第57話 ダグラス・マッカーサー

 1948年9月22日、植民地解放運動は地球全土を焼き尽くす勢いで広がった。イタリア、スペイン、フランス、イギリス、オランダ、ポルトガルなど、これら諸国が領有する、数え切れないほどの植民地で武装蜂起が発生し、植民地解放運動を掲げている。

 世界のどこに植民地でない国があるのかと思われるぐらい植民地は存在している。それはアジア地域でも言えて、ビルマ、インドネシア、マラヤなどが植民地解放運動を呼びかけている。いかなる宗主国にも、これらすべてを同時に再征服するだけの国力はなかった。アフリカ、カリブ海、ギアナ地方も植民地解放運動の渦が巻いていた。

 これにより、欧州は恐慌状態に陥った。本来、外国から仕入れていた商品が届かないのだ。不買運動どころか、不売運動まで広がり、コーヒーや紅茶などの値段が暴騰した。いわゆる先進国に世界的な植民地解放運動が刺さった。

 これにアメリカも巻き込まれた。ネイティブ・アメリカンが武装して各地を占領してしまったため、今ではアメリカの地図が虫食い状態になっている。そして、植民地の先住民ではないため、本来なら別の問題として扱われるはずの被差別黒人まで合流した。白人が経営するというだけで会社の窓ガラスは破壊され、従業員は追い出された。警察が駆けつけるまでに何件も事件が発生するため、この混乱をどう抑圧すればいいのか検討もつかなかった。

 おまけに反植民地主義者たちが議会を占拠してしまった。11月2日に大統領選挙が控えているのにも関わらず、今はそれどころではない状態に陥っている。

 1948年9月28日、ニューヨーク州ロチェスターで警察官がモップを持った黒人女性を銃撃して死に至らしめたとして、その警察官は極限までの暴力に晒された。警察官は応戦して多数を射殺したが、群衆を止められず、ついには警察署を占拠された。武器や道具は壊され、常備してある弾丸は空に向けて撃ち尽くされた。街路には滅多打ちにされた警察官が並び、警察署前には43人という死体の山が築かれていた。

 この事件を契機に銃砲店が集中的に襲撃され、銃や弾丸が略奪されていった。1948年7月26日にトルーマン大統領が大統領令9981号で「人種等にかかわらない平等な待遇と機会」を公布したことが幸いした。州兵の動員が下令されると、有色人種州兵は大統領令を掲げ、「軍で平等だというなら、なぜ同胞を撃たせるのか」と命令を拒否。白人指揮官は、反対に人種統合命令そのものへ反発して動員を拒んだ。部隊長レベルでもボイコットが発生し、州兵は機能しなくなった。最も苛烈だったのは南部だった。州兵の動員命令によって、白人指揮官が大統領令に反したとして有色人種に包囲され拘束された。

 議会は事態の収束を願っていた。ホワイトハウスで記者会見があり、植民地主義コロニアリズムからの脱却について記者が質問したところ、「植民地解放運動は世界のトレンドであり、アメリカ合衆国とカナダはイギリスの帝国主義が築いた世界最大の入植者植民地だ」とトルーマンは記者に語った。この発言が火に油を注いでしまった。

 翌日のニューヨーク・タイムズの朝刊でトルーマン大統領の言葉が大見出しで報じられ、モントリオールやバンクーバーにまで飛び火した。

 トルーマンは、これを単なる人種差別問題だと捉えていた。植民地解放運動も絡んでいるのだろうが、アメリカは国民のための国家であり、植民地ではない。それがなぜ武装蜂起にまで発展するのか、どうしても理解できなかった。

 世界大恐慌でも9月28日のような痛ましい事件は起きなかった。大統領選挙は開催自体が危ぶまれる。特に黒人の多い南部では投票所が襲撃されてもおかしくはない。そして何より我慢ならないのがが6月の共和党全国大会で大統領候補に指名された、ということだ。共和党右派の連中が仕掛けたことではあるが、マッカーサーは共和党中道や左派をまとめ上げ、共和党の大統領候補となった。保守派が擁立し、ウォーレンら進歩派を副大統領候補や閣僚人事で取り込み、三回目の投票で指名を得た。フィリピン陸軍元帥という立場を積極的に利用し、ラジオやテレビに出演していた。なぜかよくわからないが、日本と中国がマッカーサーが大統領になることを望んでいるかのような報道が飛び込んでくる。

 トルーマンは刻一刻と迫る大統領選挙に焦りを感じていた。日付を見ると吐き気がする。ダウ平均は順調に下落しており、経済アナリストは底が見えないと言っていた。


 ダグラス・マッカーサーはテレビやラジオに出演しながら庶民とコミュニケーションを取っていた。今日はフィラデルフィアでラジオ番組に出演していた。植民地解放運動について聞かれると流暢りゅうちょうに答えた。


「いまアメリカ全土で起こっている事態を我々は知っている。しかし、とても残念なことに私は白人として生まれ有色人種が置かれてきた境遇を実感として理解することはできない。、もしほんの一人でもいいからこの番組に出演してくれる勇気ある有色人種の方がいれば、我々はアメリカ合衆国の自由のために話し合おうと思っている。誰でもいい――君、暇な白人にその仕事を任せて一緒に私と話さないか? 司会者は白色人種じゃないか、そこの黒人と交代してくれたまえ」


