第13話 嘘告が生む瞬間
一方その頃、四限目の終了直後の教室では、神木さんを中心とした女子たちが、周囲へ聞こえないように声を潜めながら、僕への陰口で盛り上がっていた。
昼食へ誘い合う声や机を動かす騒がしい音が重なる中、彼女たちは自分たちが見下していた底辺の男が注目されることを、どうしても受け入れられないらしい。
「ねえ、最近のなつめ、ちょっと調子に乗ってない?」
「分かる。急に見た目がよくなって、才女たちから構われるようになったから、自分が人気者になったと勘違いしてるんじゃない?」
「姫月さんと付き合ってるからって、偉くなったわけじゃないのにね」
友人から同意を求められた神木さんは、机の上に置いたスマートフォンを爪先で弄びながら、面白くなさそうに唇を尖らせていた。
少し前まで自分だけを見ていたはずの僕が、今では自分へ視線すら向けないという事実が、彼女のプライドと苛立ちを酷く逆撫でしているようだった。
「影久のくせに、姫月さんたちに囲まれて得意げな顔してさ」
「本当に。少し顔がよかったくらいで、今まで陰キャだった事実は変わらないのに」
「一回、現実を分からせてあげたほうがよくない?」
友人の言葉に、神木さんはスマートフォンを見つめたまま、何かを思いついたように酷く歪んだ口角を上げた。
その邪悪な笑みは、かつて僕へ残酷な嘘の告白をした時と、全く同じものだった。
「私、いいこと思いついた」
※ ※ ※
――そして現在。
空き教室で椎名さんと別れたあと、僕は一年二組の教室へ戻るため、第二校舎の廊下を歩いていた。
人気のない古い廊下には、僕の足音だけが静かに響いている。
僕の頭の中にあったのは、先ほど椎名さんから聞いた、彼女の気になる人の話だった。
いったい、どのような人なのだろうか。
きっと僕なんかより格好よくて、頭もよくて、彼女の静かな性格を理解できる人なのだと思うと、何だか少しだけ胸の奥が落ち着かなかった。
そんなことを考えながら曲がり角を通り過ぎようとした時、廊下の先に数人の女子生徒が立っていることに気づいた。
神木さんと、いつも一緒にいる友人たちだった。
「ちょっと、なつめくん」
神木さんが、以前と変わらない親しげな呼び方で僕を呼ぶ。
その猫なで声を聞いただけで、胸の奥にある古い傷口を抉られたような痛みが走った。
「……何ですか?」
「そんな怖い顔しないでよ。少し話がしたいだけだから」
「僕は、あなたたちと話すことはありません」
僕は足を止めず、そのまま彼女たちの横を通り過ぎようとした。
だが、神木さんの友人が動いて、僕の進路をあからさまに塞ぐ。
「最近、随分調子に乗ってるよね?」
「姫月さんの彼氏になったからって、急に偉そうじゃない?」
「僕は偉そうにした覚えはありません」
「自覚ないんだ」
「才女たちに囲まれて、気持ちよくなってるんでしょ?」
下品にクスクスと笑う彼女たちに対し、以前の僕であれば、何も言い返せずに俯いていたかもしれない。
けれど今の僕には、三郷をはじめ、僕を人間として信じてくれる大切な人たちがいる。
「僕が誰と話すかは、あなたたちには関係ありません」
自分でも驚くほど、冷たく落ち着いた声が出た。
「さに、僕を馬鹿にして楽しむために呼び止めたのなら、もうやめてもらえますか」
「生意気」
誰かが小さく吐き捨てた直後、神木さんが僕の目の前へ、勝ち誇ったようにスマートフォンを突き出してきた。
「ねえ、なつめくん。これ、なーんだ?」
発光する画面に映っていた映像を見て、僕の全身の血が凍りついた。
放課後の校舎裏、神木さんから告白された僕が、嬉しさを隠しきれないまま、自分も好きだったと赤面して告げている――あの日の、嘘告の動画だった。
僕が想いを伝えた直後、神木さんがそれを罰ゲームだと明かす直前の、最も惨めな瞬間で映像は止められている。
「……撮っていたんですね」
「うん。せっかくだから、記念にね。私が嘘告をした動画だからね」
神木さんは悪びれもせずに、くねくねと身体を揺らして笑った。
「これだけ見たら、どう見えると思う?」
脳裏を最悪の予感が過る。
「姫月さんと付き合ってるなつめくんが、私に告白してるように見えるよね?」
「その動画は、僕が三郷と付き合う前のものです」
「でも、そんなの他の人には分からないじゃん」
神木さんの友人たちが、手を叩いて下卑た笑い声をあげる。
「今撮った動画だって言えば、皆信じるかもね」
「姫月さんという彼女がいるのに、元好きな女子へ告白した最低男」
「学校中に広まったら、才女たちも離れていくんじゃない?」
