第14話 第一次世界大戦

 四国には道路がない。線路もなければ地図もない。山、川、田んぼ、畑、草むら、沼地、あらゆるものが再利用される。鬼族は自分が住む近辺のことは頭に叩き込んでいた。もし、何も知らなければ沼地に足を取られ、川に流され、山で遭難し、草むらで生き倒れる。だから、何を目印にし、どこを歩き、どこで寝れば獣に襲われないか熟知している。

 もし、四国が近代化革命を起こしたのなら、山を切り開き、道路を敷設し、線路を設け、無節操に建造物を建てたことだろう。だが、そうしないのには理由がある。資源の問題だ。資源は無限に湧き出る物ではない。いつか枯渇する。四国で初めて拓いた鉱山があるが、これもいつかは枯渇した。枯渇した後にやってくるのは絶望である。鉱夫たちは仕事がなくなると貧しくなり、やがて乞食になる。乞食は至って単純だ。都会にやってくるのである。そして都会も貧しくなり、治安が悪くなる。愛姫が経験したことについて、初歩中の初歩である。

 愛姫は治世を良くするため、狩りや木こり、植林や畑の雑草取りを奨励した。悩み事があればそうしてしばらく考えるといい。どうしても解決できそうになければ、愛姫ではなく村の人たちを頼りなさい。村の人たちも愛姫ではなく困り者をよく見て助けなさい。神に祈るなどという救いようのないことについて、愛姫は禁止にした。神に祈っても何の解決にもならないからである。


 第一次大戦、これほどまで誰しもが神に祈ったことがあるだろうか。

 1914年6月28日、セルビアの青年がオーストリア皇太子を暗殺した。これにより、オーストリア=ハンガリー帝国はセルビア王国に最後通牒を送りつけ宣戦布告。オーストリア=ハンガリー帝国あるいはセルビア王国の同盟国は条約に基づいて互いに宣戦布告。世界を巻き込んだ大戦争へと姿を変えていた。

 このときばかりは愛姫は観戦武官を送らなかった。勝ち戦に乗じる。これが愛姫の方針だからだ。あちこちで戦争が起こっていたので勝ち負けなどわかるはずもなかった。

 大日本帝国も日英同盟に基づき連合国として参戦していた。ただし、連合国とは遠く離れた地での戦争であったため、武器輸出で大儲けし、好景気に湧いていた。隣人が野砲ではじけ飛ぶ横で財貨をかき集めていた。イギリスからの要請で大日本帝国海軍も第二特務艦隊を派遣していたが、全体から見れば小さな物だ。

 愛姫がムシャクシャしていたのには理由がある。実は1913年4月頃、大日本帝国の舞鶴で船員をしていた鬼が四国に避難してきた。大日本帝国は四国改造計画なるものを起草している情報を手にしてきたのだ。今次大戦にあたって四国に攻め入らないのは、まだ改造計画が起草段階で具体的な計画に落とし込めていないだけだ。具体的計画に落とし込めたとき、日本は四国遠征に出るだろうと予測された。もし、今次大戦終局までに計画が立案されれば、大日本帝国陸軍の全軍をもって征伐が行われることが予想された。こうなると四国も安全ではない。連合国側につくこともできない。そして開戦事由も日露戦争前に作ってある。

 今次大戦において愛姫は中立を保ってきた。理由は、歴史的経緯として大使を置いている諸外国とは友邦関係にあるという見方がある。そのため、同盟国が複雑に絡み合った結果、勃発した今次大戦においてはどちらの肩入れもできないため中立を宣言したのである。もちろん貿易港は機能し、中立地帯における戦闘は避けられるべきだと愛姫は言及したが、そうもいかないのが今次大戦である。いくら中立地帯があったとしてもその途中経路で通商破壊が行われれば関係ないのである。

 1914年秋、オスマン帝国はドイツ帝国と秘密同盟を結んでいたものの正式には参戦していなかった。また、ロシア帝国とも開戦していなかった。愛姫はオスマン帝国が積極的に同盟国側につくべきでない理由を外交書簡で積極的に議論を重ねていた。特に、同盟国側についた場合、ロシア帝国とイギリスだけでなくアメリカも敵に回る危険性について忠告していた。オスマン帝国内部では開戦派もいるにはいたが、保守派によって抑え付けられていた。しかし、1914年10月29日、ドイツ帝国からオスマン帝国へ譲渡されていた巡洋戦艦と軽巡洋艦を中核とする艦隊が、ロシア帝国の黒海沿岸を襲撃した。

 この二隻は形式上こそオスマン海軍に編入されていたが、艦内の実務はなおドイツ語で動いていた。艦長、航海長、機関長、砲術長の中枢はドイツ人将校が握り、トルコ人将校の一部は休暇に出されていた。トルコ人水兵も乗ってはいたが、命令系統と操艦の中枢からは外されていた。したがって、黒海艦隊襲撃はオスマン旗を掲げた艦隊による攻撃ではあっても、実質的にはゾーホン提督とドイツ人将校団による作戦だった。

 黒海艦隊襲撃についてロシア帝国は激怒していたが、愛姫の仲介のもと大使同士で話し合いの場が設けられた。

 オスマン帝国は先だってのバルカン戦争で戦費が底をついていて、ロシア帝国やイギリスと戦争する余裕はないし意思もないとした。ロシア帝国は黒海艦隊襲撃の件について誰が襲撃を行ったのか、その首謀者は誰なのか追求した。しかし、このときドイツ帝国から譲渡された艦船について、オスマン側の正規艦長や航海長、機関長はまだ実務を引き継いでおらず、ドイツの艦船であることから操艦することもままならないと反論した。オスマン帝国の大使は軍事機密である艦隊運用の就任表を提出した。つまり、この表にはどの艦を狙えばどの艦長を落とせるのか書かれている。黒海艦隊襲撃は協商連合もしくはドイツ帝国の策略だと大使は力説した。

