第4話 自分を知らない日本人


『無事に日本へ帰れたようで良かったです。フランスは楽しかったですか? 十月に日本へ行く用事があるので、その時にでも』


 結人が『宮下茉子』のアカウントにこのメッセージを返してから一時間が経過したが、返信はなかった。

 

 練習の休憩時間、結人は茉子のアカウントのアイコンを見つめた。アイコンは花の写真だったのに、今日からニースの街並みの景色に変わっている。アイコンには茉子本人は写っておらず、それがかえって結人を安心させた。


 十月には代表戦があり、日本へ行く。これは前から決まっていたことだったが、いきなり来月だと言われると気が引けてしまうのだろうか。


 スタジアムの前で再会したあの日以来、結人の頭の中は茉子のことで占められていた。ここ数年、自分を『朝比奈結人』だと知らない日本人に会ったことがない。知らないふりをしてくれていたわけでもない。宮下家の皆さんは、本当に俺を知らない。


 十二時になり、結人はチームメイトと昼食を食べながら考えた。スマホを見ても、メッセージアプリの返事は来ていない。


「How's it going, Yuito? You keep checking your phone.」

 (どうしたユイト、スマホばかり気にして)


 チームメイトが結人の顔を覗き込んだ。

 

「It's nothing. Just... something's on my mind.」

 (なんでもないよ。ただ、気になって)

 

「On your mind? Like what?」

 (気になる? 何を?)

 

「I met… a Japanese person who didn't know who I am. Kind of weird to say, but... guess people like that still exist.」

 (俺は……俺のことを知らない日本人に出会ったんだ。自分で言うのも変だけど、そんな人いるんだと思って)

  

「You're a star back in Japan, Yuito. Here too, for that matter.」

 (ユイトは日本ではスター選手だからな。まぁ、このチームでもだけど)


 チームメイトは結人の肩を叩いた。

 

「Guess I've still got a ways to go, huh. Not famous enough yet, I guess.」

 (俺もまだまだだってことだよな。もっと活躍しないと認知してもらえないんだな)


 どれだけ活躍しても、サッカーに興味のない宮下家が自分を知ることはない。どこまで知名度が上がれば『名前くらいは知っている日本人』になれるだろうか。


 結人は昼食を食べる手を止めた。十八歳で日本代表に初選出され、十九歳の時にワールドカップで初ゴールを決めてから、日本メディアはひっきりなしに俺を追いかけてきた。二十三歳で迎えた二度目のワールドカップでは、俺はもう日本のエースだった。テレビの取材は全部受けたし、CMもたくさん引き受けた。


 そんな俺を、茉子さんは知らないのだ。


 その時、結人のスマホから通知音が鳴った。茉子からのメッセージだ。


『十月ですね。父に聞いておきます。具体的な日にちと場所はどうしましょうか?』


 結人は、しばらくスマホを見つめていた。


 具体的な日。そうか、茉子さんは俺に会うことに乗り気でいるんだ。社交辞令だとは思われていない。会ってくれるんだ。


 頭の中でカレンダーを開く。代表練習は代表戦の五日前から。その前日に帰ればいいから……。

  

『十月十日はどうでしょうか? 場所は東京で、時間は夜なら時間があります』


 結人はそう打ち込み、送信ボタンを押した。すぐに既読がつく。


『わかりました。聞いてみます』


 そのメッセージを見た瞬間、結人はチームメイトに再び肩を叩かれた。


「Yuito, what's with that grin?」

(ユイト、そのニヤけ方はなんだよ)


 そう言うチームメイトも笑っている。結人は軽く返事をして、もう一度スマホを見た。暗くなった画面に、自分のニヤケ面が写っていた。



*****


 土曜日になり、茉子は神奈川の実家へ帰った。家の中に入ると、壁にはモンサンミッシェルの写真とニースの街の写真が飾られていた。テーブルの上にはフランスで買ったクッキー缶が置かれている。

 

「フランスに行った話は友達にしたのか?」

 茉子がリビングに入るなり、父はそう言って茉子にプリントアウトした写真をたくさん見せてきた。

 

「まだだよ。友達と会う約束はしてなくて」

 

「何だそうなのか。やっぱり、茉子はインスタとやらに写真をあげるべきだな。皆が羨ましがるぞ」

 

「それで優越感に浸れってこと?」

 

「あぁそうだ。新聞に書いてあったぞ、最近の若者はSNSの評価ばかり気にしてると」

 

「そんなのどうでもいいよ」

 茉子はソファに腰掛けた。ソファにもフランスで買った布が掛けてあるのか、フランスの甘い匂いがした。

 

「あぁそうだ、ニースで知り合った『ゆいとさん』が十月に日本に来るみたいなんだけど、お礼の食事はする?」

 茉子はソファの背もたれに顔を埋めながら言った。

 

「十月? ずいぶん早いな。仕事の用事か?」

 

「そうらしいよ」

 

「なるほどな……。まぁいい、そしたら、十月に食事会をやろうか。場所はお父さんが予約しておくよ」

 

 そう言うと、父はフランスのガイドブックを開いていた。だいぶ読み込んだのか、表紙は折れ曲がっている。

 

「そうだ、ここだな、彼に出会ったのは」

 父は『ニースでサッカー観戦』のページを開き、茉子に見せようとガイドブックを近づけた。茉子は顔を上げる。


『ニースには、日本代表史上、最年少の若さでワールドカップのゴールを決めた朝比奈結人の所属クラブがある。日本のエースがいるとあって、ニースでサッカー観戦をする日本人観光客が急増している』


 サッカー観戦なんて陽キャのすることだよ……。茉子はガイドブックをあまり読まずに父に返した。

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