第7話 グレゴリー・ペックの雄姿

「女子高生が制服の上にエプロンをつけて、キュッと紐を締めます」

 走る高速バスの車内。

 和也は清書した絵コンテを手に、息だけの声でプレゼンの練習をしていた。


 絵コンテのプレゼンなど人生で初めてだ。

 絵コンテそのものはなんとか形になった。問題は、どう伝えるかだった。

 何度も何度も、同じセリフを繰り返す。


「女子高生が制服の上にエプロンを―――」

 そこで意識が途切れた。


「・・・お客様、終点です」


 肩を軽く叩かれ、和也はハッと目を開けた。

 窓の外には『バスタ新宿』の文字。

 バスは三階の降車場に滑り込んでいた。


 山手線に乗り換え、新橋駅で降りる。

 改札を抜けると、駅前のSL広場には待ち合わせの人たちが集まり、スーツ姿の会社員が足早に行き交っていた。

 駅前のSLが、これから始まる映画のオープニングカットのように、静かにそこに佇んでいた。


「ふうう・・・よし!」

 和也は一度だけ立ち止まり、深呼吸してから会社へ向かった。


 *   *   *


 和也が恭一郎のアパートに来ると、テーブルの上に寿司とうな重が並んでいる。

「どうしたの? こんな豪華なもの?」

「臨時収入が入ってな。まあ食え食え。夏バテ防止だ」

「へえ、じゃあいただきます」

 和也はスーツからTシャツに着替え、わり箸を割ると、真っ先にうな重へ箸を伸ばした。

 恭一郎は相変わらず食事制限をしているので、店屋物はもりそばだけにした。


「うまい!」

 と和也が言うと、茹でたブロッコリーを皿に盛ってきた、恭一郎が聞いた。

「で、どうだった?」

「とにかく緊張したよ」

「そうだろうな」

「声がうわずって、プレゼン自体はグダグダになった」

「仕方ねーよ。プレゼンなんてやったことないもんな」


「途中で頭が真っ白になって、『すいません。もう一度やり直します』って言ったらさ」

「うん」

「『君、君、ちょっと落ち着こう。一回、深呼吸しよう』って」

「ああ」

「で、俺、『ふー。ふー。ふー。』って思いっきり息吐いたら、『君、それ深呼吸になってないよ。ゆっくり吸って、ゆっくり吐いてごらん』だって」

「あちゃー」

「深呼吸にまでダメだし喰らっちゃった」

「やらかしたな」

「おじさん。俺、絶対落ちた。ゴメン。こんなにつき合ってもらったのに」

「俺はいいんだけどな・・・」


 恭一郎は、一拍おいて聞いた。

「悔いは残ったか?」

「いや、それはない。あんな絵コンテを創れたことのほうが嬉しい」

 和也が即答した。


「そっかそっか」恭一郎は噛み締めるように頷いた。


 和也が続ける。

「それにしても、やっぱり東京は違うね。面接官の年齢が若い。山口とは大違いだ」

「若い? それがどうした?」

「うん。圧が凄いんだ。オーラというかエネルギーみたいなモノ。ギラギラした目でこっちを見ている気がした。だから緊張が半端なかった」

「その人達は、いくつぐらいだった?」

「一番年いってる人でも、四十代後半ぐらい。三十代、四十代の人達だった」

「山口はそうでもなかったのか?」

「うん。ほどんどおじいちゃん。白髪で真っ白な頭の人もいた」

「アンシャンレジームってことか・・・」

「なに? それ」

「フランス革命前の旧体制のことだよ。要するに、古い体質がそのまま残ってるってことだ」

「ふ~ん・・・あっ!」

 突然、和也が何かを思い出した。

「どうした!」

 恭一郎はビックリした。


 和也がニヤニヤして恭一郎を見ている。

「なんだよ。なにをニヤついているんだお前は・・・」

 気色悪いなと思って恭一郎がそう聞くと、和也が口を開いた。


「山口の面接で、好きな映画はなんですか?って聞かれたから、ローマの休日って、答えたんだ」

「ほお。そりゃ年寄には受けただろ」

「うん。そう思ってチョイスしたんだけど。面白い答えが返ってきた」

「なんて?」

「白髪のおじいちゃんがこう言うんだ『私は、グレゴリー・ペックが写真を破って、スクープを諦めるところが好きなんだ』って」

 和也はそう言って、また、ニタ~と笑う。

 恭一郎は、うん。と大きく頷いた。

「その通りだよ。俺もあそこが好きなんだ。ローマの休日は、真実の口とかベスパの二人乗りとかが有名だけど、ホントはあのシーンが最高なんだ」

 恭一郎のテンションがグッと上がった。


 和也は、うんうんと頷き、首を振った。

「おじさん。気持ちはよくわかるんだけど、そんなシーンはないんだよ。グレゴリー・ペックが写真を破るシーンは、ないんだ」

「はあ?」

 恭一郎は、思いっきりしかめっ面をした。


「おじさんが、ローマの休日が面白いって、何回も熱弁するから、俺も見たんだよ。ネタバレも気にせず話してくれたから、ストーリーは全部頭に入ってた。で、問題のそのシーンだ。ここで写真を破るぞ。って思ったら、破らないんだ。ポンと机に置くだけだ。スクープを諦めて、捨て置く様に写真を置いて、物憂げに見つめる――それだけなんだ」

