買い戻した切符を、使う日までは決めませんでした

帰還権の買い戻しは、興行の翌朝に行われた。


 委員会の執務室へ、バン本人、ドーレン、基金の監督役、立会人として俺とリゼッタが入る。


 机の中央には、十五年間引き出しに入っていた紙があった。


「買い主を確認する」


 ドーレンが言った。


「そよかぜ基金ではない。凪でもない。バン・アルダ本人」


「間違いない」


 バンが答えた。


「代金は昨日の入場料一割から前貸し。返済方法は、勇者債務の助言業務。興行への出場義務は付けない」


 リゼッタが条項を読み上げた。


「期限前返済も、返済停止も、本人の申請で再協議できます」


「ずいぶん甘い借金だな」


 バンが言う。


「借り手が逃げられない借金を、俺たちはもう見過ぎました」


 俺は答えた。


 最後に、委員会の保管印が剥がされた。


 帰還権譲渡証は、バンの手へ戻った。


 紙一枚だった。


 十五年を取り戻す音はしなかった。光も出ない。誰かが泣くこともない。


 バンは紙を折らず、両手で持っていた。


「今、使いますか」


 ドーレンが聞いた。


「使わん」


 即答だった。


「帰りたくないのか」


「分からん。だから、分かるまで俺が持つ」


 売った時は、九人を帰すために決めた。買い戻した今は、自分一人のために決めてよい。


 その時間まで、紙と一緒に戻ったのだ。


 ◇


 午後、基金の最初の助言窓口が開いた。


 来たのは三人。治癒魔法を使うたび薬代が増える女。鎧の修理費を討伐報酬から先に引かれる男。帰還権の値を聞かれた少年。


 バンは少年の書類だけ、机へ戻した。


「値を聞かれただけなら、売るな。売りたい理由を自分で言えるまで判を押すな」


「でも、今月の返済が」


「返済の話は基金へ持っていけ。帰還権は返済の話と同じ机で決めるな」


 十五年前、自分には無かった順番を、この男は最初の相談者へ渡した。


 俺は基金規約へ新しい一行を加えた。


『本人の同意のない権利移転を、共同基金は債務整理の手段に用いない』


 光輝が一番に署名した。


 次に、帰還権を持つ勇者たちが署名した。


 バンは最後だった。


「俺が署名すると、昔の売買まで間違いになるか」


「なりません」


 俺は言った。


「これから同じ順番を使わないと決めるだけです」


 彼は判を押した。


 第3章で俺たちが買い戻したのは、一人の切符だけではなかった。


 権利を売る前に、本人が考える時間を取れる仕組みが残った。


 ◇


 夕方、ギデオンが基金事務所へ来た。


 彼は完成した規約を読み、何も褒めなかった。


「一章ぶん、借金を人へ戻したか」


「借金は残ってます」


「残すべき借金もある」


 ギデオンは黒い帳簿を机へ置いた。


 王国の財務卿名義。封は切られていない。


「次を開くかは、君が決めろ。これは勇者一人の債務ではない」


 表紙の下に、小さく書かれていた。


『王国魔力準備金 残存見込 三か月』


 俺は帳簿を開かなかった。


 まず、今日戻った切符を本人が持って帰るのを見届けた。


 次の借金は、明日、誰と開くかを決めてから読む。


 一人で先に答えを出さないことも、俺が第3章で覚えた返済方法だった。

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