第43話 ラジオ・アクティビティ
1942年9月、国際連盟の総会と理事会で国際連合の発足について協議された。国際連合発足に関しては1942年10月2日よりサンフランシスコで会議が行われ、国際連合憲章の調印と必要国による批准と憲章の発効が行われる予定である。
また、国際連合の第1回総会をいつ、どこでやるのか協議された。第1部は1943年1月10日からロンドンで、第2部は1943年10月23日からニューヨークで開催されることが決定した。
愛姫はサンフランシスコ会議が長引けば第1回総会の日程に響くのではないかと考えたが、そのあたりの手続きに関してはジュネーブに全部任せてあるので問題ないだろうと思った。ロンドンで開催するならジュネーブからそこまで極端に距離は離れていないので大丈夫だろう。準備委員会はすでにジュネーブで総会規則や議事日程の作成に入っており、憲章が予定どおり発効すれば、事務局をロンドンへ移すだけでよい。
アメリカ大使、イギリス大使、フランス大使を集め、お茶会の席で愛姫は原子爆弾の進捗はどうなっているとストレートに聞いた。原子爆弾の開発は各国の秘密プロジェクトであり、愛姫に教えられることは少ないからである。
理論的にはウラン型原爆はウラン235の濃縮が必要かつ小型化が難しく、プルトニウム型原爆は小型化できる一方で爆縮レンズが必要になる。ウランでやるのか、プルトニウムでやるのか。ウランの方が簡単だった。ウランは濃縮は非常に困難だが、爆弾の構造を砲身型にできて単純に作れる。一方で、プルトニウムは爆縮レンズを作るのにどの国も最適な解を導き出せていない。
愛姫はサイコロを投げた。サイコロは五角形と六角形を組み合わせた32面体のサイコロだった。愛姫は「サッカーボールの適切な模型じゃ」と言って、何度か転がした。愛姫は32面体とは言ってない。「十分に滑らかな模型じゃろ?」と言って転がしていた。
各国は理論的研究を行っていたが、実行に移す研究を行っていない。爆縮レンズにおいてもその最適な大きさまでは誰も計算にたどり着けていないのだ。各国大使は(いや、まさか、プルトニウム型原爆の研究をやっていないだろうな)と言葉にはしなかったが焦りはした。
「妾は原爆がプルトニウムであるか、ウランであるかはどちらでもいいのじゃ。中性子が原子に衝突したとき、分裂する放射性同位体が気になるのじゃ。理論的にはウラン235ならセシウム137が約6.2%、ストロンチウム90が約5.2%の確率で生成される。キセノン137やクリプトン90はすぐベータ崩壊を起こしてセシウム137やルビジウム90になって厄介じゃ。原爆の威力よりもセシウム137やストロンチウム90のほうが遙かに厄介だと思うのじゃ」
「何が問題なのでしょう?」とフランス大使が聞いた。
「放射線に決まっておろう。セシウム137とストロンチウム90がばら撒かれて大気中を漂えば、恐ろしいことになる。もし、それらの物質を吸い込んだり皮膚に接触したりすれば被曝する。フランスで行った核実験でアメリカが被害を被ったら外交問題になるじゃろ?」
「直接的に影響があると因果関係は証明できないと思いますが」
「骨を灰化し、化学分離したうえで放射線を測れば、ストロンチウムは簡単に見つかる。まあ、どの国が行ったものかは証明できんがな。だからといって無制限に核実験をしたら人類は放射性同位体を取り込みすぎて全滅するだろう」
「ふと疑問に思ったのですが、海上で実験を行えば被害は少ないのではないですか?」とアメリカ大使が言った。
「水分が蒸発して大気流に乗って放射性同位体が運ばれるのではないか? 運良く海に降り注いだとしても、魚に影響が出るだろう。その魚を食えば放射性同位体が人間の体内に蓄積される」
「何が問題なのか私には理解しかねるのですが、空中に散れば薄まってかえって害はなくなるのではありませんか?」とイギリス大使が聞いた。
「火は手を近づければ熱いとわかるだろう。放射性物質は手を近づけても熱いとわからん。それどころか、火は即座にやけどを負うが、放射性物質はすぐにやけどを負わん。目に見えないから恐ろしいのじゃ。生物的な実験はウサギでやったが見るも無惨じゃったぞ。時間をかけてじわじわと蝕んでいくのじゃ」
