第8話 あなたがいいんです

 ぽっかりと開いた心の空洞を埋められないまま、時間は流れていった。


 お母さんがいたことが嘘だったのかと思うほど家の中は変わらない。ただ、離れだけが残されていた。


 そして、季節は巡り、私は家からほど近い短大へ進学した。おじいちゃんが許してくれる唯一の選択だった。


 愛翔さんは忙しそうだけど、それでも時間ができるとデートに誘われた。

 行き先は人の少ない川辺だったり、夜景を見にドライブといったものだけど、嫌な顔をすることもなく付き合ってくれた。


「もうすぐ三回忌ですね」


 愛翔さんがカレンダーを見つめながら言った。

 彼の部屋の中で映画を観終わったタイミングだった。

 恋愛映画の余韻もそこそこに、私は頷いた。


「なんだか、あっという間でした」


 婚姻は、正式に跡目になってからということで保留のままだった。でも、周知の仲になっているという。


「ちょっと飲み物を取ってきますね」


 台所から軽くつまめるものも取ってこよう。

 今日はもう一本観る予定だ。


 廊下を歩いていると、すれ違った組員たちに挨拶をされた。中には新顔の若い人もいる。


「お嬢」


 一番後ろを歩いてきたのは健翔だった。

 金髪に染められた髪が目立つ。高校を卒業してすぐにこの色にした時は驚いたけど、今ではトレードマークみたいになっている。


「……また怪我してる」


 近くで見ると、頬の腫れは隠しようがなかった。

 健翔の生傷が絶えないのも、珍しいものではなくなっていた。


「無茶してない?」


「全然。強いから平気へーき


 へらっと笑われて、その笑顔を見るのがつらかった。


「健翔さんは本当に強いから大丈夫ですよ! いつも特攻して蹴散らしてくれるんですよ」


 そんな声が上がれば、余計に心配になる。

 まるで鉄砲玉みたいだと思ってしまう。

 私の表情を見た健翔はため息をついた。


「どうせ誰か行くなら、俺でいいじゃん」


「……」


「実際、どうにかなってるしね」


 なんで、そんな生き急ぐようなことを口にするの……。


「健翔が死んだら嫌だよ」


「……ヤクザに難しいこと言うね」


 死ぬくらいなら、なって欲しくなかった。


 なんで大学に行かなかったの?

 その言葉だけは飲み込んでいる。


 飲み物を抱えて部屋に戻ると、愛翔さんが笑顔で出迎えてくれた。


「奏子さんが好きそうな映画を見つけたので、次はこれでどうですか?」


 なんでだろう。

 愛翔さんだって危険なことしてるはずなのに、この人なら私を置いていかない気がする。


「猫のハートフルストーリーとか、愛翔さんは観るんですか?」


「大丈夫です。俺は奏子さんの反応を楽しむので」


 ……ジョークとして笑えば良いのか困る。



 *   *   *



 お母さんの三回忌も目前に迫っていたある日、家の中に流れる空気がおかしいことに気付いた。

 食事をしていても、組のみんなの会話が減っている。


 見た目は怖くても、明るいところも多いのに影を潜めているような。その違和感に心がざわついてしまう。


「愛翔さん、どうしたのかな……」


 一番戸惑っているのは、愛翔さんを包む雰囲気かもしれない。

 私の前ではいつもどおり笑っているのに、組員たちと向き合う時だけ、その表情は鋭く張り詰める。


 そして、一日を終えてお風呂を済ませた時だった。


「奏子さん」


 私の部屋の前に佇んでいた愛翔さんを見て、首を傾げる。

 スーツを脱ぎ、髪も洗ってあるからセットされていない。


「今夜、ご一緒してもよろしいですか?」


「へ?」


「何もしません。だから、そばにいさせてくれませんか」


 声は優しいのに、目は笑っていなかった。

 愛翔さんの様子がおかしい……。


「私でいいんですか?」


「あなたがいいんです」


 断ることなんてできなかった。

 意味もなく手ぐしで髪を整えて、ベッドの上に座った。

 部屋の中に通したのに、愛翔さんはドアの前から動かない。


「ベッドが狭いけど大丈夫かな。愛翔さんって大きいからはみ出しちゃいそうですね」


 緊張で声が震えた。

 笑顔を作っているつもりでも、うまく笑えているのか分からない。


「俺は床で大丈夫です」


「えっ」


 床なんて、布団も何もないのに。


「駄目ですよ! 狭いけど一緒に寝ましょう」


「……」


「どうしました?」


「少し、複雑です」


「え?」


 愛翔さんは何とも言い難い、微妙な表情でベッドに入った。私を壁際にして落ちないようにしてくれてるのかな。


 香水の匂いが消えていて、愛翔さんなのに愛翔さんじゃないみたい。


「……奏子さん、そんな目で見つめないでください」


「えっと、変な顔をしていましたか?」


 そうだとしたら恥ずかしい。

 顔を背けて唇を噛んだ。


「生殺しですね」と、小さな呟きが聞こえた気がしたけれど、意味はよく分からなかった。


 ベッドに広がった髪を見て愛翔さんが表情を緩める。


「随分と伸びましたね」


「全然切っていないので、ちょっと手入れが大変です」


「和装にするなら、長いほうが自由度が高いそうですよ」


 思わず目を見張る。

 こうやって、自然と結婚式の話を織り交ぜてくるから上手く返せない。


「奏子さんはドレスも綺麗でしょうけどね」


 私が返事に困っているうちに、会話は途切れた。

 よほど疲れているのか、愛翔さんはいつの間にか眠ってしまった。

 こんなに無防備な姿も珍しくて眺めてしまう。


 骨格が健翔とよく似ている。

 出会った頃は少年だった健翔が大人になっていくことで、愛翔さんに近づいた。

 性格は違っていても『兄弟』なんだって実感するかも。


「いつか話してくれるのかな」


 愛翔さんが抱えているもの。

 今の私には教えてくれないこと。


 ――遠い未来のことだと思っていた。

 けれど、その答えを知る日は、予想よりもずっと早く訪れる。


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