第9話 抜かりはありませんよ

 お母さんの三回忌で驚いたのは、おじいちゃんが参列してくれたことだった。


 読経や焼香を終えると、おじいちゃんに手招きされた。背筋を伸ばしながら目の前に腰を下ろす。


「お前、そろそろ結婚するか」


「……え?」


「ちと前倒しになるが、愛翔を正式に指名しようと思う」


 まだしばらく先だと思っていた。

 それって、おじいちゃんが隠居するってこと……?


「なんで急に……」


「ちとまずいことが起きる前になァ。かたをつけることにした」


 懐から取り出した煙草に火をつけ、おじいちゃんは紫煙を吐き出した。その煙たさに私は一瞬眉を顰める。


「一体何が……」と聞き返した時だった。


 外から怒鳴り声のようなものが届く。

 おじいちゃんのそばにいた護衛に緊張が走った。

 いつの間にか愛翔さんと健翔も近くに寄ってきて、じっと外の様子を窺っている。


 灰皿に煙草を押しつけ、おじいちゃんは呟いた。


「……来たか」


 ドスドスと複数の大きな足音が近づいてくる。

 迷いなく真っ直ぐこの部屋へ来ると、襖を勢いよく開け放った。


「おい、クソジジィ。――いるか?」


 短く髪を刈り上げた男だった。

 三十は過ぎていそうで、目つきが悪い。

 隠そうともしない半袖半ズボンからは入れ墨が見えた。


「俺が久しぶりにシャバの空気を吸ったっていうのに、迎えも寄越さないなんて何考えてんだ、ジジイ」


「お前に敷居を跨ぐ許可は与えてないんだがよォ」


「オイオイ、水臭いこというなよ。かわいい孫だろ~?」


「ハンッ」と鼻で笑ったおじいちゃんは、ドスを効かせた声で言う。


「失敗作のお前なんて孫でもなんでもねぇよ」


 ……今、孫って言った?


 言われてみれば、おじいちゃんの面影がある顔立ちをしている。見つめていると、バチッと目が合った。


「あん? 誰だよ、その女」


 肩がビクッと跳ねた。

 この人が喋るだけで、空気が重くなる。

 愛翔さんが身を挺して、私を隠すように立ちはだかる。


「……美人だな。まさか愛翔の女か?」


「じろじろと見るな。彼女が穢れる」


「ビンゴかよ!」


 腹を抱えて笑い出した男に、おじいちゃんは大きなため息をついた。


「おい、丈一郎。お前の妹だ。……愛翔と結婚させる」


「は?」


「残念だが、跡目は愛翔と決めている」


 丈一郎って……。

 お父さんの前妻との間に生まれたっていう、お兄ちゃん? この人が?

 私はくらりとめまいがした。


『俺、はっきり言って、あの人嫌い』って健翔が言っていた。組のお金を使い込んで、愛翔さんを陥れようとした人だとも……。


 お兄ちゃんだという男は目を見開き、次の瞬間には鋭い眼光を向けてきた。


「お前が女狐の娘か。親父を誑し込んで、今度はお前が組の男を誑かしたって訳か」


「……」


「随分と目障りだな」


 息を呑んだ。

 生まれて初めて、殺意というものを向けられた気がした。

 目を逸らしたいのに恐怖でそれすらも叶わない。


「目障りなのはアンタだけどね」


 張り詰めた糸を断ち切るナイフのように、健翔が口を開いた。


「あ?」


「出てけよ。ここにアンタの居場所はない」


 手の届く距離まで詰めた健翔は、わずかに背の低い丈一郎を見下ろした。

 強く握りしめられた拳が見えて、いつでも殴りかかりそうだった。


「お前も誰だよ」


「……」


「……まさか愛翔の弟か。あのクソガキだった」


 まるで火に油を注いだかのように、丈一郎の顔が歪む。


「ケン坊」と、おじいちゃんが健翔を呼んだ。


「はい」


「ちんたらやってねぇでよォ、つまみ出しちまえ」


 その命令と共に、健翔の腕が丈一郎の胸ぐらを掴んだ。


「クソガキが! 離せよ……!」


 もちろん丈一郎は抵抗を見せる。けれど、必死にもがいても健翔の腕はびくともしなかった。

 丈一郎が連れてきた男たちが手を出そうとするも、おじいちゃんの護衛たちが取り押さえてしまう。


「お前ら覚えてろよ!」


 外へと引きずり出されながら、丈一郎は叫ぶ。

 憎しみを露わにした目だけは、ずっと私たちを見ている。

 私は鳥肌の立つ腕を押さえながら、胃が重くなった。


 丈一郎はつまみ出されたのに、いつまでも恐怖心がまとわりついてくる。

 ふと、私に覆いかぶさるように影が落ちた。


「嫌なものを見てしまいましたね」


 眉を下げた愛翔さんが、私の手を握りしめる。

 その温かさに、自分の手が冷たくなっていることに気づいた。


「……兄は出所していたんですね」


 愛翔さんの大きな手を見つめる。


「はい、つい先日」


「だから、みんなピリピリしてたんだ」


「お気づきでしたか……」


「さっきの光景を見て、納得しました」


 誰も歓迎していないのは明らかだった。


「気をつけてください、奏子さん」


「え?」


「幹部の中には丈一郎に肩入れしている者もいます」


「……そうなんですか?」


「反乱分子は片付けたつもりですが、腹の中が見えない奴もいます」


 愛翔さんは目を伏せる。

 その様子はどこか疲れているようにも見えた。


「俺の妻になるということは、あなたを危険に巻き込むリスクも高くなる。辛い思いをさせるかもしれません。でも、それ以上にあなたを幸せにするつもりです」


 プロポーズみたいなことを言い出すから、私は口ごもってしまう。

 愛翔さんってこういう覚悟を、素直に伝えすぎる。言われる方は身が持たない。


 カチッと小さな音が響いた。

 おじいちゃんが二本目の煙草に火をつけて、愛翔さんに目配せをした。


「愛翔よォ」


「なんでしょうか」


「女にうつつを抜かして足をすくわれるんじゃねぇぞ」


 私を間に挟んでそんなことを言う。

 愛翔さんは静かに微笑み、丁寧に言葉を紡いだ。


「抜かりはありませんよ。誰が相手だろうと」


 握られた手の甲を、絹を扱うようにそっと撫でられた。



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