征旅無窮 ~三方ヶ原の戦い~

四谷軒

01 ~風~ 西上作戦

「人の一生は重荷をおいて遠き道をゆくか如し いそくへからず 不自由を常と思へばふそく無し こころに望み起こらば困窮したる時を思ひ出すヘし 堪忍ハ無事長久のもとい いかりハ敵と思ヘ 勝事はかり知りてくる事らされハ害其身がいそのみにいたる おれをせめて人をせむるな 及ばざるハ過ぎたるよりまされり」

「東照宮御遺訓」




 家康は歯噛はがみする。

 元亀三年(一五七二年)十二月、甲斐の武田信玄が「上洛」を唱え、西への征旅──西上作戦を始めた時から、武田の攻勢が凄まじい。

 家康が今川家から切り取ったばかりの遠江の城の数々を次々と落とし、おそらく事前の仕込みの結果であろう、遠江の豪族たちも、続々と武田に降っている。

 だから家康は歯噛みする。


「しかも、三河まで」


 と。

 東濃(美濃東部のこと)という地を得ていた信玄は、そこから飛騨や三河に触手を伸ばしていた。

 東濃というのはそれらの結節点で、だからこそ信玄は押さえていたわけだが、そこを信長が奪取してしまったことから、この西上作戦が図られたとされる。



「何が上洛だ、空々そらぞらしい」


 そうと言っておけば、将軍が御内書ごないしょを下し、浅井長政や朝倉義景、果ては松永久秀や本願寺までが喜んで、信長を周囲から包囲してくれる。

 だから、信玄は上洛を打倒信長をと唱えるのだ。


爾来じらい、武田は織田と盟していた(甲尾同盟)。だからこそ、信玄はこの家康と共に今川を攻めることができた」


 戦国における手のひら返しの好例、武田信玄の駿河侵攻。

 信玄は、武田・北条・今川という、いわゆる三国同盟を結んでいた。しかし、そのうち今川――今川義元が桶狭間の戦いで横死すると、急速に衰えてしまった。

 そこを信玄は襲った。

 彼の領国、甲斐・信濃には海が無い。つまり、塩が無い。自領にて塩を調達するというのは、年来の宿願であり渇望であった。

 だから、武田は一転して、織田と結んでいた同盟に利して、その織田と同盟している徳川(清州同盟)と共に今川を攻めた。

 この時の取り決めは、徳川が遠江、武田が駿河だったが、信玄はそうしておいて、遠江も侵している。


「思えばあの頃から、武田は海道(駿河、遠江、三河など東海道諸国)をねろうておったのじゃ」


 一方、家康はこの頃すでに海道一の弓取りとして鳴らしており、この武田の遠江刧略ごうりゃくに対し、駿河の駿府を落としてみせた。

 さらに北条と盟約を結び、武田をはさみうちする策ぬ出た。

 しかし。


「ところが……信玄坊主めが、結局、駿河をものにして、さらに、北条とまた同盟を結びおった(甲相同盟)」


 ちょうど北条家の当主・氏康が亡くなり、代替わりして氏康の子・氏政が家督を継いだ。氏政は武田に敵するより、和する方に利があると判じたのか、信玄との和睦に応じた。

 さらに、信玄の西上作戦に援兵を出している。

 つまり、北条は徳川を見限り、武田を推すことにしたのだ。


「この家康はいい面の皮だがな」


 若い家康は歯噛みする。

 駿河侵攻以来、武田と徳川は合い、争い合う関係にあった。

 となると、それぞれと同盟関係にある織田にとりなしを、という流れになっていたが、ここで織田信長が、東濃の岩村城の遠山家を取ってしまった――岩村遠山氏は織田・武田両属であったが、その当主が病没したところを、信長が四男の御坊丸を養子に入れ、家督を継がせ、織田に属するようにしてしまった。

 これに信玄が激怒し、西上作戦が始まったと言われる。

 家康の言葉――この家康はいい面の皮――とは、つまり、信長の同盟相手ということで、家康はその領土を信玄に侵されることになった。


「それゆえ、織田に援兵を頼んだのだが……」


 織田からやって来たのはたった三千で、しかも率いるのは佐久間信盛と平手汎秀ひらてひろひでという、どちらかというと織田家中でも武将だ。


「柴田や丹羽、羽柴や明智は来ぬのか」


 来るはずがない、というのを知っていて、家康は歯噛みする。

 織田にとっては、信長包囲網の対応の方が優先で、そちらに彼らは当てられている。


「だから徳川はこれで耐えろというのか。あんまりではないか」


 絶体絶命の窮地であった金ヶ崎の退き陣、激闘であった姉川の戦いでも、家康は骨惜しみなく戦った。

 だというのに、いざ家康が危機に陥ると、その援兵はこの程度である。


「しかも……籠城しろだと? 耐えろだと?」


 信長は対策まで指示して来た。

 武田とまともに戦っては勝てぬ、それゆえ敢えて戦わず、居城の浜松城に引きこもっておれ、と。

 

「それは織田からすれば、遠江や三河が刧略ごうりゃくされようが、痛くも痒くもない。だから浜松に籠城しろと言える」


 それが軍略だということはわかる。

 わかるが、あの武田信玄に、領国をほしいままにさせよ、というのは辛すぎる。


「このまま、浜松城で座して指をくわえて待てというのか」


 織田から来た、佐久間信盛も平手汎秀も口をそろえてそう言う。

 信長から、そう命令されているからであろう。

 特に汎秀はわかったかと唾を飛ばして言って来た。

 十九歳のこの若者は、信長の傅役もりやく・平手政秀を父としている(祖父という説もある)。

 そのため、信長のおぼえめでたく、ともすると驕慢にふるまっていた。

 この時、汎秀が不機嫌であったのは、昨日、織田家の援軍が浜松に到来し、家康は織田家諸将の宿所へおもむき、挨拶をしたが、その際、年少の汎秀を最後にしたためである。


「家康どのは、この汎秀を最後に挨拶なされた。つまりは、織田家の中のうしろ、どんじりだと言いたいのだ。はるばる岐阜からの浜松まで来た、この征旅は将として招かれたものであったと思うておったが、何と何と、ただの一介の武者としてのものであったわ!」


 わざわざ心情を披露する汎秀に対し、いちいち言うことが大仰だな、と家康は冷めた目で見ていた。

 同時に、このような男を――いかに危機とはいえ、起用せざるを得ない信長も、大概苦しいのだな、と理解した。

 なおも吼える汎秀の罵声を背に、家康は城に戻った。

 あのような者を相手にしている暇はない、と思う。


「何せ武田の軍もまた、この浜松に迫っている」


 信玄は三日前に、二俣城を落としている。

 二俣城から浜松城は近い。

 そろそろ次なる征旅へ――浜松城へと出る頃だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る