工房長の遺言と、姉が「オレだけに」隠していた設計図
「ヘクターさんっ!?」
オレは瓦礫を蹴り飛ばすように駆け寄った。
工房長のヘクター・ガラモンド。オレの親父代わりの、四十過ぎの偏屈な赤髭。その大きな体が、崩れた壁材の下に半分埋まっている。
「よう……ロビン。ひでえ顔してんな」
「口ぱくぱくさせてないで、じっとしてろって! 今、退かすからな!」
「あー、いい、いい。焦んな。……肩の骨、逝ってるだけだ。死にゃしねえよ」
ヘクターは血の混じった痰を吐き出しながら、ニヤリと笑った。この状況で笑える神経が、オレには正直、羨ましかった。
「ミリアムは……どうした」
「…………」
「そうか」
オレの沈黙で、ヘクターは全部を察したらしい。太い眉がぴくりと下がって、それきり、彼はしばらく空を睨んでいた。
オレはヘクターを瓦礫の下から引きずり出した。まだ息のある職人仲間を、他にも数人見つけた。地下水路の入口が近くにあると、ヘクターがかすれ声で教えてくれた。
「そうだ、ロビン」
肩を貸して歩きながら、ヘクターが不意に口を開いた。
「工房長室の金庫の裏、覚えてるか」
「金庫の裏? 何かあんのかよ、あんな場所」
「ミリアムが、ずっと隠してた革の筒がある。……お前に見せるって、ずっと言ってたやつだ」
「姉さんが?」
「取ってこい。何としてもだ。……あれが、オレたちが復讐できる、唯一の切り札になる」
オレはヘクターを他の仲間に預け、燃え上がる工房通りへ引き返した。頬を焼く熱風。頭上で崩れ落ちてくる梁。それでもオレは、姉の名を口の中で転がしながら、走り続けた。
金庫の裏。埃をかぶった革の筒。中身を確認する余裕はなかった。オレはそれを胸に抱き込み、また地下水路に戻った。
―――――
ポトス陥落から、三日。
地下の避難所は、暗くじめじめしていた。生き残りは驚くほど少ない。かろうじて息をしている者たちが、身を寄せ合って、乾いた黒パンをちびちびと齧っている。
「ロビン、いい加減、その面やめろ」
ヘクターが太い指でオレの肩を叩いた。痛いくらいの力だったが、不思議と冷静になれた。
「お前が死にそうな面してたら、みんなの士気に関わる。子どもらも見てんだぞ」
言われて視線を上げると、隅で毛布に包まった小さな子どもが、じっとこちらを見ていた。オレは慌てて口の端を持ち上げようとしたが、笑い方をもう忘れてしまったかのように、うまくいかなかった。
「ヘクターさん」
オレはぽつりと切り出した。
「聞いてほしいことがある」
地下倉庫の奥へと足を運び、オレは例の革の筒を取り出した。中から出てきたのは、擦り切れた古い設計図の束だった。
その一枚目を見た瞬間、ヘクターが息を呑む音がした。
「な……なんだ、これは」
「古代ポトスの、超高速飛行艇の設計図らしい。姉さんが、いつかオレに見せるって言ってたやつだ」
「馬鹿な。こんなもんが、なぜ、うちの工房に……」
「知らねえよ。でも姉さんが隠してたんだ。何か、意味があったに決まってる」
ヘクターは、油に汚れた指で慎重に、その古い設計図の紙をなぞった。長い、長い沈黙のあと、彼はぽつり、と口を開いた。
「――ロビン。お前、ひとつ覚えておけ」
「え?」
「ミリアムは、ワッツ見習いの中で、ここ数十年でオレが知る限り、一番才能があったやつだ」
オレは、思わず顔を上げた。
「あいつはオレの下で、たった半年で、他の見習いが五年かかっても届かねえところまで駆け上がりやがった。この工房でも、そんな才能は、オレの親父の代を含めてもいなかった」
「――」
「そのミリアムが、オレにも隠して、こんなもんを抱え込んでいた。……つまりだ、ロビン」
「……」
「あいつはこの設計図の意味を、既に、独りで把握してた。そんで、それを、他の誰でもなく、お前だけに託そうとした」
オレは、革の筒を両手で握った。
姉さん。あんたって、そういう奴だったのかよ。オレの姉さん、オレの頭を小突いて笑ってた、あの姉さんが、この工房通り全部の、誰よりも遠くを見ていた、ってことか。
オレはスーツの内側から風の太鼓を取り出して、手のひらに載せた。青白い光は、今は静かに脈動を休めていた。だが、オレの血の温度に確かに応えている。
「ヘクターさん」
オレは、ぽつりと切り出した。
「オレ、これ、完成させる」
「……本気か、ロビン」
「本気だよ」
オレは歯を食いしばった。
「じゃなきゃオレ、この先どう息していいのかもわかんねえんだよ」
誰かが、深く長く息を吐いた。それが返事の代わりだった。
地下倉庫の隅で、若い整備士のタラールが、ぐしゃぐしゃになった顔で立ち上がった。
「なあ、ロビン」
「……タラール」
「オレも、手伝わせてくれっすよ。姉さんの弟弟子として、それくらいの意地はあるっすから」
オレと同い年の、姉さんの弟弟子。彼は目を真っ赤にしていたが、口元だけは無理やり笑っていた。
その一言をきっかけに、地下の空気が、俄かに動き出した。
だが――オレたちは、まだ知らなかった。
この設計図の余白に、姉さんが細い文字で書き残した「あるひとつの警告」を、この夜、オレが発見してしまうことを。
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