第4話 『前哨』

屋上から見える夜の景色は、今まで塀に囲まれて育ったフィーナの心を激しくときめかせた。


森が生い茂る山の先に、濃紺で塗られたような海が広がっている。


フィーナは胸の前で手を合わせ、目をキラキラと輝かせた。


「あれが、よく御伽話に出てくる海ね……! すごぉい、夜なのに光ってる! ねぇ先生? ……うん? ねぇってば」


ゼンの返事がない。

振り向くと、彼は二本指で空中に何かを描くように動かしていた。


「それ……流行りの遊びですか?」


直後、校長の乗った馬車が、音もなく静かに切り刻まれた。

解放された馬だけが、驚いて夜闇へと駆け出していく。


「これで、校長が俺たちの逃亡に気づいても、馬車で追ってくることはできない」


「ほぇぇ……」


呆気に取られるフィーナだったが、すぐに後ろからゼンの背中に飛びついた。


「頭いいね、先生!」


「おい、そんなことしてる時間はないぞ。……まぁいい、そのままおんぶしてやる。その方が速い。そのまましっかり掴まってろよ」


ゼンが地を蹴った瞬間、景色が後ろへとすっ飛んだ。


その走りは恐ろしく速く、それでいて静かだった。

屋根を踏む音さえ一切させず、まるで本物の「風」そのものだ。

先ほど逃げ出した馬の速度すら、あっさりと置き去りにしていく。


「あははは! 速い速い! これなら絶対逃げ切れそうだね、先生?」


「遊びじゃねぇんだからな……まったく」


「ねぇ先生、さっきのも『禍力』ってやつ?」


「あぁ。お前たちは今まで、炎とか氷とか分かりやすいものばかり見せられてきたからな。だが基本、イメージしたものは何でも出せる。――イメージさえ出来れば、な」


「へぇ……」


不意に、ゼンが足を止めた。

屋根の上から視線を落とすと、少し先に見張りの塔が見える。


そこには、左手に双眼鏡を持ちながらも、あくび混じりに椅子に座ってポルノ雑誌を読んでいる男の姿があった。


「おっ……今日の見張りはベリテス先生か。酒まで飲んでる。運がいいな、やりやすい」


バッ、


とゼンが屋上から見張り棟へと無音で飛び移る。


咄嗟のことに気が動転するベリテス。

その首筋へ、ゼンの手から放たれたバチバチという鋭い電光が浴びせられた。ベリテスは声も上げずに気絶する。


「すごーい! 手から何でも出せるんだね!」


屋上から身を乗り出して歓声をあげるフィーナの元へ、ゼンは何事もなかったかのように戻ってきた。


「禍力はイメージだって、散々授業でやっただろ。まぁ…フィーナは寝てばっかりだからな……」


寝かせたベリテスを物陰へ片付けながら、ゼンは呆れ顔で説明を続ける。

いつまでも叱られてばかりのフィーナだった。


━━━━━━━━━━━━━


禍動とは何か?


それは大昔、「魔法」と呼ばれたものだった。

原理は同じであり、体中からみなぎるオーラを、現代では「禍動」と呼ぶ。


禍動に命を吹き込むために必要なもの。それこそが『イメージ』である。


例えば「炎を出したい」とした時、脳内で炎をイメージしたものが、出したい場所から現れる。


だが複雑なのは、そのイメージの「解像度」だ。


―― 炎の温度は?


―― 炎の大きさは?


―― 手と炎の間の距離は?


あらゆるイメージを瞬時に、かつ完璧に脳内で沸かせることで、ようやく扱える術となる。


イメージの質こそが威力を左右するため、感性が優れた者こそが優秀な禍動士となる。


そのため近年では、本格的な教育は最終学年に行うことが学習要綱として定められていた。


そして、イメージして練られた禍動を繰り出すことをこう呼ぶ。


「禍力(かりょく)」 ーー


それを放つ時のスピードや精度も、頭の中でいちいち計算しなければならない。


先ほどゼンが見せた馬車の解体は「鋭利な糸」。ベリテスを眠らせたのは「電流」。


これらのイメージを練り、禍動を変化・具現化するまでの難易度は、相当な才能と、柔らかい発想、そして何より血の滲むような努力が必要不可欠であった。


━━━━━━━━━━━━━


「……簡単なようで、奥が深いんだよ」


次々に屋根を飛び移りながら、走り抜けていくゼンと、その背に乗ったフィーナ。


「先生? このまま逃げ切れたら、海を見に行きたいなぁ。……あとね、屋台とかもいいなぁ!」


「……お前、腹減ってんのか?」


「えへへ」


あっという間に、学園を囲む最後の塀が目の前にそびえ立つ。ゼンも実を言うと、少し小腹が空いていた。


「ったく。……まぁでも、次の街に着いたら何かメシでも――」



――ゾクッ



「おやおや……そんなに驚くことはないでしょう?」


暗闇から、歪んだ声が響く。


「『教師は全員が禍動士』…こう見えて、私も禍動士の学校のトップなんですからねぇ……ふふふ、ふふはははは!」


行く手を阻むように待ち構えていたのは、あの校長。


そして背後には――


月光を浴びた銀色の鎧を不気味に光らせる、3人の騎士

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