あまりにも身勝手で、吐き気のする言葉だった。
自分たちが僕の好意を利用して弄び、嘘の告白で傷つけたその動画を、今度は僕を脅迫するための道具として使おうとしている。
「何が目的ですか?」
「簡単だよ」
神木さんはスマートフォンを胸元へ戻すと、冷酷に目を細めた。
「姫月さんと別れて」
「……は?」
「それから、あんたに近づいてる才女たちにも、もう関わらないでって言って」
「どうして僕が、そんなことをしないといけないんですか?」
「最近、見ていてムカつくから」
神木さんの表情から、完全に偽りの笑みが消え失せる。
「少し前まで、私のことしか見てなかったくせに。私を無視して、姫月さんたちと楽しそうにしてる。だからって、急に人気者になるのは違うじゃん」
どこまでも筋の通らない、自己中心的な狂論だった。
自分は僕を好きではないし、彼氏もいる。それなのに、自分へ好意を向けていた玩具が、別の誰かから大切にされることは許せないというのだ。
「この嘘告の動画を拡散されたくなかったら、言うことを聞いて。そうすれば、動画は誰にも見せないから」
「どうするの、なつめくん?」
「姫月さんに浮気男だって知られたくないよね?」
人気のない廊下に、彼女たちのいやらしい笑い声が反響する。
あの日と同じ、僕が傷つく姿を見て、彼女たちは快感を得ているのだ。
僕が怒りで奥歯を噛み締め、言葉を返そうとした、その時だった。
「へえ」
廊下の曲がり角から、低く、けれどどこか冷徹な響きを孕んだ穏やかな声が聞こえた。
「そうなんだ」
確かな足音とともに現れたのは、立花凛花さんだった。
青みがかった美しい黒髪を揺らし、普段と変わらない柔らかな微笑みを浮かべているが、その瞳の奥には一切の光がなかった。
「凛花さん……」
僕が名前を呼ぶと、凛花さんは一瞬だけ、胸を痛めるように痛切に眉を寄せた。
「ごめんね、なつめくん。今は少し下がっていて」
凛花さんは僕へ静かに告げると、そのまま僕を背中に隠すようにして、神木さんたちの正面へと毅然とした態度で立った。
モデルをしている彼女の華奢な背中だったが、今の僕には、どんな壁よりも頼もしく見えた。
「神木さん、だったよね? 今の話、全部本当なの?」
あくまで穏やかに問いかける凛花さんに対し、彼女が事情を知らない部外者だと思った神木さんは、自信を取り戻したように胸を張った。
「そうだよ。なつめくんは姫月さんっていう彼女がいるのに、私に告白してきたの」
「この動画が証拠」
「浮気しようとしてる最低な男だよ」
友人たちも次々と神木さんへ同調し、凛花さんへ向けてまくしたてる。
「立花さんも気をつけたほうがいいよ」
「顔がよくなったからって、女の子を騙してるんだから」
その醜悪な言葉を浴びせられながら、凛花さんは静かに目を伏せた。
彼女はすでに、三郷から僕が嘘告をされたという過去の事情を全て聞いていた。
ただ、人の本気の好意を笑うためだけに、そこまで残酷なことができる人間がこの世に本当にいるという事実を、純粋な彼女はどこかで信じ切れずにいたのだ。
けれど今、神木さんたちは自分の口でその悪行を認めた。
「そっか」
凛花さんが、ゆっくりと僕へ顔を向けた。
「なつめくん」
「はい……」
「それは最低だね」
一瞬、胸がどん底まで沈んだ。凛花さんも、僕を信じてくれないのだろうか。
しかし次の瞬間、彼女は僕を見つめながら、消え入りそうなほど申し訳なさそうに微笑んだ。
「私が、こんな人たちは本当にいないんじゃないかって、少しでも思っていたことが。ごめんね。姫月さんから聞いた時、あなたの話を疑っていたわけじゃないの。ただ、誰かの本気をそんなふうに弄べる人が本当にいるなんて、信じたくなかった。でも、今ので全部分かった」
凛花さんが神木さんたちへ視線を戻した瞬間、その顔から柔らかな微笑みが完全に消失した。
「本当に最低なのは、あなたたちのほうだよ」
「なっ……」
「私全部聞いていたから」
凛花さんは制服のポケットからスマートフォンを取り出した。
画面には、音声録音の波形が鮮明に表示されている。
「何それ……?」
「録音。私、一応モデルや芸能関係の仕事をしているから。人気のない場所で複数人の話し声が聞こえた時は、自分を守るために録音することがあるの。あなたたちが、なつめくんの進路を塞いだところから全部入ってる」
凛花さんが冷淡に画面の再生ボタンをタップする。
誰もいない廊下へ、つい数分前の、神木さん自身の醜い声が響き渡った。
『姫月さんと別れて』
