姥皮 -日本昔話-
@Romina_
第一話 村の飢饉
むかしむかし、ある村に小さな民家があった。
その家には、元の父母はおらず
乳母に育てられた前妻の娘と、継母、その連れ子の娘が二人いた。
前妻の娘は、常日頃
継母や連れ子の姉達からひどい仕打ちを受けており、肩身の狭い思いをしていた。
そんな中でも、乳母は娘に愛情を注ぎ、慈しみ育てていた。その娘の名は、おちよといった。
ある晩、乳母が髪を梳いていると、おちよが尋ねた。
「ばあやのその櫛、とても素敵。 お母様からいただいたの?」
「……いいえ」
乳母は少し黙り、 櫛をそっと撫でた。
それは牡丹の柄の、見事な櫛であった。
「昔、お慕いしていたお方にいただいたものです」
「ばあやにも、そんな人がいたの?」
「ええ。
清継様という、とてもお優しいお方でした」
「どうして結ばれなかったの?」
乳母は少し黙ると、
「……遠い昔の話でございます」
と呟いた。
その村には、山の奥の祠に沼の主と祀られる神がいた。
その神は大蛇の姿であり、大蛇は水を司ると信じられていた。
人々は神を重んじ、酒や米、初穂などを供えていた。
しかし、年月が経つにつれ
村人の信仰は薄れ、供物が減り、人の欲だけを吸い続けた神は少しずつ歪んでいった。
ある夏。
三ヶ月の日照りが続き、作物が取れず
人々は途方にくれた。
村人たちは慌てて神に縋りに行くと
沼の主は姿を表し、言った。
「娘を一人、我が花嫁とせよ」
村で祀られていた神からの初めての要求に、神の怒りを恐れた村人は
村の中から一人の娘を差し出すことを約束した。
村人は村に帰ると、村の中の娘のいる家からくじ引きをし、その家から娘を差し出すことを決めた。
家の中で生贄に選ばれたのも当然、前妻の娘であるおちよであった。
おちよは継母に言い返すことすら出来なかった。
それを見ていた乳母は
その夜、おちよをこっそりと呼び出した。
泣き出す娘に、乳母は言った。
「お嬢、泣いてはなりません。
あなたには、生きて頂かねばなりません」
乳母は娘の涙を拭いながら続ける。
「その昔、この村の大蛇は優しい神でした。
けれど、人の欲を吸い続け、今や神様のお心まで穢れてしまいました。 今、あの沼におわすのは、神の姿をした何かなのです……」
乳母は娘を見つめた。
「お嬢。私も、私の母も、そのまた母も、この家に仕えてきました。
これを……」
そう言って乳母は、ひとつの
「これは、このような日のために我が家に代々守られてきたものです」
葛籠を開けると、そこには
千本の針と、茶色の羽織が入っていた。
茶に褪せた羽織。幾度も繕われた跡があり、袖口は擦り切れている。触れれば麻とも木綿ともつかぬ、不思議な手触り。
それは蝉の抜け殻のように軽く、和紙のごとくに薄く、少し透けており、干からびた木の皮のような質感。古い麻布のようで、触れば柔らかい。
乳母はそれを広げて見せた。
「これを羽織れば、誰の目にも年老いた姥と映ります。
決して人前で脱いではなりませぬ。
誰にも正体を明かしてはなりませぬ」
娘がそれを羽織ると、
黒髪が白く染まり、頬に深い皺が刻まれた。
背が丸まり、手の節がごつごつと浮き出、声までしゃがれていく。
しかし、羽織自体は見えたままであった。
そのため、周りから見れば
娘は茶色い羽織を着た老婆にしか見えない。
羽織を脱ぐと、娘は元の姿に戻るのだった。
──なんと不思議な羽織……
おちよは思った。
そして乳母は、おちよを
家の蔵へと連れていった。
「ここに、村から集めておいた
大蛇に会ったら、沼にこの瓢箪を放ち、
これを全て沈めてくださいと言ってごらんなさい」
おちよは息を飲んだ。
乳母は、背負い籠いっぱいに瓢箪を積んでいく。
おちよは、その夜一睡もできなかった。
乳母はその晩、おちよが子どもの頃に着ていた着物を抱き、枕を濡らした。
翌朝。
村人たちが集まっていた。
村長は静かに頷いておちよを見る。
「村のためじゃ」
おちよは頭を下げた。
継母や姉たちは
黙ってそれを見ていた。
村人の中には、顔を背ける者もいた。
乳母だけが、目に沢山の涙を溜め
村の外れまでおちよを見送った。
村の外れに着くと、乳母はおちよを見つめる。
「お嬢、ここからはお一人で……」
「ばあや……ありがとう」
おちよが振り返ると
乳母だけが最後まで頭を下げていた。
おちよは沼へ向かって一人、歩き始めた。
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