 ロシア帝国はもともと猜疑心の強い民族であったが、軍事機密を持ち出されて反論されては再反論は難しかった。ドイツ帝国から譲渡されたこの二隻については、オスマン側の正規艦長がまだリストされておらず、仮に黒海艦隊を襲撃できるのかどうかが問題だった。ドイツ帝国から譲渡された戦艦というのも気になった。ロシア帝国の大使はアメリカ合衆国大使の仲介を必要としていた。

 愛姫はさらにアメリカ合衆国の大使も呼び出して、オスマン帝国の言い分とロシア帝国の言い分について討議した。愛姫はそれらを整理し、オスマン帝国が黒海艦隊を襲撃できたのであれば、もう一度、黒海艦隊を襲撃できるはずだと考えた。アメリカ大使もこれについて合意した。つまり、黒海上の航路、襲撃地点、時刻を再現し、それができるかどうかが争点となった。


 これについてオスマン帝国とロシア帝国は本国に持ち帰った。その結果、ロシア帝国の調査団立ち会いのもと、再現実験が行われた。就任したのはもちろんこのドイツ艦を知らない艦長だった。そして、トルコ人船員もこのドイツ艦のことを知らない。何もかもドイツ語で書かれていたので、まず出港の手順からして滅茶苦茶だった。機関はいつまで経っても始動しない、信号の意味が読み取れない。出港できなければ証明できないと調査団員は詰った。これに慌てて船員が手当たり次第動かしたあたりで調査団は胃がキリキリする思いをした。そして、出港するとなんと最大船足のまま面舵を切った。艦内はパニックになった。どうやって速力を下げるのかわからない。艦長が指示を出すものの、船員が適当にガチャガチャ弄くる。一度上がった速力は下がらなかった。面舵と取り舵を取りながら、座礁しないようにふらふらとした軌道を取っていたが、結局グルジアの港に2隻とも突っ込んだ。不幸中の幸いか、港本体ではなく海岸線に対して斜めに突っ込んだので、市街地に突っ込むことはなかった。なお、この2隻は大きく座礁したため、今次大戦の間は引き上げられることはなかった。

 ロシア帝国側も確かにドイツ語で書かれていたら、どこに何があるのかすら検討もつかない。言い分は認めよう。ただし、この2隻を自力で曳航するか、賠償金を積んでロシア帝国が撤去するかどちらかを選べという話になり、トルコは自力で曳航する技術力もないことから賠償金を支払うことにした。

 ロシア帝国大使はオスマン帝国大使に謝罪こそしなかったが、オスマン帝国が黒海艦隊を襲撃したことについては撤回した。こんな技術力では黒海艦隊を襲撃できない。では、誰が主導したのか。これについて、オスマン帝国側でも調査を行った。その結果、青年トルコ党系の一部指導者がドイツ帝国と秘密同盟を結んでいた。特にエンヴェルら親独派がドイツとの接近・開戦工作に関わった。ゾーホンが艦隊を動かせる政治的・命令的な余地を与えた。だからオスマン帝国はロシア帝国と戦争をする意思はないし、黒海艦隊襲撃に関わったのも政府内部の親独開戦派が関わっていたため、少なくとも宣戦布告するべきではないと主張を展開した。愛姫はロシア大使にそれでも宣戦布告をする意思は硬いか? と問い質した。ロシア大使は宣戦布告すべきではないだろう。ただし、親独開戦派の勝手な行動が招いたことなので、賠償金については請求するとした。オスマン帝国大使も戦争をするよりはいいとして賠償金支払いに概ね合意した。

 黒海艦隊襲撃は、ドイツ帝国だけの陰謀ではなかった。ゾーホン提督とドイツ人将校団が実行部隊であり、オスマン政府内部の親独開戦派がそれを黙認、あるいは後押しした。だが、オスマン帝国全体の正式な国家意思として宣戦が決定されていたわけではない。

 1915年4月6日、ロシア帝国とオスマン帝国はイスタンブールにて条約が締結された。主に、ロシア帝国の黒海艦隊や建物の原状復帰費用と座礁した2隻の撤去費用である。その総額は約127万ポンドであり、金として約9.3トンの賠償金となった。オスマン帝国は一括で賠償金を支払い、ロシア帝国との和解条約を結んだ。

 1915年4月8日、青年トルコ党の親独開戦派が、対露・対英の聖戦ジハードを掲げて決起し、オスマン帝国で内戦が始まった。しかし、調査の段階でこれを察知していたため、瞬く間に鎮圧された。

 1916年10月20日、パリ講和会議が行われた。そして長い討議の末、1917年4月13日、ヴェルサイユ条約が締結された。ドイツ帝国は、自国だけに戦争責任を負わせるべきではないとして、オスマン帝国との秘密同盟を持ち出し、オスマン帝国も講和条件の俎上に載せるべきだと反発した。だが、オスマン帝国とロシア帝国の間では、黒海艦隊襲撃に関する賠償と和解がすでに成立していた。ロシア帝国は、これは両国間で処理済みの問題であり、パリ講和会議で蒸し返すべきではないとして、ドイツ帝国の主張を退けた。こうして第一次世界大戦は幕を閉じた。

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