」


「……分かったよ」


 団長はしぶしぶマルクス様の言う通り、ペンダントを懐のポケットに入れた。

 その様子を見ていたルーシェは何だかムカムカとした気持ちになる。


(どうせ、私にはなんの力もないもの)


 聖力がなければ、結晶石だって作れない。

 団長に、お守り代わりに持っていてもらえるようなものは自分には渡すことができないと思うと、何だが無性に悔しくなった。


「ねぇ」


 小さく俯いていたルーシェの上から声が降ってきて、視線を上げる。

 そこにはルーシェの顔を心配そうに覗き込む団長の姿があった。


「何だか、大人しいけど。具合でも悪いの?」


「……何だか私がいつも騒がしいみたいな言い方です」


「……いつも通りだね。さぁ、掃除の続きをしてくれる? マルクスと話があるから」


 ルーシェが小さく睨みつけると団長は言う。


「マルクス様とお話ですか?」


「そう。君には関係ない話だよ」


 こちらを見向きもせずに団長は突き放すように言った。

 ルーシェを体よく部屋から追い出そうとする空気を感じ、ルーシェはムッとする。


「あのですね、ここは私が使っている休憩室です。大事なお話なら別室でお願いします」


 ここはルーシェが使っている休憩室だ。

 大事な話ならここではなく、それこそ団長室でするべきではないのか。


 ルーシェが指摘すると団長は嫌そうに顔を歪めてルーシェを小さく睨んだ。


「あぁ、そうだね。その通りだ。行くよ、マルクス」


「え……? あぁ、分かった」


 苛立ちをぶつけるように開き直り、団長は踵を返して扉に向かって歩いて行く。

 その後ろをマルクス様が慌ててついていく。 


「ルーシェ、またな」


 マルクス様は一言声を掛けてくれるが、団長は振り向きもせず、声も掛けずに出て行ってしまう。


「どうしたのかしら?」


 いつもなら、別れ際に『じゃあね』とか『また』とか短いけれども言葉を残してくれる。

 まるで、ルーシェの顔など見たくもないと言いたげな態度にルーシェは悲しくなってしまう。


「私、何かしちゃった?」


 団長の言い方がいつもよりも冷たい気がした。

 仕事の都合上、ルーシェに聞かれたら困る話はルーシェがいる場所ではしないし、もしそうだとしても、『悪いけど、大事な話をするから少し席を外してくれる?』と直球でルーシェに離席を求める。


 そう言われればルーシェは首を突っ込まないし、聞きもしない。

 だけど、今日に限ってはそうじゃないことと、突き放すような言い方に引っ掛かりを覚える。


 今日の団長の様子はいつもと違う。

 まるで苛立ちをぶつけられているように思えてルーシェは不安になる。

 

(団長に嫌われたらどうしよう……)


 そんな不安がポツリと胸に落ちてくる。


 あとで、不機嫌の理由を聞いてみよう。

 もし、原因が自分であれば、謝って改善しなければならない。

 

 ルーシェは胸に不安の種を抱えたまま、休憩室を後にした。

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