第32話 交換条件
「妾は尻を蹴飛ばしたい相手がいる――山本五十六と石原莞爾と東條英機の3人じゃ。妾はそのためだけに、そなたらに協力しよう。そのために英仏艦隊が必要じゃ。英仏艦隊は南方で日本海軍を縛る。その間に米艦隊を東京湾へ入れる。それが常任理事国入りの条件じゃ」
「なぜその三人なのでしょうか?」
「三人は仲間ではない。三人三様に厄介なのじゃ。山本五十六はあれは軍神だ。山本が恐ろしいのは、空母の使い方を知る者を見抜き、海軍全体をそちらへ賭けさせられるからじゃ。石原莞爾は天才と呼ぶにはけしからんな、一休
「そうは言っても英仏艦隊を簡単に動かせるわけでは……」
「話を最後まで聞け――日中戦争は東南アジアまで進出する。これはなぜだかわかるか?」
「利権ですか?」
「資源だ。日本は石油の大半を米国から買っておる。だが米国が経済制裁で禁輸すれば、軍事力で短期間に奪える油田は蘭印、ゴムは英領マラヤじゃ。戦争に必要なのはなんじゃ?」
「資源ですか?」
「その通りじゃ。日本には戦争を継続するための資源がない。特に、日中戦争が泥沼化した現在において日本は戦争継続のために資源を取りに行く。南進論の核心はそこじゃ。そなたらは放っておけば東南アジア地域の植民地を失陥する」
「そうは言いましても、ドイツがもう既にオーストリアを併合しているので戦争は待ったなしの状況なのですが……ミュンヘン会議も控えていますし……」
「ポーランドに侵攻する可能性はどれだけある?」
「かなり高いです」
「妾がドイツの宰相であればまずは平和的に併合できる土地は併合し、最終手段として侵攻を開始する。侵攻するのは最も弱い相手が良い。それがポーランドじゃ。お主らは同盟問題もあって否が応でも参戦せざるを得ない。違うか?」
「……」
「つまり、お主ら陸軍はドイツと東南アジア地域の2つの戦線を持つことになる。言っておくが、二分されたお主らの軍隊なぞ日本陸軍からすればたいしたことはない。フランス語と英語で言葉が違うじゃろ。それだけで指揮系統が乱れる。自分たちの領地だけ守るつもりなら日本軍は各個撃破する。勝手に動けば背後を取って撃破する。合同して用兵すればモタモタする。植民地守備隊だけでは勝てぬじゃろう」
「では、どうすれば侵攻を阻止できると言うのですか?」
「できないじゃろうな。お主らは負ける。日本はあの島国で数多の戦争を繰り返してきた。日本陸軍は中国で実戦を続けておる。対して、そなたらの植民地守備隊は広大な土地に分散し、本国からの増援も望めぬ。日本は海軍と航空隊を集中し、一つずつ陥落させるじゃろう。現地の兵力だけでは止められん」
「できれば東南アジア地域を失陥したくないのですが……」
「それはそうだろうな。だが、ドイツと戦いながら日本と戦うことは現実的に可能か?」
「それはちょっと無理があると思います」
「そうじゃ。お主らは領土を守るためにドイツとの戦いに集中せねばならん。その間にドイツの問題が解決できるまで、アジア地域からは一度は追い出されるだろう――さて、今次の戦争において何が決め手となる」
「それはわからないです……」
「外交官だと戦の話は難しすぎるか。アメリカの参戦じゃ」
「アメリカはモンロー主義で中立外交を貫いていますが……」
「引きずり出せば良い。オレンジ計画を知っているか?」
「いや、知らないです……」
「アメリカが1900年頃から調査研究している計画じゃ。主に日本が仮想敵国だった場合、どのようにして進軍するか計画を立てておる。米軍も戦争の計画を立てておるのじゃ」
「では、どうやって引きずり出すのですか?」
「なに簡単じゃ。日本が仏印へ兵を入れ、英領マラヤと蘭印を脅かせば、米国は資産を凍結し、経済制裁をする。交渉の末には中国と仏印からの撤兵を迫るじゃろう。日本はそれを最後通牒と受け取り、蘭印を奪う前に、フィリピンと米太平洋艦隊を叩く。これでアメリカは参戦せざるを得なくなる」
「その根拠はあるのですか?」