『この嘘告の動画を拡散されたくなかったら、言うことを聞いて』
決定的すぎる証拠を突きつけられ、神木さんたちの顔から一気に血の気が引いていく。
「ま、待ってよ」
「それ、消して」
「どうして? あなたたちは、なつめくんの動画を消すつもりがなかったのに?」
「それとこれは違うでしょ!」
「何が違うの?」
凛花さんの声はどこまでも静かだったが、それは逃げ道を一つずつ冷徹に塞いでいくような、恐ろしい問いかけだった。
「なつめくんの好意を利用して嘘の告白をした。その姿を勝手に撮影した。今度は都合のいい部分だけを拡散すると脅し、交際相手と別れさせようとした。それって、ただの悪ふざけでは済まないよ」
「私たちは、冗談で……」
「なつめくんは笑っていない」
凛花さんの一言で、廊下の空気が完全に凍結した。
「傷つけられた本人が笑えないことを、冗談とは呼ばない。あなたたちは、なつめくんが優しいから、何をしても反撃されないと思ってたんだね」
神木さんたちは激しい恐怖に、ただがたがたと唇を震わせる。
「この録音は、学校中には広めない。拡散したら、嘘告されたなつめくんのことまで勝手に広めることになる。彼の気持ちを無視して、あなたたちと同じことはしたくないから」
凛花さんは僕の尊厳を何より先に考えてくれていた。
その気高い正義感に胸が熱くなる。
「でも、証拠としては残しておく。次になつめくんへ何かしたら、この録音を担任と学校へ提出する。必要なら、保護者にも聞いてもらう。だから今すぐ、その動画をここで削除して。スマートフォンの中だけじゃなくて、削除済みのフォルダも、クラウドも、全部」
「分かった……」
神木さんは悔しさに唇を噛みながら、震える指でスマートフォンを操作した。
友人たちも同様に、保存されていた動画を完全に消去していく。
凛花さんは一人ずつの画面を冷徹に確認し、バックアップがないことまで徹底的に詰め切った。
「なら、次。なつめくんへ謝って」
「どうして私が……」
「自分のしたことが分かっていないなら、このまま職員室へ行こうか」
凛花さんが容赦なくスマートフォンを持ち上げたその瞬間、神木さんの隣にいた友人が恐怖に耐えかねて声を上げた。
「ご、ごめんなさい!」
「ちょっと、何勝手に謝ってるのよ!」
「だって、先生や親に知られたくないし! 私も、蜜璃に言われただけだから!」
もう一人の友人も、蜘蛛の子を散らすように神木さんから距離を取る。
「嘘告しようって最初に言ったのも蜜璃だし、今回この動画を使おうって言ったのも蜜璃だから!」
「はあ!? あんたたちだって面白がってたでしょ!」
「でも、ここまでしようとは思ってなかった!」
「そうだよ! 別れさせるなんて、蜜璃が勝手に――」
先ほどまで強固に見えた悪友たちの絆が、一瞬にして崩壊し、醜い責任の擦り付け合いが始まった。
「蜜璃が影久のことを気にしてるから、付き合ってただけだし」
「最近ずっと影久の話ばかりで、正直うんざりしてた」
「自分は彼氏がいるのに、影久が姫月さんと付き合ったら邪魔するって、おかしいと思ってた」
「なっ……」
神木さんの顔から、怒りすら消えた。
信じていた友人たちから一斉に浴びせられた辛辣な本音に、ただ呆然と立ち尽くしている。
「もう私たちを巻き込まないで。今回のことは謝るから。蜜璃とも、少し距離を置く。本当に、ごめんなさい」
二人は僕へもう一度深く頭を下げると、絶望する神木さんを置き去りにして、足早に廊下を去っていった。
「待ってよ。ねえ、待ってってば……」
神木さんの弱々しい声に応える者は、もう誰もいなかった。
人気のない廊下に残された神木さんは、スマートフォンを握り締めたまま、惨めに俯いている。
神木さんが自分で選んだ悪意の結果が、因果応報となってそのまま彼女へ返っただけだった。
「……全部、なつめくんのせいだ。私が声をかけなかったら、今も誰にも相手にされてなかったくせに」
神木さんが顔を上げる。その瞳には、逆恨みの怒りと悔しさがドロドロと滲んでいた。
胸が僅かに痛んだが、僕はもう、今度は絶対に目を逸らさなかった。
「そうかもしれません。でも、だからといって、僕を傷つけていい理由にはなりません。神木さんが優しくしてくれたことは、嬉しかったです。だから、本気で好きになりました。でも、僕の気持ちを笑ったのも、その気持ちを使って脅したのも、あなたです」
自分の過去の弱さと決別するように、僕は真っ直ぐに彼女を見据えた。
「もう、あなたのことを好きだった頃の僕はいません。これ以上、僕の大切な人たちへ手を出さないでください」
