天国を何か、別の言い方で

『吸血鬼は神が放り込んだオモチャだって見方がある。

 悪魔呼ばわりで吸血鬼を迫害する人間を、神は天から眺めて嘲笑ってるんだと。

 仮にこの見方が正しいなら、その遊びにも飽きた神が今度は日光に耐える吸血鬼を生み出したとしても、俺は別におどろかない。

 少なくとも俺は、神に善良さなんざこれっぽっちも期待しない』


 球地たまちと別れてターゲットの会社へと向かう途中、月生げっしょうはそんな風に言っていた。

 あんな夢を見たのはきっとそのせいだ。


 夢の中での太陽は、日光が平気になっていた。

 ずいぶん久しぶりに青空の下を駆け回り、コウモリに変身して鳥たちと競うように飛ぶ。

 ひとしきり楽しんだ後、銀十字への復讐に出かけた。

 太陽だけじゃない。

 加賀美ライラが先頭に立ち、軍勢と言っていい数の吸血鬼がそれに従う。

 耐性を得たのは日光だけじゃない。聖銀だって触っても何ともない。

 対抗手段を失った銀十字の連中は臆面もなく命乞いをしてみせた。

 だってしかたないだろう。

 神様があんたらを悪魔だと言ってるとしか思えなかった。

 謝るから。金を払うから。これからは仲良くしよう。

 命乞いに耳を貸さず、仲間たちは奴らを力任せに八つ裂きにしてやった。

 大好きな聖銀の十字架で殴り殺してやった。

 誰も血を吸おうとはしなかった。穢れた血を入れたくない。


 貧相な中年男が跪いていた。

 哀れなくらい小刻みに震えて、小便を漏らして太陽の靴を必死に舐める。

 天道国光てんどうくにみつ

 忘れるはずもない男だった。

 かつてハンターと手を結んで大勢の吸血鬼の居所を売り渡した男だ。

 太陽は一切躊躇することなく、その首に手をかける。


 微かな物音で目を覚ました。

 視界には闇が広がる。

 ヘブン探偵事務所は太陽と月生、二人の住まいも兼ねている。

 リビングを事務所に、和洋一つずつある六畳間をそれぞれの私室に。

 太陽の部屋は和室で、畳のど真ん中に置かれた「棺」でいつも眠っている。

 日光を完全遮断し、衝撃にも高温にも耐え、内部は低反発のクッションで寝心地もいいすぐれものだ。

 視覚の働かない暗闇で他の知覚はより存在感を増す。

 耳に届く音は足音だ。建物の外から。

 月生ではない。大家とも他の住人ともちがう。

 配達人か。しかし明らかに警戒心をうかがわせる、潜めた音。

 蓋を開ける。慣れた手つきで電灯の紐を引く。

 明るくなっても、やはり足音は変わらず聞こえた。少しずつ近づいてくる。

 音だけじゃない。普段の事務所には存在しない匂いがうっすらと漂う。

 嗅ぎ覚えがあった。あれはつい最近。

 そして。

 もっとわかりやすい音が続いた。

 ガラスが割れる。

 破片が事務所の床に散らばる。

 その音の意味と、その先にある恐怖が太陽を駆り立てる。

 