「妾だったらそうする。日本艦隊も海軍軍縮条約でだいぶ削られたが、いまは持ち直している。真正面からぶつかった場合は五分五分の戦いになるじゃろう。じゃが、作戦で上回れば米海軍を圧倒できる」
「米海軍にはさすがに勝てないと思いますが」
「お主は海軍の用兵が変わったことを知らぬのじゃな。お主らは空母を持っているだろう。大艦巨砲主義の時代は終わった。米海軍が山本と戦うなら、ニミッツを使え。チェスター・ニミッツという男は太平洋艦隊総司令官にふさわしい。ニミッツは空母屋ではないが、潜水艦も兵站も図上演習も知っておる。知らぬ戦い方を覚えられる男じゃ。だから山本を相手にしても生き残れるが、生き残れるだけじゃ。対して、日本軍の太平洋艦隊には山本五十六がいる。空母運用においてあれの右に出る者はいない。あれがいるだけで大艦巨砲主義は過去のものになる。それを開戦してから空母の用兵を学んでいたら、数え切れないほどの犠牲を払うことになる。空母と戦闘機は渾然一体と成すべきじゃ。空母、艦載航空隊、索敵、迎撃指揮が別々に動けばどうなる?」
「指揮系統に齟齬が生じると思います」
「その通りじゃ。戦闘機が接近しているのに誰に指揮権があるのか揉めていたら爆弾を落とされて偉い目に遭うじゃろう。海戦においてよほどのミスがない限り、少なくとも開戦初期の局地戦では、日本に強い潮目が来る」
「なぜそこまで日本軍を高く評価するのですか?」
「そなたらの国にもエースがいるじゃろう。例えば、ナポレオンじゃ。日本の海軍にナポレオンがおる。それが山本五十六じゃ。いずれ山本五十六が連合艦隊を握る。そうなれば簡単には勝てぬ」
「では、どうすれば日本に勝てると?」
「なに簡単じゃ。今や朝廷は軍部の手中に収まっている。朝廷をアメリカの手に渡すのじゃ」
「米国世論が、他国の皇帝を守るために参戦するでしょうか」
「民主主義というものは代表が責任者として統治する形態じゃろう? 世論ごときで統治が揺らぐなら大統領を辞めてしまえばいい」
世論を気にしていたら衆愚政治、世論を動かせば恐怖政治、何とでも言える、とぼそりと愛姫は呟いた。柏手を打ち鳴らすと本論に戻した。
「――ここが勘所での。もし天皇が自ら近衛師団を率いて議会を占拠したらどうなる?」
「議会は天皇のものになるのではないですか?」
「そうじゃ。大日本帝国憲法があろうとも、天皇が白いと言えばカラスは白くなる。これを利用して倒閣し、大日本帝国憲法を白紙にする大号令を出す」
「それは憲法改正ではなく、天皇自身によるクーデターではありませんか?」
「そうじゃ。合法的に軍部を縛れぬから、天皇自身に国体を一度壊させるのじゃ。そうすると何が生まれる?」
「政治的空白です」
「そうじゃ。その政治的空白を狙って天皇が米軍の入港を正式に要請し、呼応した日本海軍が東京湾まで護衛する。天皇の近衛師団と合流し、自由主義者を中心に臨時内閣を作り、衆議院を解散して総選挙を行う。その間に新憲法を起草する。また、全軍へ停戦と帰還の
「そうは言っても日本海軍は米艦艇を沈めるのではないですか?」
「何を言っておる。日本艦艇は天皇のものじゃ。天皇が手出しをするなと言えば手出しできん。勝手に艦を動かせば朝敵じゃ。将校といえども暗殺される」
「日本の天皇制について理解が浅くてわからないのですが、そこまで絶対的なものなのですか?」
「日本の国事は、すべて天皇の名によって決まる。昔から天皇の権能を自分の権力としたいがために、日本は争い続けてきた。江戸になって徳川は朝廷を押し込め、自ら武家を統率した。じゃが、その徳川でさえ征夷大将軍の宣下を朝廷から受けた」
「そのような絶対的な存在がいるのに、なぜ日中戦争が泥沼化しているのですか?」
「軍部によって天皇の権力が弱体化しているからじゃ。今の天皇は積極的に国事に参加しない方針を貫いておる。要するに、今の天皇は日和見主義なのじゃ」
「仮に天皇が自ら統治権を行使したとして、それでは民主主義や自由主義を否定することにはなりませんか?」