「なにを言ってるんだお前は、俺は何回も見たんだぞ。目に焼き付いているんだぞ」

 恭一郎は自分の目を指した。


 和也が切り返す。

「俺も、何回も見たよ。おかしいな、他のシーンで、あるのかなって思ったけど、無い。どうやら、おじさんはあのシーンが好きすぎて、記憶の改ざんが起こってるみたいだ。山口の白髪の面接官と同じようにね」

「バカ言ってんじゃないよお前は」

 恭一郎の声がひっくり返った。


「いや。俺はダメとは言ってない。むしろ、それでいいと思ってる。おじさんには、そう見えた。そう見たかったから、記憶を改ざんしてまで、心に焼き付けた。おじさんにとっての正解は、写真を破った方なんだよ」

「いい加減にしろ。そんなことあるわけ・・・よし。今から、確認しよう。確か、配信で見れるはずだ」

「うん。そうしよう。観よう観よう」


 二人は、早速、ローマの休日を配信で観た。


 問題のシーンがやってくる。

「ほら、ここだ。破るぞ」

 恭一郎は腕を組み、自信満々で画面を見つめた。

 グレゴリー・ペックが写真を見つめる。

 机の上に、ポンっと置く。その写真を物憂げに見つめる。

 そして、終わった。


「・・・・・・」


「嘘だろ」

 恭一郎は画面を指差した。

「嘘だろ!」

 恭一郎は、頭を抱えてひっくり返った。


 そして、ガバッと起き上がり、

「そんなはずはない。写真は破ったんだ。俺は見た。これは偽物だ。――あ、わかった。日本語吹き替え版だったな今のは。――字幕版だ。字幕版の方が本物だ。吹き替え版は何故か編集されてしまったんだ。字幕版を見よう。そっちなら、必ず」

 恭一郎が、リモコンをガっと掴んだ。


 和也が、恭一郎の手を押える。

「おじさん。もういいよ。見苦しいよ。素直に認めたほうが楽だって」

 ゆっくり首を振る和也。


「なに言ってんだお前は。こんなショックなことあるか。俺の目に焼き付いた、あのグレゴリー・ペックの雄姿は何だったんだ。ビリッと、写真を破いて、王女を守り、男の美学を貫く。俺の理想の姿がそこにあったんだぞ」

 恭一郎は口角泡を飛ばして力説する。


「落ち着いてよ。おんなじだから。写真を破ろうが、置こうが、一緒。スクープを諦めたことで、グレゴリー・ペックはちゃんと、王女をスキャンダルから守った。美学も貫いた。やってることは一緒だから」


「そりゃそうだ。同じだよ。でも、ビリっと破いた方が、画になるだろ。歯切れがいいだろ。金に目がくらんだ薄汚い自分との、決別! って感じが出るだろうが」


「まあ、映画だからね・・・」


「単なる映画じゃないぞ。名画中の名画だぞ。ビリっと破いたから、名画だったのに・・・クソ~」

 恭一郎はガクッと首を折った。


 和也は、しばらく考えて口を開いた。

「でもさ。グレゴリー・ペックは、結局なにを手に入れたんだろう?」

「なに?」

「だってさ。スクープを諦めて、金は手に入らない。王女をスキャンダルから守っても、王女と付き合えるわけでもない。身分が違い過ぎる。結局、明日からまた、借金地獄の生活が待ってるわけでしょ。割に合わないよ」

「なにを言ってんだ。それが、男の美学だろうが」

「男の美学では、食っていけないってことでしょ。現実は厳しいよ」

「和也。映画をそんな風に見て、どうすんだよ」

 恭一郎がキッと睨んだ。


「そっかそっか。これは映画だったね・・・」

 和也は苦笑いをしていた。


 *   *   *


「これこれ。ここのプレミアム・バニラアイスが美味しいの」

「生乳たっぷりで、ミルクの味が濃くて上品なのよね」

 美穂と加恋が、ソフトクリーム屋さんの前ではしゃいでいる。


「二人は食べたことある?」

 美穂が、倉本と和也に聞くと、二人は首を振った。

「そう言えば、ないな~」

「じゃあ、みんなで食べよ。おじさん。プレミアム・バニラ、四つ」

「あいよ。美穂ちゃん、加恋ちゃん、まいど」

 と店の奥から元気な声が帰ってきた。


 防府天満宮の参道入口にある大きな石鳥居をくぐると、右手にソフトクリームやかき氷を売っているお店がある。夏のこの時期には欠かせないアイテムだ。ここのバニラが大好きな、美穂と加恋は、男子二人に食べさせたかった。


