ep.3
しばらく考えたものの、すぐに解決策が思いつくわけもなく、
どんなに考えても誤魔化す言葉は出てこない。十希羽は大きく深呼吸をしてから、うー、と小さく唸って膝を曲げる。ベンチの上で体育座りに近い形で体を丸め、なけなしの抵抗感で身を守るような体勢を取って、チラッと横にいるそらを見上げた。
そらは十希羽と目が合うと、静かにゆっくりと首を傾げた。
…絵になるなぁ、その動作。顔がいいな、本当に。
何をしても好印象に映る彼の容姿と今の自分のみっともなさの対比から、いっそ憎たらしさを感じてきた。
「…笑わないで聞いてくれますか」
名前を聞かれた時のことが脳裏を
「私、面食いなんです」
「面食い」
十希羽の言葉を繰り返したそらに首を縦に振った。足の前で組んだ手で持っているスマートフォンを落ち着きなく揺らしながら言葉を続ける。
「流行りものも、大好きで」
「うん」
「今、映ったのも、私が好きなアイドルグループの一人で」
「うん」
彼は相槌を打っているだけだが、その言い方が柔らかで、気を遣ってくれているのが分かる。
「でも、それを知ってる人、いないんです。私がアイドルだったり、俳優が好き、とかそういうの。誰にも言ってなくて…言えなくて」
「どうして?」
「姉が、人の美醜で一喜一憂するタイプじゃないんです。それを見ていたら、自分が恥ずかしいなって、思うようになって。面食いとかそういうのが。それ以来、隠すことが癖になっちゃって」
「なるほどね」
「一度隠し始めたらもう、引っ込みがつかなくなっちゃったんです。だから、今も咄嗟に隠しちゃって」
ふぅん、と言いながらそらは十希羽の片手ごとスマートフォンを引き寄せ、ロック外して、と十希羽だけに画面が見えるよう向きを変える。
十希羽は戸惑いながらその指示に従い、表示されたロック画面のテンキーで打ちなれた数字を順番に打ち込む。
「開いた?」
「開けました」
画面を自分の方に向けたそらはさっき表示されたショート動画を観ているようだ。聴き慣れたBGMが小さくスマートフォンから流れてくる。
自分の好きなものを好きだと知った状態で観られているというのはただでさえ妙な気持ちがする上に、今まで隠してきたことがあからさまに暴かれているようで落ち着かない。
人のスマートフォンを持たない配慮なのか、自分の手を彼の手が包んでる状態であることもまた落ち着かない。
「グループの中で、彼が特別好きなの?」
「…はい、そうです」
「ほかのメンバーは出てこないの?この動画」
「出てこないです。個人アカウントだから。見たいんですか?」
「うん。あ、画像がいいな」
彼の真意が読めずにいるまま、スマートフォンの画面をまた操作してアイドルグループ全員が見られる画像を表示して渡す。
が、そらはやっぱりそれを受け取ることはなく、十希羽の手ごと引き寄せた。
心臓に悪すぎるからいっそ受け取ってほしい。
そらは時折、人差し指と中指で画面を拡大する動作を入れつつ、一人ひとりをじっくり眺める。
一体なにを確認しているのか。なんと声をかけたらいいのかも思いつかず、十希羽は大人しくそらを見守る。
「俳優さんは誰が好きなの?」
「俳優…?えっと…え?なんで?」
「聞いちゃだめだった?」
質問に質問が返ってくるとは思わなくて、言葉に詰まる。質問で返すな、と言えればよかったが、十希羽の性格上、答えなければという気持ちのほうが強くなる。
…困った。話が上手なんだなぁ、この人。
持っていきたい会話の方向性に持っていかれていることに気付けはするが、それをスマートに回避する会話力を自分が持ち合わせていない。
十希羽は抵抗を諦めて素直に自分の好きな俳優の名前を挙げた。
今度は彼自身のスマートフォンを出して操作を始める。何をしているのかと問うたら、さっき伝えた俳優の画像を調べていることを教えてくれた。
本当になにをしているのだろう。
さっきまで触れられていた手の甲がやけに熱く感じて空いている手で押さえるように覆う。その手を構ってもらえなくなって暇になったマロが鼻先でグイッと押した。「触れ」の合図のそれに従って頭を数回撫でた。
「十希羽ちゃんさぁ」
「え、あ、はいっ」
マロを可愛がっている間にスマートフォンを見ることをやめていたそらが、いつの間にかベンチの背もたれに肘をつきながらこちらを見ていた。口元に手を添えているから、なんとなく表情が読みにくい。
「今から言うこと、間違ってたらごめんね」