「こらっ」

「あ」


 遮光スーツに着替えて和室を飛び出し詰め寄った太陽に、その人物は悲鳴を漏らして後ずさった。

 割られたのはキッチンの冷蔵庫脇、勝手口の窓の右下部分。ちょうどシリンダー錠のすぐ上だ。

 音で頭に浮かんだ通りの光景だった。

 割れた窓越しに犯人と対峙する。

 勝手口はアパートの裏庭に面していて、そこにいたのは予想通り、先日自分を化物呼ばわりした少女。

 遮光スーツのアイカメラでは輪郭くらいしかわからないが、思い当たるのは彼女だけだった。

 恐らく私服姿で、左手にハンマーらしき物体をぶら下げている。


「何で!?」


 やっぱり彼女だ。明らかに余裕のない、裏返った声。


「何でって」

「休みの日じゃないの?」


 たしかにこの日は事務所の定休日だった。

 ホームページでも告知しているし表のドアにClosedのプレートを提げている。

 事務所を閉めているだけで月生げっしょうは今日も今日とて浮気調査の尾行中。明かり消えた事務所は無人と思われておかしくない。


「ここ、家だから。住んでるんだよ」

「知ってる」

「知ってるの?」

「それに、電話出なかったじゃん」

「ああ。ベル壊れてるの。かかってきてもならなくて」

「……」


 なんとも間抜けな構図に真昼は言葉を失う。

 何だか泥棒みたいだなと思った。留守なのを確かめた上で来るのも、ツマミの真上を割っているのも。

 でも、そうじゃないことを知っている。

 吸血鬼にとって何より恐ろしい事態。

 昼間に住処のドアや壁を破壊され、日光を浴びせられること。

 直接対峙しないこの殺し方はハンターの常套手段だ。

 毎年多くの吸血鬼が穴の空いた自宅を残してになる。

 目の前の彼女もそんなハンターの集団・銀十字の一員。


「っ」


 大きく舌打ちすると真昼は逃げようとしたのかその場を走り出す。

 しかし焦りもあってか足下の窪みに躓きバランスを崩してしまう。

 踏みとどまろうとするも叶わず、つんのめった彼女はそのまま前に倒れてゆく。

 それを見て「あっ」と思ったところで、普通は助けようとしても間に合わない。

 真昼は外、太陽は家の中なのだから。

 シリンダー錠を回し、ドアから外へ、倒れる前に抱きとめる。

 人間ならどんなに急いでも三、四秒はかかりそうだが吸血鬼なら一秒足らず。


「大丈夫?」

「……触んなっ!!」


 身を捩り手にしたハンマーを振り回す。

 それが太陽のこめかみに命中する。ごんっと鈍い音が鳴る。


「あ、……ご、ごめ」

「平気だけど」

「ホントにっ?」


 ハンマーを投げ捨て、当たった箇所を撫でるように触る。

 吸血鬼は人間に殴られたくらいじゃ痣一つできない。

 破れたら即死の遮光スーツも極めて丈夫にできている。

 だから大したことじゃない。

 おどろかされるのは真昼の狼狽えぶりだ。青ざめた顔が目に浮かぶ。

 あんな真似をしておいて、殴っただけでこの変わりよう。


「僕を殺しに来たんじゃないの?」

「……っ、そ、そうだけど?」

「ホントに?」

「ウザ」


 そもそも留守なのを確認して行為に及んだ様子だった。

 はじめから嫌がらせ以上の 意図はなかったのかも知れない。


「ライラ、殺したい?」

「キモいんだけど」

「見つけても、超強いよライラ。殺されるよ」

「そんなんでビビると思ってんの? 知ってるでしょ? お母さんの仇」

「ライラは僕らが捕まえる」

「何言ってんの?」


 当然、少女は全く納得した風ではなかった。


「あんた、仲間でしょ?

 ライラを生贄にして人間に取り入ろうっての?」

「ホントに吸血鬼はみんな悪魔だと思ってる?」


 その言葉に、真昼の心拍が明らかに早まる。


「お母さんとかがそうだったとしても、キミは思ってないんじゃないの?」


 しばしの沈黙。

 自分の心臓が鎮まるのを、彼女自身待っていたのかも知れない。

 やがて鼓動が落ち着いた。

 しかしそれは、受け入れたということでは決してなく。


「吸血鬼が悪魔かなんてどうでもいい。

 ライラが悪魔なのは決まってんの。殺すしかないじゃん。

 殺して何が悪いの?」

「殺していい人なんかいない」

「あ?」

「どんな悪い奴も、生まれた時から悪人じゃない。

 悪いことだけして生きてるわけじゃない。

 だから、どんなに殺したくてもホントに殺すのはダメだよ」

「黙れ」


 冷え切った声が響いた。

 ハンマーを拾い、また振りかぶる。

 太陽は避けなかった。当たる寸前でぴたりと止まる。

 手が震えている。


「頭おかしいの? 

 赤ちゃんの頃は悪くなかった? なにそれ。

 今クソなら意味ねえだろ。

 悪いことだけしてるわけじゃない? 知らねえよ。

 悪いことしなきゃいいだろ」

「悪いことしたって思わせなきゃダメだよ。

 ちゃんと謝らせなきゃ。

 殺したらそういう可能性全部ゼロじゃん」

「最初っからゼロなの!

 ああいう奴はやり得としか思ってないから。

 叱られて反省するような奴はあんなことしない。

 反省するフリして舌出すだけ」

「ずっとそうかはわかんないよ。言い続けるしかない」

「一人でやってろよ。

 反省とか謝るとかいいから。ありえないから。

 殺すしかない。私は刺し違えてでも殺す」

「……殺させない」

「言ってろよ」


 太陽の決意を鼻で笑うと、真昼は立ち上がり、茂みをかきわけ立ち去っていく。

 事務所に入り、勝手口の内戸を下ろすとスーツを脱ぐ。

 甘い残り香が鼻腔をくすぐる。

 彼女の存在を知らせてくれたあの香りだ。

 匂いだけがふわりと優しい。

 彼女の心を慰めることがないのが悲しかった。

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