三郷も、笹浪さんも、椎名さんも、天音さんも。 そして、今目の前で僕を守ってくれた凛花さんも。
神木さんの身勝手な嫉妬で傷つけられていい人たちではないのだ。
「行って。次は、本当に先生へ話すから」
神木さんはついに何も言い返せなくなった。
逃げるように廊下の向こうへ去っていく彼女の隣には、もう誰もいなかった。
※ ※ ※
神木さんの姿が見えなくなると、張り詰めていた緊張が一気に解け、僕は近くの壁へ手をついた。
「なつめくん、大丈夫?」
凛花さんが、心配そうに僕の顔を覗き込んできた。
「はい。少し、力が抜けただけです」
「怖かったよね」
その一言を聞いた瞬間、胸の奥へ押し込めていた震えが、じんわりと融解していくのを感じた。
彼女は僕の手へ、自分の温かい手をそっと重ねてくれた。
「好きになるような態度を取られて、その気持ちを信じた。なつめくんは、誰かの好意を大切にしようとしただけ。それを笑うほうが間違ってる。それと、ごめんね。傷ついた本人の前で話を聞いたのに、信じ切れなかったんだから、謝らせて。ごめんなさい、なつめくん」
「……ありがとうございます。僕のことを疑っていたわけではないって、ちゃんと伝えてくれたからです」
僕が無理に笑うと、凛花さんは愛おしそうに目を細め、僕の乱れた前髪をそっと指先で整えた。
「本当に、優しすぎるよ。だから、もう二度と疑わない。なつめくんが辛いと言った時は、私はその言葉をそのまま信じる。あなたの優しさは、馬鹿にされるようなものじゃないから」
彼女は僕の手をきゅっと握りしめ、包み込むような温かさで微笑んだ。
「録音は、なつめくんが嫌なら消す。証拠として残したほうが安全だけど、勝手に持っているのが嫌なら、今ここで消すよ」
「いえ。念のため、凛花さんに持っていてもらえますか」
「分かった。絶対に誰にも聞かせない。それから、何かあったら一人で抱え込まないで。三郷さんでも、笹浪さんでも、私でもいい。頼って」
「凛花さんにも、頼っていいんですか?」
「もちろん。むしろ、私を一番に頼ってほしいくらい」
少し照れたように笑う凛花さんに、僕は素直な気持ちを伝えた。
「一番は難しいですけど……凛花さんのことは、すごく頼りになる人だと思っています」
「……そういう返しをするんだ。変じゃない。嬉しすぎて困っただけ」
凛花さんは一度顔を逸らし、赤くなった頬を手で隠したあと、少しだけ悪戯っぽく微笑んだ。
「ところで、なつめくん。六限目、体育だよね?」
「そうですね。確か一年四組と合同で、バドミントンだったと思います」
「正解。じゃあ、さっき助けたお礼として、お願いを一つ聞いて。バドミントン、私とペアを組んで」
「それだけでいいんですか?」
「それだけがいいの。私を立花凛花としてではなく、一人の人として見てくれる。そういうところが、好き」
「す、好き!?」
「うん。なつめくんこと、人並み以上には好きだよ」
「えええええっ!?」
人気のない第二校舎に、僕の情けない叫び声が響き渡る。
凛花さんは鈴を転がすように楽しそうに笑いながら、僕の手を強く握ったまま離さなかった。
「まずはバドミントンからね」
「まずはって、何がですか?」
「これから、なつめくんにもっと私を好きになってもらう計画」
「け、計画!?」
「神木さんが手放したことを、一人で何度も後悔するくらい、私が、なつめくんを大切にするから」
僕の耳元に顔を寄せ、熱い吐息と共に囁かれたその言葉は、誰かへの当てつけでも、僕を利用するための嘘でもない。
立花凛花という一人の少女が、僕の全てを包み込もうと決めた、本物の、あまりにも甘い好意の証明だった。
―――――――――――――――――――――――――――あとがき!!
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
少しでも続きが気になった方は、これからの執筆へのモチベーションに繋がりますので、作品フォロー&★評価機能で応援いただけると大変励みになります!
すでに応援いただいている読者様には感謝しかないです! 頑張って続きを書いていきますので、よろしくお願いします!
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―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
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