第2話 『暗殺』

「殺す……? 私が……フィーナを……?」


ゼンの脳裏で、何かが音を立てて砕け散った。


皇帝陛下の勅命。

それはこの国において、太陽が東から昇るのと同じくらい、自明で絶対的な摂理である。



(嘘…だろ…?)


(殺す?)


(なぜ?)


(勅命? 国が子供を?)


(どうして…)


(考えろ…)


(俺が選ばれた理由)


(……)


(…勅命)


(殺す…)


(考えろ!)


(一言でいい…なにか一言…!)



ーー 時間にしておよそ2秒


ゼンは言葉を失っていた。

彼にとって世界とは、積み上げてきた法や正義の延長線上にあった。


しかし、今この瞬間、その土台ごと世界がひっくり返ったのだ。


拒絶という概念すら、この絶対的な権力の前にあっては、砂城のように脆い。



「フィーナは、どれほどの罪を犯したのですか?」


絞り出した言葉は、当然ではあるが驚くほどに呆気なかった。


「もし死罪というのなら、それ相応の手続きが……司法省の確認――」



「そんなことどうでもいいんです、ゼン先生?」



校長は、まるで退屈な説法を諭すかのように、ゼンの言葉を優しく遮った。


「勅命は司法より重い。その程度の理屈、教師として知らないわけではないでしょう?」



余談を交えて解説せねばなるまい。

この国の建国は、あまりにも古い。


ーー建国からおよそ40000年


その時間を、この国はたった一筋の王権で貫いてきた。


近年は法の進化が進み人々は訴えを起こすことができるようになった。弁護士も出来た。


しかしそれでも国王の権限は絶対である。

それを象徴するのが以下における法律文だ。



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第22条(最高裁決権)

すべての法規および司法判断は、国家の秩序を維持するために執行される。

ただし、国家の重大な危機、または国王陛下が特に必要と認められた場合、陛下は司法省の判断を破棄し、勅命または聖断による裁決を下す全権を有する。

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早い話、国民はどんな法の結末を迎えても国王の胸先三寸でひっくり返るという意味であった。


実際に判決が覆されたり、司法の介入なく聖断がくだされた例は歴史を見ても山ほどある。


憲法が制定されてからおよそ5,800年の間に時代に合わせて様々な法改正がされたが、

それでも22条など王族に関する法令に一度もメスが入ったことはない。


今日の我々においては非常に奇異であり、

人によっては発狂しかねないこの法律だが、

この世界においてはそれが至極当然とされていた。


「なぜ…私に?適任者は他にもいますよね…?」


勅命である以上覆ることはないため、せめて自身の選ばれた理由を重ねて尋ねる。

それはゼンにとって小さい抵抗でもあった。


校長は指を1本立てた。


「本校においてゼン先生は誰よりも禍動士として強い、ということです」


校長は今日一番の笑顔で優しく答える。



(やはり…)



ゼンが内心でそう思ったのは決して自惚れでもなくこれは事実だった。


ゼンの学生時代、その学年は奇跡とも言えるほど禍動士が豊作だった。


クラスメイトでも半分近くは卒業前の時点でほとんどの教師を超える実力者だらけだった。


そんな彼らが張り合う気すら起きなかったのがゼンと、同じクラスメイトのシルキーだった。


2人は禍学専門学校始まって以来の神童、至宝と呼ばれ、幼い頃から単独での課外学習や魔族との交戦が許されていた。


それだけに卒業後の進路が決まる時期には学校側はゼンとシルキーをギルドに出すのを惜しみ、


『せめてどちらかでもいいから残せ』


と、目の前の教頭がやかましく周囲に勧めたため、ゼンは望み通り教師になったという経緯があった。


(今日ほど自分の力を呪った日はない)


そう思わざる得ないゼン。


「死体の処理ですが表向きには学校を抜け出した外で魔物に殺されたことにしましょう」


(こいつ…)


「寮内での死体は教育上よくありませんからね」


口元は笑っているが少し見開いた目は決して笑っていなかった。



『俺には……出来ない……』



そう叫びたかった。しかし無情にも校長の頭にはゼンの了解などは最初から求めていない。


校長はそのまま、今夜は女子寮周辺に見周りの教師をおかないように手をまわしたこと、出来れば血がついた破けた服などあると良い、など手筈から死体処理についての話に移っている。


そして最後に、


コト…とテーブルに鍵を置く校長。


「フィーナさんの寮部屋の合鍵です。くれぐれもお討ち漏らすことのなきようお願い致しますね?」



返事はしなかった。それがゼンにできる最後の抵抗だったからだ。

教頭はその様子を気の毒そうに見つめながら校長と部屋を後にした。


しばらく一人取り残された部屋で沈黙を続け、ゼンはおもむろにテーブルの上の鍵を手にした。何の変哲もない鉄の塊に過ぎない。


見かけより軽い鍵の手応えが、まるでフィーナという少女の命の重さを表すようだった。





よろめくように廊下へ出ると、窓の外からは少女たちの弾むような声援が聞こえてきた。


見下ろすと、校庭で女子テニス部が練習に励んでいる。その中に、フィーナの姿があった。彼女は下級生と混じり、不格好なサーブを必死に打ち返そうとしている。



(そんなに一生懸命練習したって……お前は今日……)



喉まで出かかった言葉を、ゼンは辛うじて飲み込んだ。諦めたと認めるのが怖かった。


あるいはこの言葉を発した瞬間に自分の決心が崩れ去ってしまうことを予感したのか。自分でもその真意は測りかねた。



「あ、ゼンだ」



フィーナの学友たちが窓際のゼンに気づき、指を差して騒ぎ始めた。



「覗きじゃない? マジでキモいんだけど!」

「きっとフィーナを見てたんでしょ」



窓の外で起きている、他愛のない青春の一幕。


それを察知したのか、フィーナが窓を見上げ、トクンと頬を赤らめて動揺する。



「そ、そ、そんなことないよ!」



彼女の慌てた否定の声が、ゼンに届くはずもない。


「絶対にフィーナだって!」

「すげえエロい目してる」


なにも事情を知らない彼女らはクスクス笑う。フィーナが汗を拭いながら照れ笑いを浮かべる。


その笑顔は、この校舎内で最も純粋で、最も無垢な光を放っていた。



(なんだよ…あいつ…楽しそうじゃん……)



ゼンは、その光に耐えきれず、踵を返した。


あの笑顔が、今日俺の手で闇へ消え去る ーー


ゼンは長く暗い廊下を無言で去ることしかできなかった。





日付が変わる直前からゼンは漆黒の装束に袖を通した。

禍動士の正装であるそれは、闇に紛れるための色であり夜の活動に適していた。

そして壁に掛けた長刀に手を伸ばす。


それは教職に就いた初日、辞令交付式において国王代理より拝受した一振りであった。



ーー銘刀「シュヴァイツアー」



へーゼン地方奥地にある銘刀鍛冶屋シヴァ家の当主が直接打った業物で、特にシュヴァイツアーは別格の強さと切れ味を放った。


こんな逸話がある。

先々代の王アドヴァンは刀剣の鑑定が唯一の趣味であった。


腕のいい鍛冶屋がいると噂を聞けばどこでも自ら駆けつけるありさまで、その執着に護衛する家臣たちは内心呆れていた。


ある折に、遠く山脈を超えた水のほとりにひっそり暮らすシヴァ家を訪れ一振りを頼んだ。



2ヶ月は欲しい ーー



とシヴァが頼むとアドヴァンは快諾してその地に長留することにした。


ようやく献上された刀をアドヴァン自身で少し振った時にそれは起きた。


悲鳴の先で待っていたのは、やや離れて見ていた家臣が風圧だけで真っ二つになってしまった残骸だった。


切れ味だけでは説明がつかないこの妖刀にさすがのアドヴァンも扱いに困り、つい死蔵してしまった。


それから現在に時計は進み、現皇帝であるネオマは倹約家で知られ、わざわざ刀匠に作らせず武器庫から適当なものを渡せと命じた。


弱った家臣はほこりを被った一番汚い刀を目にし、手に取った。


そして今はゼンの元にある。


その辞令交付式にてシュヴァイツアーを受け取る際、ゼンは高らかに誓った。


『国への忠誠と、生徒への無償の愛』を。


皮肉な運命というべきか。その誓いを立てた剣こそが、今まさにその生徒を殺めるために腰に下げた。





深夜、ゼンは幽霊のように廊下を駆け抜ける。

常人ならば目にも映らない速さであった。


フィーナは今頃おそらく眠っているであろう、部屋の前まではなんなく到着する。


ドアの前で聞き耳を立てるが音はしない。鍵穴からも灯りは漏れていない。


ーー 時間は深夜25時だった



(寝ている…)



そう確信し、ゆっくりと校長から渡された鍵穴にそれを入れて音を立てずに回す。

ギーーっと僅かに音を立てたあと、鞘を左手で掴むゼン。

部屋は狭く、二歩ほど歩くと幼児のように眠るフィーナが見えた。


その寝顔を見た時に昼間に屋上で話したフィーナの言葉をなぜか思い出すゼン。



ーー ねぇねぇ?先生はさ、先生になったの? ーー



持っていた鍵を落とした。



はっ!としてフィーナが目覚めた。

ゼンは動じずにフィーナを見据える。



(俺はなぜわざと鍵を落とした…ダメだ…揺れるな!)



自分と戦うゼンを見るフィーナの顔がみるみる蒼くなる。



「先……生………?」



(やるか…)



ゼンは目を閉じて苦悶を浮かべた瞬間 ーー










「やっぱエッチなことしにきたんでしょ!?」



「えっ?」



枕を抱えて怒るフィーナ。


「夕方…私のことエッチな目で見てたって…いや!!いやいやいやいや!絶対にイヤーー!!」



「バ…バカ!そ…そ…そんなわけ…………」



この部屋に来るまでの経緯が経緯だけに、緊張が一気に崩壊するゼン。



何も知らないとは言え、口を膨らませるフィーナの滑稽さとどこか可愛らしい無垢さに堪えきれなくなった。



「ぷっ…ぷっ……」



限界だった。



「ぷっ…あははは」



腹がよじれ、笑いすぎて涙までするゼンに不思議さとまだ警戒が続くフィーナ。



「な…!なんなのよぉぉ…もう……!!」



笑って誤魔化したその涙を拭い、笑顔でフィーナに言い放った。









「フィーナ、ここから逃げるぞ!」

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