どちらかと言えば先頭に立って闘う猛将タイプの勝頼。一代で軍団を拡大し束ねてきたからこそ、死後にこの強力な豪族達を統率していくのには適性が違うと最終判断した瞬間だったんでしょうね。
まだ自分自身の成果を誇る段階止まりで、管理者として全体が見えてないと。
信玄は「みずから……」何をしてほしいと期待していたんでしょうか。少なくとも勝頼が言った「道」ではなさそうですね。
相変わらずの面白い解釈と展開、ありがとうございました。
作者からの返信
勝頼は真面目に戦っていたと思います。
ただ、真面目どまりで、おっしゃるとおり、戦いをデザインする方向へ考えが及んでいなかったのでしょう。
信玄としてはそういう方向へ進んで欲しかった、だからみずから考えて行って欲しいと言おうとしていた、としました。
でも勝頼は道を行くと答えました。
これはこれで間違っていないんですけど、信玄としては、諏訪家の跡取りにしていたのも、義信の死によって無理矢理武田家の采配を取らせてしまった負い目があるので、もうこれでいいかと永の眠りについた……という設定です。
こちらこそ、ありがとうございました。
信玄は後継者としての勝頼に満足していたのかどうか。
信長には勝てないと思っていたかもしれませんね。
だから、可能な限り勢力を削いでおきたかった。
そんな気がします。
作者からの返信
信玄としては、義信に家督をと思っていたら、謀叛(?)を起こされて、あてが外れちゃったんでしょうね。
だから勝頼にお鉢が回ってきたわけですが、これは信玄としては想定外だったと思います。
諏訪家を継がせるつもりだったのが、武田家を任せるとなると……と。
西上作戦は、勝頼のためにやれるだけやっておこうとしたためだった、というのは穿った見方だと思います。
天下取りというのは、物語としては面白いですけど、ちょっと現実的ではありませんし。
ありがとうございました。
こんにちは、御作を読みました。
信玄さんが裏切りまくったことで、勢力としての信用度は地に堕ちていた。
信虎さん追放のお鉢がまわる義信さんの蜂起を粛清したことで、家中が不穏になり、渡すつもりのなかった勝頼さんに家督を継がせることになった。
――実はこの時点で相当にヤバいんですよね。
勝頼さんは長篠の戦いまでよくもたせたなあって。
胸に痛いですが面白かったです。
作者からの返信
そうですよね。
信玄というと権謀術数であり、三国同盟を結成しておいての、駿河侵攻=手のひら返しで有名だし^^;
武田家の内部においても、父子相剋を再現してしまって、「大丈夫か、あそこの家」と言われていたんでしょうね。
だから信長も、東濃をゲットする方向に舵を切ったのかも。
勝頼は頑張ったと思います。
武田家の版図をさらに広げているし、ホントに頑張ったんですが……信長と家康を相手にしている時点で……^^;
ありがとうございました。
拝読致しました。
あの謎の鶴翼特攻という常識外の行動の真意は分からないまま、徳川敗北のその後。
「糞を垂れてまで怖がる、逃げる、生きる」とは信玄さんの言葉で、生きる事への憧れとも思えます。
そして平手汎秀さんが討ちとられたことを聞いたことの信玄さんの驚き。
生き汚くとも生への道を掴もうとする家康さんは、やはり平手さんの命を近い何かを仕掛けた、ということかな?(^^;)エグイ
家康さんが、信玄さんが何を見ていたのかが、「山」で明かされるのでしょうか。
作者からの返信
この時の家康が必死だったことは確かだと思うんです。
大坂夏の陣の時も逃げたし^^;
信玄はこの時、死期を悟っていたと思います。
糞を垂れるのは生きるからできることであり、そこはいいことではないかと思っていた、という設定です。
そんな信玄、勝頼から、織田のヤンキーは始末してやったぜと言われちゃいます。
……何かいろいろと言いたいことはあったみたいですが、もう残された時間はなく、遺言を残すことにしました。
果たして信玄の西上作戦とは、家康の三方ヶ原とは、何がねらいだったのか。
「山」で語られることになります。
ありがとうございました。
散々やられて逃げ出して、途中の茶屋で家康は餅を食ったけど武田が追ってきたので銭を払わずに逃げたところ茶屋のばあさんに追いかけられて「銭取」って地名がついたという話もありますね。脱糞と同じで後世の創作でしょうけども。