「半数致死量とかは明確なんですか?」
「半数致死量という世界ではないな。化学的毒性とは違う世界になる。質量ではなく、身体が吸収した放射線エネルギーで評価せねばならぬ。火を触ったからと言ってすぐに重度の熱傷になるわけではなかろう? 放射線も同じことが言える」
「砂漠とか誰もいない地域で実験すればいいのではないですか?」
「アメリカも膨大な砂漠地帯があるからと言って実験しない方がいいぞ。放射性同位体が雨になって降り注ぐ可能性がある。傘を差していなければ、皮膚を通して外部被曝を起こす。理論的にはヨウ素131もガスとなって吹き飛んでくるから注意が必要じゃ」
「危険性は理解できるのですが直ちに影響はあるのですかね?」
「高線量なら数時間以内に嘔吐する。一度は回復したように見えても、数週間後に骨髄や臓器が壊れ始める。急性被曝というのが厄介でな、死ぬとわかりきっているのにいつ死ぬのかわからん。原爆実験のせいではない、と言うのは簡単じゃが、それで国民が被曝してバタバタ死んだら元も子もないと思うが?」
「おっしゃる通りですが、それだと実験ができないのではありませんか?」
「実験をするためにこうやって集まって話を持ってきたのだろう」
「地下実験はどうでしょう? 放射性同位体も飛散しませんし」
「十分な遮蔽ができているのならできるじゃろうな。隙間からガンマ線が出てきたり、ガスや微粒子が噴出したり、地下水の汚染が課題になるじゃろうな。適切なコンクリートで固めねばならぬ。ただ、完全密閉すると実験規模が大きいほどコンクリートを容易に破壊するから、実験前の理論計算は大事じゃろうな」
「ガンマ線、ベータ線の単位放射線あたりの鉛やコンクリートの厚さがわかれば、実験限度もわかるのではないでしょうか?」
「コンクリートだからと言って安全とは限らんぞ? コンクリートだけ使って遮蔽してもどうやら放射線が漏れているらしい。厚さが足りぬのか、材料が足りぬのか妾にはわからん。餌に混ぜて内部被曝を起こしたウサギが隣の何もしていないケージで不審死をする。部屋を移せばどうにかなるが、単純なコンクリートだけの遮蔽では足りぬらしい。鉛が欲しいがすぐに調達できるものでもない」
「原子爆弾と比べて放射性同位体はどれぐらい危険なのですか?」
「原子爆弾は半径数キロメートルに渡って熱で灰にできる。じゃが、放射性同位体が何より恐ろしいのは被曝していることに気づかない点じゃ。気球でばら撒いてもいいぞ? 知らんうちに被曝する。人々が家に帰り、家族と抱擁する。すると家族に微粒子がついてまたそこで汚染され、被曝する。オフィスでもいい。通勤しているときに微粒子を浴びてオフィスに行く。紙を手に取る。それが他の者に渡る。そしてまた被曝する。我々は核爆弾という新しいカテゴリーの兵器を作っているつもりが、その副産物が全く新しい兵器のカテゴリーになる」
「つまり、セシウム137を集めるだけでも十分な脅威と見なせるわけですね」
「左様、毒ガスと比べものにならないぐらい危険じゃ――なので国際連盟の総会で放射性同位体の取り扱いと原子核実験の厳格化に関する提起をさせてもらった。悪いが我々も巻き込まれたくないものでな」
「珍しいですね。もしかして連盟加入してから初なのでは?」
「それぐらい危急だということじゃ。石油は有限かもしれんが、核燃料は石油と比べものにならないぐらい莫大なエネルギーを取り出せる。新しい燃料じゃがちと危険すぎる」
「なぜそこまで危険性を念慮するのですか? まさか……」
「ウサギで実験したと言っておろう。セシウム137やストロンチウム90を半数致死量で評価するなら1ミリグラムより少ない。毒性として化学物質の半数致死量と放射線障害の半数致死量を一緒にするならフグ毒より毒性が高い」
「核実験をするとフグ毒より強い毒がばら撒かれるんですか?」