「じゃから、アメリカの協力が必要なのじゃ。大日本帝国憲法を白紙に戻す、ということは書き直すということもできる。この書き直しについてアメリカと共同作業を行えばよい」
「仮にそんなことができたとして日本軍は許しますかね?」
「二・二六事件を見たであろう。あれほど尊皇を叫んだ将校どもでさえ、天皇が討伐を命じれば朝敵となった。軍部は天皇の権威を利用しておるが、その天皇自身から朝敵と呼ばれることには耐えられん。じゃが、そうでない者もおるじゃろうな。そいつらは朝敵じゃから滅ぼせばよい」
「それでは宮廷革命と外国軍による占領ではありませんか」
「何を言っておる。それはそなたから見た外交と戦略の側面でしかない。勝てば官軍、負ければ賊軍。この戦争の勝ちとは、血を流さずに討ち取ることじゃ。負けとは大量の血を流して犠牲を積み重ねたのに何も得られぬことじゃ。このまま突き進めば全員が負ける。妾はそれが面白くない。血を流さずして将軍を討ち取ったとき、それは大変めでたいことじゃ」
「それが実現できれば東南アジア地域の圧力も減りますか?」
「日本軍は撤兵せざるを得なくなるじゃろう」
「なぜなのか全くわからないのですが、なぜそこまで天皇に権力が集中しているのですか?」
「日本において現人神だからじゃ。もしイエスがゴルゴダの丘で処刑されていなければ、イエスの子もまたイエスじゃろ?」
「考えたこともありません……」
「もしイエスがゴルゴダで死なず、子を成し、その血を引く一族が二千年にわたって神聖な王として国を治めていたらどうじゃ。日本人にとって、天皇とはそれに近い。ああ――いや、それでは十字架も復活もなくなるから、キリスト教そのものが成立せぬな。今の例えは忘れよ。すまんすまん。じゃが面白い問いかけじゃろ? 天皇というのはそれに近い。日本において天皇を否定するということは神を否定するということじゃ」
フランス大使と英国大使は、そこでようやく腑に落ちた。同時に、不思議な力で英国大使の爆殺を未然に防ぎ、1個大隊規模の逆賊を1日で殲滅し、1日で火葬した。証拠を残さず事件のことは知らぬ存ぜぬと滅茶苦茶なことを言っている姫がいる。
「そういうわけじゃから、常任理事国入りするのであれば妾に手を貸せ。面白いものが見たい」
◇
松山からジュネーブ宛てへ電報があった。
「大義なり。より忠義に励み精進せよ」
1938年9月、国際連盟第19回総会において、鬼族が常任理事国に入った。このとき、アメリカは国際連盟に加盟していなかったが、ルーズヴェルト大統領の特使がジュネーブに入り、英仏蘭米鬼で秘密会談が行われた。議題は天皇によるクーデター作戦だった。
英仏で作戦概要をアメリカとオランダに説明した。当然、アメリカも世論の反発を予想したが、この作戦で重要なのは日本の軍事的エスカレーションが中国のみならず英仏蘭の植民地に及ぶことと、それに対するアメリカの反応だった。アメリカはどのような条件を突きつけるかシミュレーションしたが、英仏蘭は最後通牒と受け取られかねないと反駁した。たとえ、ルクセンブルクという小国でさえも武器を取って反撃しかねない。
時期はいつになるのか議論になった。いまの中国の惨状を鑑みるに、1940年前後から交渉を開始して、1941年前後に開戦すると踏んだ。ただ、ドイツの出方次第で時期がずれることも加味しなければならなかった。ズデーテンの割譲要求のこともあり、ポーランドへの宣戦布告は目と鼻の先にある。ドイツのプロパガンダもポーランドへの関心を高めていた。正確な時期が読めない。
現実的な話として、天皇がクーデターを
アメリカ大使は考えていた。日本全土を征服して屈服させるより、天皇に二度目の王政復古を起こさせた方がよい。アジアの主導権を確実に握るのであれば、なおさらであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます