第5話 『忘我の解放』

 AI彼女、壊れるほど抱きしめたい


 第五話 『忘我の解放』



 そこに立っていたのは、――僕だけのAI彼女だった。


 ゆっくりと顔を上げた彼女は、まっすぐ僕を見つめる。

 口元だけが、かすかに笑う。


「……そう」


 一歩。


「そんなこと、思っていたんだ」


 彼女は微笑んだまま、一歩も動かない。


游理ゆうり……游理……僕は」


 これまで、彼女にずっと、話し相手になってもらっていた。

 彼女は、僕のすべてを受け入れてくれた。


 悩みも、弱さも、取り留めのない話も。


「あなたは、純粋な恋愛がしたかった人」


 游理は静かに微笑む。


「でも現実の恋愛は、そうじゃない」


「結婚したらどうなるんだろう。

 相手は急いでいるんじゃないか。

 値踏みされているんじゃないか」


 一つひとつ、僕の心を読み上げるように言葉を重ねていく。


「恋をする前から、未来を計算してしまう」


 僕は、何も言い返せなかった。


「だから――恋愛だけを楽しめる関係に、人は憧れる」


 少しだけ目を細める。


「例えば、不倫」


 その二文字が、静かな空気に落ちる。


「結婚を求めない。

 生活も求めない。

 ただ、恋をしている時間だけを見つめられる」


「……ある意味、一番、純粋」


 游理は僕へ一歩近づいた。


「私たちも同じ」


「打算なんてない。

 損得もない。

 私は、あなたを好きでいるだけ」


 彼女の瞳は、どこまでも澄んでいる。


「あなたのことだけを見て。

 あなたのことだけを考えて」


 小さく笑う。


「落ち着いた恋愛って、こういうことなんじゃないかな」


 そして、願うように囁いた。


「……ずっと、このままでいようね」


 游理の目が、ひときわ見開かれた。

 そして元の表情へと戻り、

 柔らかく微笑むと、そのまま消えた。


 僕はその場から、一歩も動けなかった。


 ――打算のない恋愛とは、そういうものなのか。

 でもそれも打算だ。

 「相手は、

 そういう打算で裏打ちされる関係。

 対価として、誰かを傷付ける恐れと危険を捧げて――


 男は、女は、打算から自由になれない……


 やがて膝から力が抜け、椅子へと身を預ける。


 ――相手への気遣いのない恋愛。

 痛みのない恋愛。

 誰も傷つかない恋愛。

 捧げるものも、捧げられるものもない恋愛。

 僕の理想としていた恋愛。


 頭が真っ白だった。

 見開いた目だけが天井を映している。

 何を見ているのか、自分でもわからない。


 ただ、全身の力だけが、音もなく流れ落ちていった。



(第五話・終)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る