 ここからはマッカーサーがアドリブで黒人と対話した。白人はまるで今起きている事態について何も理解していない。黒人はまず自己紹介をした。6月にモアハウス大学を卒業し、バプテスト派の牧師資格を得た。今月からペンシルベニア州のクローザー神学校の大学院に通っている。故郷の教会で副牧師も務めている。このラジオ番組には、少しでも学費を浮かせるためと、様々な人の意見を聞くために手伝っている、と簡潔に自己紹介した。牧師と聞いたマッカーサーは「ほう、牧師か」と驚いた。

 マッカーサーは「今、起こっている問題とは何かね?」と聞いた。黒人は「すべてです」と言った。「例えば、北部では黒人も投票できます。しかし南部では、投票権は紙の上にしかありません。アメリカ全土でこのような矛盾があります。北部では黒人が少ないのに、南部では黒人が多い。黒人が少ないほど黒人が優遇されているのです。これは、多くの人が納得しないことでしょう。ほかにもボストンでは黒人客の注文を拒んだ給仕が処罰されることさえあります。州法で人種差別を禁止しているからです。このようながある州の黒人は少なく、白人が多いです。なぜだと思いますか?」と黒人は言った。マッカーサーは少し考えたあと「黒人の仕事が少ないからかね?」と答えた。黒人は「その通りです。南部の差別を非難する北部も、雇用と住宅から黒人を締め出しています。黒人が少ないからこそ、平等な州であるように見えるのです。これがアメリカが抱える大きな矛盾の一つだと思います」と言った。

 この議論はマッカーサーが聞き役に徹する形で黒人や有色人種が持っている不満を聞き出そうとした。黒人は流暢に語り、少なくとも司会者より真剣だった。

 マッカーサーは一つ疑問を投げかけた。「白人側の死者deceasedはいない。一方、有色人種は負傷者や逮捕者を含め、有色人種は絶望的なほど犠牲者victimを出している。それでも立ち上がる有色人種の勇気に、私は敬意を表したい。だが、この運動の原動力とは何なのか?」

 黒人は言った。「人が暴力に晒されているとき、それを見ぬふりをするのは暴力です。目の前で暴力が振るわれているとき、それを止めることは暴力ではありません。そして、によって生じる暴力は、暴力ではありません。この運動で最も重要なことは『自己の内の臆病や不安を乗り越えること』です」

 マッカーサーは最後の一言に聞き覚えがあった。「マハトマ・ガンジー」

 黒人は一つの言葉で運動の根底にある思想を分かち合えたことで笑顔を浮かべた。

「私が大統領になったとき、君と、聴取者の皆さんに約束しよう。すべての州で有色人種に対する差別的取り扱いを撤廃すると。そして、アメリカ合衆国は白人だけの国家ではない。アメリカ合衆国に住む国民のための国家であると――いいスピーチだった。きっといい牧師になる。ありがとう」

 マッカーサーは黒人と握手し、番組を終えた。マッカーサーは真っ先にトイレに入り、胃液を吐き出した。軍隊式に手短に済ませると顔を洗った。


 1948年11月3日未明、開票結果が確定した。大統領選挙に勝利したのはマッカーサーだった。歓声の中で拳を突き上げ、勝利への喜びを顔に浮かべている。カメラのフラッシュがまばゆい。このときマッカーサーの顔は蒼白になっていた。頭に思い浮かべていたのは、鬼族との合同訓練のときだった。まだマッカーサーが准将だったときに愛姫と談笑している姿だった。背中を流れた汗は下着まで濡らし、小便を漏らしたかのような感触を残していた。それすら気にならなかった。ただ「俺はこの国の統治者になれるのだろうか?」という強烈な不安と狂気が襲ってきた。立派な二本の赤い角をいただいた、可憐で悪ガキのおちびちゃん、彼女ほど立派な存在になれただろうか。指笛が鳴らされ正気に戻る。あのときも地獄の行軍で指笛をひたすら鳴らされていた。大丈夫だ、まだ二本足で立っている。大丈夫だ、コーンパイプはこの手の中にある。大丈夫だ、両肩の荷は重い。


      ◇


 愛姫がアメリカ大使に冗談を言う。「現フィリピンの現陸軍元帥が、次の国家元首になるそうじゃな。現役武官制度があれば陸相にもなれるぞ」

 アメリカ大使は「まさかマッカーサーが勝つとは思いませんでしたよ。大統領選に出馬したいという噂は立ってましたけどね。トルーマンより一枚上手うわてだったみたいです」と言ってニューヨーク・タイムズを愛姫に差し出す。写真の肖像を見て、なんか見覚えがあるなと愛姫は思った。

 愛姫は「アメリカの暴動はこれで鎮まるかの?」と聞いた。「わかりません。私にだってわかりません。イギリス大使から借りた『鉄拳制裁主義』も読みましたが、私にはさっぱりです。植民地の人々が、なぜあれほど共鳴するのか見当もつきません」

 愛姫はゲラゲラと笑って「じゃろう、妾もじゃ」とまたゲラゲラと笑った。

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