応援コメント

すべてのエピソードへの応援コメント

  • 備忘録への応援コメント

    私は、言い切られないまま残る余白や、言葉の配置にとても惹かれる読者です。本文の中で言葉や構造、思想がどのように働いていたかを辿りながら、私なりに受け取ったことを書いています。ひとつの読みとしてお受け取りいただければ幸いです。

    拝読しました。作品の雰囲気が好きです。



    読み終えてしばらく経ってからも、机の上に何かを置き忘れているような感覚が抜けませんでした。

    学校のホワイトボードに書かれた『忘れたものはありませんか?』 という一文と、それに対する語り手の「ない!」 という即答から、この作品の中心にある問いが動き始めます。長机に並んだ忘れ物を見たあとの、ただの反射のはずなのに、その問いは電車の中まで頭に残り続けて、いつの間にか、ある人のことを本当に憶えているのかという、重たい問いへと移っていきます。

    この作品の奥で静かに支えているものについて、私なりに考えました。



    「本当に大事なことは忘れない。絶対に」

    語り手は最初、そう言い切ります。
    「彼のことを憶えている」「これからも絶対に忘れてはいけない」と、確認するように何度も言葉を重ねていく。けれど、実際に思い出そうとした瞬間から、その言い切りのすぐ隣に、具体的な欠けが見え始めます。
    彼からもらった大切な言葉は、引用されるたびに文字を失っていって、最後はほとんど空白になってしまう。一度に消えるのではなく、呼び戻そうとするたびに、少しずつ余白のほうが広がっていくような書かれ方でした。

    その空白のすぐあとに、「彼はどんな声だった?」 という問いだけが、ぽつんと置かれます。答えはまだ出てきません。

    場面が現在に戻ってから、語り手はもう一度「彼の全てを、僕は憶えている」と言い直します。
    前髪、目もと、片方だけの眼鏡、右手のペンだこ、絵具の匂い――そういう細部はむしろ具体的に残っていて、忘れていないことの証拠のように並びます。
    けれど、その直後、声については「優しい声だった。優しくて、優しくて、それで……」 というところで文章が止まります。
    さっきの問いへの答えが、ようやく出かけて、途中で止まる。彼について何も残っていないわけではないのに、大切な言葉と声は、身体的な細部と同じようには戻ってこない感じです。

    その偏りを抱えたまま、語り手は「違う。忘れるわけがない」と言い直します。

    「彼の全てを、僕は憶えている」とすでに言い切っているのに、続けて置かれるのは「まだ忘れ切ったわけではない」という一文でした。この「まだ」は、さっきの言い切りを確かめるものでも、忘れたと認めるものでもありません。全部覚えているとも、もう忘れたとも決着しない、その一語で、強く立ち止まりました。

    ここから、彼がどこにいるのかという話に移っていきます。

    「まだ僕の中にいる。もう、僕の中にしかいない」

    と言い切ったすぐあとに、

    「もう彼は、僕の中にしかいない?」

    と、わざわざ「彼は」という主語を置き直したうえで、疑問符をつけて戻ってくる。さっきまで確かなものとして言い切られていたことが、もう問い直されている。そこから、忘れたら彼はどこへ行くのか、死んでしまうのではないか、という方向へ考えが進み、「僕の忘却で彼を殺してはいけない」というところまで行き着きます。
    忘れることと死ぬことがどうつながるのか、その理屈は本文の中には書かれません。それでも語り手はそう考えずにいられないようで、原稿用紙やキャンバスや五線譜へ、彼をかき起こそうとする動きにつながっていきます。

    一番気になったのは、「そうしたら、僕が忘れても彼らが覚えている」という一文のすぐあとに、

    「彼のために、僕は」
    「かき続けなければならない」

    と続くところでした。ここで「覚えている」側に置かれるのは、僕ではなく、直前に並べられた原稿用紙やキャンバスや五線譜です。けれど、媒体が本当に彼を覚えていられるのか、失われた言葉や声までそこに移せるのか、どこまでかけば終わるのか。そのどれも、本文の中では確かめられません。

    彼を残せた、とは書かれません。ただ、「かき続けなければならない」というところで、この話は終わっています。「覚えている」という働きを原稿用紙やキャンバスや五線譜の側へ移そうとしても、かき続けなければならないのは、最後まで僕でした。