陽の国の章

16. 壁に囲まれた国

 白い壁ばかりの街だった。

 門の手前でヴォルクは足を止め、丘の斜面に張りつくように密集した建物を見上げた。石灰で塗り固められた壁面が真上からの日差しを反射して目を灼く。雪の国でも白さには慣れたつもりだったが、あちらは湿って沈む色で、ここでは乾いていて肌ごと焼いてくる。


 ここまで一月半ほどかかった。凍った河をそりで下り始めた頃はまだ息が白く岸辺に残雪があったが、南下するにつれ雪が消えて草の丈が伸び、しまいには外套が邪魔になった。途中の宿場町で毛皮の外套を売り払い、代わりに買った麻の上着でも汗が滲んでいる。

 隣でリコリスが目を細めて街を見ている。巡礼服のフードを深く被り、布で口元まで覆っていた。この辺りでは信心深い巡礼者が似た装いをするらしく、怪しまれずに済んでいる。

 ただ、万全ではない。フードから覗くリコリスの銀色の毛先が風に揺れ、門の近くの物売りが二度見したので目をやると、慌てて視線を逸らした。

 この男の美貌は、どの国に行っても同じ問題を起こす。


「暑いね」


 リコリスが呟いた。


「慣れろ」

「うん……、でも本当に、雪とは無縁そうな国だね」


 リコリスが布の下で笑ったのが声でわかった。


 雪の国を出た夜に「雪の降らない国へ行く」と言ったのはヴォルク自身だ。深い雪ばかりの国での一年半、一生分の積雪を経験したからもういいと思った。あとは、国を出ることに申し訳なさを感じていそうな相方への言葉だった。

 昔からリコリスの周囲は騒がしく、訳もわからず破滅と崩壊が続いてきた。兄であるローワンは家が潰れた余波を受け、ヴォルクはリコリスを連れて燃える祖国を後にした。そして、その後に辿り着いた雪の国も出ることになった。

 振り回して申し訳ないなどと、リコリスが思っていることは予想できる。だが、ヴォルクとしてはリコリスの体質のようなものは分かりきった上で側に置いているので、その責任を感じてほしいと思うことはない。

 伝わっているかどうかは不明だが、またぐるぐると悩み出したら釘を刺そうとは思っている。


「通行証はどうするの?」


 声を落としてリコリスが訊いた。壁に囲まれたこの国の門を通るのには、通行証か巡礼の証明が要る。どちらも持っていない。


「当てがある」


 ヴォルクはそれだけ答えた。商会にいた頃、この辺りを仕切る顔役の名をグリシャから聞いている。密売と通行証の融通を握っている男だ。

 裏の世界は国が変わっても大差ない。腕の立つ人間が足りないのはどこも同じだ。


---


 門の外の集落には巡礼者向けの宿屋や物売りが門前に並んでおり、壁の中へ入れない人間がここで足を止めている。

 リコリスを宿に置いて、ヴォルクは歩き回って情報を集めていた。

 三日目の夜にマルコを見つけた。中背中肉、耳あたりで切り揃えられたくすんだ金髪。聞いていた特徴に合う男が、宿屋の酒場の奥で取り巻きと飲んでいる。ヴォルクはその卓まで歩き、グリシャの名前を出した。


「雪の国の商会のグリシャか。あの男の片腕だったと?」


 マルコはヴォルクの体格と手を交互に見た。


「用心棒からのし上がって、一年足らずで取引の仕切りを任された男がいると聞いているが」

「その認識で合っている」


 マルコは一瞬黙り、それから口の端を上げる。ヴォルクは続けて要求を口にした。


「通行証が要る。仕事で返す」

「なるほどな。ボスに掛け合ってみよう」


 ヴォルクは水で割られた葡萄酒の杯を飲み干した。この酒場で提供されている唯一の酒であるが、色のついた水と表現した方がいい代物だ。壁の外で飲める酒はこの程度が標準らしい。恐らく薄められる前の葡萄酒も庶民向けで粗悪なものなのだろう。雪の国では蒸留酒を浴びるように飲んでいた。壁の中ではマシな質の酒にあり付けるといいが。


 五日後、マルコが宿に現れた。


「ボスが会うと言っている。来い」


 門でマルコが番兵に合図を送ると、通行証の確認もなく通された。壁の内側へ踏み込むと足元が石畳に変わった。外では擦り切れた麻布の旅装ばかり目にしたが、壁の中では染めた上着に革の靴が並び、金の回りが一段上だった。

 マルコの後について港近くの館の裏口から二階へ上がり、廊下の突き当たりでマルコが扉を叩いた。


「入れ」


 窓際の卓にボスだろう男が一人座っていた。

 五十がらみの、日焼けした痩せた男だ。灰色の髪を後ろに撫でつけ、麻の上着に薄い革のベストを重ねている。卓には書類の束と、濃い赤紫の液体が入った杯。壁の外の水割りとは色からして別物だ。

 その傍には、軟派そうな微笑みを浮かべ、茶髪を後ろでくくった細身の男が立っている。ボスの腹心だろうか。

 マルコが扉の傍で口を開く。


「ドン・レオーネ。こいつが南の商会幹部グリシャの片腕だった男です」


 レオーネはヴォルクを見たが、立ち上がらなかった。座ったまま、手と肩と目を順に見る。


「あの男の下で何をやっていた」

「用心棒から入って、一年で取引の仕切りを任された。毛皮と宝石の密売が主だ」

「揉め事は」

「腕で片をつけていた」


 レオーネは杯を持ち上げて一口含み、飲み干さずに戻した。微動だにせずに立っていた男に指示を出した。


「ダリオ、南の商人に確認を取れ」

「りょうかーい」


 ダリオと呼ばれた男は、見た目通りの軽い口調で返事をして部屋を出て行った。

 

「お前の話が本当なら仕事はある。それまでは待て」


 ヴォルクにそう言ったレオーネは、もう書類に目を落としていた。

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