26. 殺す以外の方法

 弟がいなくなっても戦は止まらなかった。いなくなった二人に構うなというように、隣国の攻撃の手が止まない。国政には優先順位があり、指名手配など出している場合ではない。立太子前の王子、不吉な存在とされたリコリスの行方は捨て置かれた。


 凶作と疫病が作った空白に隣国の軍勢が押し入り、鴉の国は一季で敗れた。国ごと接収され、王と王妃は処刑。貴族たちは地位を失う。ローワンはエルダーウッドの家名を失った。


 それでも石を投げられた。


 市場で、路地で、かつての領民たちがローワンを見つけると石を拾った。「あの化け物の兄」「お前の家がこの国を滅ぼした」。

 リコリスを突き上げた、ガレット卿と同じ目をしていた。


 もう、この国にはいられない。ローワンはひっそりと、ひとりで出立した。


 国を出て南に歩いた。行く宛てはない。


 峠を三つ越えた先に修道院があった。門番の修道士が、傷だらけの若者を見て中に入れてくれて、温かい粥を出してくれた。

 泣きながら食べた粥の味を今でも覚えている。


 修道院長は名前も家柄も訊かず、「身を寄せますか、代わりに働いていただきますが」とだけ言った。

 ローワンは頷いた。


 写本の修復を手伝い、薬草を刈り、井戸から水を汲んだ。修道院の朝は早く、夜は短かった。

 祈りの時間に、こっそりと隣で膝をつく修道士たちの横顔に目をやっていた。信仰を持っている人間の顔を見る。

 ローワンに信仰心はない。

 あったのは、弟にかかった呪いのようなものの祓い方を知りたいという、祈りとは呼べないものだった。


 教会の書庫に入り浸った。リコリスの身に起きていることは、悪魔の仕業か、呪いか、神罰か。祓えるものなのか。殺す以外の方法があるなら知りたかった。


 祓魔師の叙階は程なく得た。下級聖職のひとつに過ぎず、修道院で規定の課程を修めれば認められる。しかし叙階を受けてすぐにわかった。下級の祓魔師に許されるのは洗礼時の祈祷だけで、本物の悪魔祓いには司祭の位と司教の認可がいる。司祭になるには神学の修練にさらに何年もかかると告げられた。そして当たり前であるが、才能がなければ祓えない。

 ローワンは書庫に戻った。祓い方ではなく、教会が「悪魔の仕業」をどう立証してきたかを調べ始めた。


 そこで知ったのが、聖人を認定する手続き、奇跡の検証方法、偽りの聖性を論証で退ける技法。反証者と呼ばれる役割だった。

 聖人候補の奇跡に異を唱え、論証で反駁する。紛い物を暴く仕事。


 ローワンには適性があった。噂と事実の区別がつけられる。弟の傍で、人が壊れていく過程を記録し続けてきたのだ。人が救われる記録を確認することなど、造作もない。


 修道院長に志願を告げた。教会は試験と審査を経てローワンを反証者として受け入れた。身寄りのない青年に居場所をくれた恩義があった。信仰ではなく、その恩義がローワンを修道院と教会に繋ぎ止めていた。


---


 反証者としての年月は穏やかだった。


 各地の列聖審査に赴いては証言を聴取し、記録を検分して奇跡の真偽を報告する。感情を差し挟む余地のない仕事で、ローワンの性分に合っていた。


 審査の合間に修道院へ戻ると、書庫の前で一人の少年が待っていた。

 少年の名前はトビアスという。ローワンが修道院に身を寄せてから程なくして出会った孤児院の子供だった。孤児たちの中では年長で、来年には成人する。


「おかえり! おにーさん今度はどこ行ってたの?」

「ええい、纏わりつくな。あと声が大きい」

「そう? そんなことないと思うけど。いいなー、今度はおれも行きたい」


 最初は子供を見ると弟と重ねて避けていたが、ローワンが何も答えなくても、トビアスはめげずに翌日にまたやってきて話しかけてくる。

 追い返す気力が尽きた頃に写本の読み方を教えてやったら、それきり懐かれていた。


 少年の元気な声に静かな声で返していると気が紛れる。

 弟のことは考えないようにしていた。生死も居場所も追わなかった。殺す以外の方法を見つけるまで、消息を辿らないようにしようと思ったのだ。


 陽の国への派遣が決まったのは、春が終わる頃だった。

 白い街に聖人候補がいる。鑑定士リリス。修道士が三名快復する奇跡が起きている。教会が列聖を検討しており、反証者の審査が必要だと。


 聴取の場に入った鑑定士は、巡礼服のフードを被っていた。歩み寄る足が止まった。銀の髪が、フードの縁からわずかに覗いていた。


 リリス、とベルナルドが呼ぶ声に、ローワンの唇がリコリスと動きかけて止まった。


 弟だった。


 最後にまともに弟を見たのがいつだったか、わからない。

 骨格も、まばたきの間隔も、何も拒まない銀の瞳も変わっていなかった。


 反証者の職務を果たした。声を整え、質問し、記録する。弟に向ける目ではなく、聖人候補を量る目で見た。「聖性の直接的証明にはならない」と結論を述べて審問を終える。


 弟の横を通り過ぎるとき、歩調が落ちた。


---


 蝋燭の火が短くなっている。


 記録は書き終えた。「聖性の直接的証明なし」。正しい。リコリスの周囲で起きていることは聖性ではない。ローワンはそれを誰よりも知っている。幼い頃から見てきた弟の周囲で人が癒されたことなどない。急に神から奇跡が授けられる場合もあるが、あの破滅を振り撒く弟に味方するとしたら、それは神ではなく、悪魔の方だろう。


 問題は、この先だ。


 反証者としての報告を上げれば、聖人候補リリスは聖人にはならない。それは教会にとっても、弟にとっても、恐らく悪い結末ではない。


 ローワンは両手を解き、蝋燭の火を見た。


 可愛がっていた弟。

 周囲に破滅を齎す弟。

 見殺しにしようとした弟。

 ……生死を確認することを避けていた、弟。


 殺す以外の方法を探している。まだ、その方法は見つかっていない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る