同意した人の名前を、誰が決めたのかを調べました
水桶の底に、石が一つ沈んでいた。
あの女が置いていったものだ。拳より少し小さい。布で包んで持ち上げると、確かに生ぬるかった。
朝の井戸水に一晩浸かっていたのに、握った手のほうが冷たい。
「魔力を含む石は、王都にもあります」
リゼッタが覗き込んだ。
「ですが、あれは触れば冷えます。使えば減るからです」
「これは減っていない」
「一晩では分かりません。ただ、減りにくいのは確かです」
それだけで、北の縁は候補になった。
俺は喜べなかった。あそこには人が住んでいる。
王立文書庫は、地下二階まで冷えていた。
魔力の節約で照明が半分に落ちていて、書架のあいだは昼でも暗い。紙と黴の匂いが鼻の奥に張りつく。
俺たちが探したのは、魔力の出る土地に人が住んでいた前例だった。
三つあった。
六十年前の北鉱脈。四十年前の東の温泉地。二十二年前の南の塩湖。
三つとも、同じ一行で終わっていた。
『住民の同意により移住』
「合法だ」
同行したギデオンが言った。財務側の彼が来たのは、俺が呼んだからではない。彼のほうから来た。
「当時の手続きに違反はない。私が確かめた」
「合法だとは思います」
俺は三冊を並べた。
「ただ、同意した人の名前を見てください」
六十年前の綴りには、署名が一つだけあった。
四十年前も一つ。二十二年前も一つ。
村ごとに、署名は必ず一名だった。
「代表者だな」
「その代表者を、誰が決めたのかが書いてありません」
リゼッタが別の棚から任命簿を運んできた。革の背が湿気で反っていて、開くのに両手が要った。
彼女は三か所に指を挟んで戻ってきた。
「三件とも、代表者は王国が任命しています。三人は別人ですが、任命した部署は同じです」
「どこだ」
「開拓地整備局。今は名前を変えて、辺境開発課になっています」
光輝が、俺より先に頁をめくっていた。
半年前の彼なら、この部屋に入って三分で退屈していただろう。今は指で行を追っている。
「移った先の記録が、途中で切れています」
彼が示したのは六十年前の綴りだった。
「移住先の人数が、一年目は二百十四人。二年目は百九十。三年目から書いてありません」
「書く義務が消えたんだ」
ギデオンが言った。
「移住が完了した時点で、その村は台帳上の村でなくなる。以後は移住先の領の人口へ混ざる。制度としては、そうなっている」
「減ったのか、混ざっただけなのか、分からないということですね」
「分からない」
彼は認めた。それから、綴りを閉じるのに少し時間をかけた。
「私は今日まで、この三件を成功した前例として説明してきた。数字は残っていると思っていた」
地下の冷気の中で、彼の言葉だけが乾いていた。
俺は石を布の上に置いた。
「北の縁は、四件目にはしません」
「では、どうする」
「測量隊を出す前に、決めておきたいことがあります。誰が同意できるかです」
俺は紙を借りて、三行だけ書いた。
同意は世帯ごとに取る。代表者一名の署名を村の同意とみなさない。
断った世帯があっても測量はできるが、その世帯の土地からは採らない。
同意の撤回は、採取が始まった後でもできる。
「三つ目は無理です」
技師が即座に言った。
「掘り始めてから撤回されたら、費用が全部無駄になります」
「なります」
「三か月しかないんですよ」
「間に合わないかもしれません」
俺は正直に言った。
「ただ、間に合わせるために同意を一枚にまとめたのが、この三件です。四件目を作って三か月を延ばしても、次の誰かが同じ書架でこの綴りを読みます」
技師は黙った。納得したわけではなさそうだった。
ギデオンが先に頷いた。
「二番目までは通す。三番目は、撤回された場合の補償を財務で持つ形にしなければ通らない」
「補償の額は」
「まだ言えない。だが、持つ側を先に決めておく。持つ側が決まっていない権利は、実際には無い権利だ」
それは彼の言い方で、俺の側に立つという意味だった。
書庫を出ると、外の空気が生ぬるく感じられた。地下が冷えすぎていただけだ。
荷車の支度は明日で間に合う。北の縁へは先触れを出して、こちらが行く日を伝えてから入る。
そう言うと、リゼッタが足を止めた。
「先触れは、要りません」
「なぜです」
「もう着いています」
彼女は手にした一枚を見ていた。文書庫の受付で渡された、閲覧記録の写しだった。
「辺境開発課が、六日前に同じ三冊を閲覧しています。閲覧者は測量官三名。行き先は北の縁」
六日前。
あの女が集落の名を台帳へ載せてもらった、次の日だ。
「向こうはもう、人が住んでいることを知っています」
リゼッタが言った。
「知ったうえで、先に出ています」
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