「そなたは量の概念から説明せんといかんな。理想的な数値の話をしよう。例えば、1グラムのウラン235なら、約36ミリグラムのセシウム137が得られる。これを1000倍すれば1キログラムのウラン235から約36グラムのセシウム137が得られる。原子爆弾の場合、この約36グラムのセシウム137は核分裂と同時に空気中に拡散する。数十キログラムのウラン235を使う原子爆弾ならこれにかけ算をすればいい。30キログラムだったら、約1080グラムのセシウム137が飛散する計算じゃ。ただし、爆弾に積んだウランのすべてが核分裂するわけではない。実際の飛散量は爆発効率で変わる」
「フグ毒に換算すると……」
「フグ毒はキログラムあたり1ミリグラムぐらいじゃな。単純に質量だけでは比べられぬ。種類、摂取経路、体内に留まる場所によって変わる。じゃが、妾が1ミリグラムを与えたウサギはすべて死んだ。それで十分じゃろう」
「実験のプロセスはどうなっているのですか?」
「濃縮ウランを減速材の中に格子状に配置し、制御棒で連鎖反応を抑えながら照射した。停止と冷却の後、燃料を溶解し、化学処理によってセシウムとストロンチウムを分離した。ウサギを用意して、粉末1mgをペレットに混ぜる、毛に付着させる、何もしないの3種類の実験を行った――詳しい結果は国際連盟で説明しているはずじゃから、レポートを手に入れてくれ」
「仮に、空から放射性同位体をばら撒いた場合、都市は壊滅しますか? 住民を皆殺しにできるという意味ですか?」
「都市そのものは残る。じゃが、粉塵が地面に落ちて靴に付着するじゃろ? その靴で綺麗な場所を歩いたらあらゆる場所が汚染される。もし雨が降ったのなら、地下水に及んで飲み水として人を汚染する。あるいは畑の野菜が汚染されたなら、骨や臓器に溜まる。毒ガスと決定的に違うのは汚染の発覚までに1週間以上かかることじゃ。最初は嘔吐で病院に行く人が増える。患者が増えれば医師も不審がる。ここで医師が急性被曝の予後を知って初めて発覚じゃ。その頃にはあらゆる人々が汚染されている」
「洗い流せばいいだけではないですか?」
「見えもしない毒をどうやって洗い流せばいいのか……家を洗って土壌を汚染すれば地下水に影響する。道路を流して下水に至れば海を汚染する。汚染しないように洗い流すとして、その水はどこに保管する?」
「考えたくもないですね……その水は近づくだけで危険なのですよね?」
「セシウム137やストロンチウム90が含まれているからな。空気中を舞うよりかは弱まるが放射線を放ち続ける。その危険な水をどこに保管する? ドラム缶1つで街全体の汚染を取り除けると思うか?」
「無理でしょうね……思ったのですが、実際には汚染されていない土地まで、噂だけで魚や麦が売れなくなるのではありませんか?」
「その通りじゃ。毒そのものより、恐怖の方が遠くまで飛ぶかもしれんな」
「科学者の間で秘密にしておいたほうがいいのではないですか?」
「それは無理じゃろう。むしろ正しい知識を付けさせるほうがよい。セシウム137が原子1個だけで大騒ぎされるよりかは、放射能と放射線とは何か、放射能の強さとは何か、身体が吸収した線量とは何か、外から浴びる場合と体内に取り込む場合はどう違うのか、安全基準とは何か、広く知らしめた方がよい。馬鹿が100人から1人まで減る」
「つまり、その馬鹿をゼロにすればいい」とイギリス大使が不用意なジョークを言って場を凍らせた。
「教育には時間もコストもかかるかもしれんが、微量では安全であり、世の中には放射能を持った物質が山ほどあり、放射線量もそれぞれ違い、空間被曝とは何か、レントゲンはなぜ安全なのか、というところまで教育せんといかんな」
「つまり、その恐怖は教育問題でもあると?」
「そういうことじゃ。まあ、一度恐怖が根づけば消えるまで60年はかかるかもしれんな。100年かかってもおかしくはないな」
「その根拠は?」
「人間の寿命じゃ」
「世代ごと入れ替えなければ止められないわけですね……」
全員がため息をついた。愛姫は32面体のサイコロをころころと転がしていた。
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