「あ、うまっ!」

「ホントだ。ミルクの味が濃ゆい!」

 一口食べた倉本と和也が顔を見合わせる。

「ねえ。そうでしょう~」

 美穂と加恋は得意げに笑って、自分たちもソフトクリームを頬張った。


 和也と加恋、倉本と美穂は四人でダブルデートに来ていた。

 防府市の象徴、防府天満宮。

 日本三大天満宮の一つである防府天満宮は、福岡の太宰府天満宮や京都の北野天満宮よりも古い。日本で最初に創建された由緒正しい天神様である。

 御祭神は、学問の神様、菅原道真公。


 参道に入ると58段の石段が参拝客の前に立ちはだかる。えっちらおっちら石段を上ると、見事な朱色の楼門が、両翼を広げるような恰好で迎えてくれる。

 実は、この石段の上り下りが、ちょうどいい運動になる。

 四人は、夕方天満宮でお参りをして、石段を上って下りて、お腹を空かせてから食事に行こう。とそういう計画だった。


 朱色の大きな楼門をくぐると、厳かな拝殿がある。

 ぐるりを廊下が囲っている寝殿造りの様相は、千年の歴史を感じさせる趣きだ。


 四人はお参りを済ませると、それぞれに絵馬やおみくじを選んで回った。

 倉本と美穂は、絵馬を購入しキャッキャ言いながら、二人で書き込んでいる。


 和也と加恋は、はにわみくじを買ってみた。

 指人形の様なはにわの中に、おみくじが入っている代物だ。


 和也が中を確かめる。

「あ、中吉だ」

「なんて書いてあるの?」

 加恋が聞いた。


「運あるが、能力以上のものに手を出すは失敗の元。だって」

「ヤッター。運があるんだって。それで?」


 和也が続きを読む。

「敵をつくらぬよう控えて身を守り・・・」

「大丈夫。カズ君、敵なんていないでしょ」

「うん。特にはね。まだあるよ――多くを求めぬが得策。意地を通して成果なし。だって」


「ふむふむ。多くを求めぬが得策。か」

 加恋は腕組みをして頷いた。

「それって、どういう意味かわかってる? カズ君」


「欲をかくなってことかな」

「多くを求めぬが得策――多くじゃなく、一人を求めなさいってこと」

 加恋は腕組みしたまま、斜に構えて言った。


「レンちゃんのことだ」

 ――ピンポン。

「そうよ。私一人だけってこと」

 そう言って、加恋は和也の腕にしがみついて歩き出した。


「はにわ。欲しい?」

 和也が持っていた指人形の様なはにわを差し出す。

「欲しい。カズ君って名前にしよ」

「俺なの?」

「だって、ずっと一緒にいられるもん」


 加恋は、はにわを手にして、満面の笑顔になった。


 *   *   *


 数日後。

 緑豊かな山口経済大学のキャンパスを歩きながら、倉本が聞いた。

「東京の企業?」

「ああ、株式会社ゲットと言って、業界ではトップランナーなんだ」

 和也が答える。

「すげえな、東京進出かよ」

 倉本は、目玉が飛び出そうな顔をして驚いている。


「でも、二次で大失敗した。プレゼンがグダグダになった。頭は真っ白になって、途中で止めるわ。深呼吸もまともに出来なくて、ダメだし食らったり、さんざんだった。落ちた落ちた。絶対落ちたわ」

 和也は引きつった顔で笑っている。

「でも、いい経験になった。受けてよかったよ」


 倉本は、伺うように聞いた。

「それ。西沢さんは知ってるのか?」

「もう一社受けるとは言ってるけど、東京とは言ってない。なんか言いづらくて」

「そうか。お前が行っちまったら、彼女、寂しがるだろうな」

 倉本はしみじみと漏らした。


「万が一にも俺なんかが受かるはずはないよ。唯、挑戦してみたかっただけだ」

「諦めるなよ。まだわからんじゃないか」

 倉本が和也の肩をパンと叩いた。


 すると、尻ポケットのスマホが震えた。

 和也はスマホを取り出し、操作をして画面を見て驚いた。

「あっ!」

「どうした?」

「二次、通った」


 倉本が一拍おいて、

「ヨッシャー」

 と、拳を突き上げた。



 第7話 終

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