「はい…」
どう考えてもさっきから確認していたことに関係することを言われるんだろうと予想ができる。今までこの隠し事を明かした経験がない手前、少し不安が広がる。
自分でも分かるくらい、明らかに瞬きの回数が増えている。耐え切れずにグッと目を瞑ると、彼の声が鮮明に耳に届いた。
「俺の顔も好みだったりしない?」
「………へ?」
あまりに予想外の一言に、情けない声が出た。そらはそんな十希羽をさっきと同じ体勢のまま見つめている。
つまり、さっきまでの時間は十希羽の好みの容姿を確認し、彼自身の容姿と比べていたということになる。
自意識過剰とも取れるその行動が平然とできる人間がこの世にどれくらいいるだろうか。
だが実際、その行動に嫌悪感を感じさせないくらい顔が良いものだからずるい。
「いえ、あの…そんなこと、ない、です」
まさか本人を目の前に、馬鹿正直に「はい、そうです」なんて答える胆力なんてあるわけもない。口をついて否定の言葉が出るが、嘘をつくことへの罪悪感もあり、不自然な話し方になってしまった。
そらはなにかを考えるように目線を逸らしたあと、肘を下ろして姿勢を変えた。
「…試そうか」
「え…?」
絶対に話し方の違和感を指摘されると思ったのに、またもや予想外の言葉が返ってきたことに戸惑う。
なにを試すというのか、と考える暇もなく、そらの右手の指先が十希羽の頬に触れた。十希羽は思わず身をすくませ、息をのむ。
「嫌なら払っていいからね」
今までより一段低い声で囁かれたその言葉と同時に彼の指は動き、そっと滑るように手の平全体が十希羽の左頬を包む。そらは左手でマロを撫でて器用に動きを制しながら、グッと上半身を十希羽に寄せた。
彼の手が異様に冷たく感じるのは、単純に雨で濡れてそらの体温が低くなっているのか、それだけ自分の体温が上がっているのか。
十希羽の頬を包む右手はそのままに、そらの親指だけがゆっくりと撫でるように往復する。指が頬を滑る感触と間近にあるそらの顔に心臓が早鐘を打つ。もはや自分の耳元で鳴っている感覚さえする。
近距離で彼の顔を凝視する勇気はなく、目のやり場に困ってそらの腕や胸元に忙しなく視線を動かす。
きっと姉なら即座に手を払うのだろう。なんなら眉間に皺を寄せながら。その状況は容易に想像できる。
それを思うと自分が情けないと思う気持ちが強くなる。だがしかし、と言うところだ。
正直、ちょっと、幸せで…!
衝撃と緊張で体がうまく動かないのはもちろんそうだが、この状況をもう少し…と思う気持ちも否定できない。
「…真っ赤」
「…っ!」
笑いを含んだ吐息と一緒に吐き出された小さな呟きと唇をなぞり始めた親指の感触に、より一層、顔が熱くなる。
「抵抗しないうちは嫌じゃないって判断するよ」
その一言の直後、右手は頬を包むのを止めて十希羽の耳に移動し、親指と人差し指が優しく耳たぶを挟み込んで数回こねる。
「…んッ……!」
人差しが耳の裏を通って先端から優しく下に向かって縁をなぞった瞬間、十希羽の体がびくりと跳ねる。
勝手に漏れた自分の声に思わず両手で口を塞ぐ。
意思に反して声が出たことにも、その声が自分で聞いても決して健全なものではなかったことにも、驚いたし、恥ずかしいし。
こぼすまではいかないが、ジワッと目頭が熱くなる。羞恥で涙が出てくることを初めて知った。
またきっと笑われてしまうんじゃないか、と俯きがちに目線を上げてそっとそらの表情を確認する。目線の先にいる彼は、少し目を見開いてきょとんとしていた。
初めて見る表情だ…。
そんなことを思っているうちに、彼の目は静かに瞼を下ろし、落ち着いた表情に戻る。
相変わらず鼓動の早さも顔の熱さも残っているのに、なにを言うでもなくまっすぐ十希羽を見つめるそらの目から視線を逸らすことができない。
「手、下ろして」
短いその言葉に圧は感じず、強制力のない穏やかな声色ではあったけれど、考えるより先に体が勝手に従った。落ち着かない気持ちが無意識に両手を胸の前で強く握らせる。
耳に触れていたそらの指が離れ、首筋を辿りながらうなじに触れた。それに合わせて、彼がまた少し距離を詰める。十希羽は慌ててそらの顔が見えないように俯いた。
彼の指がうなじを滑り、大きく開いた手の親指だけが顎下に触れたと思うと、グッと力が入って十希羽の顔を半ば強引に上げる。
嫌でも視界に入ってきた彼の顔がゆっくりと近付いてきて、十希羽は肩をすくませる。こちらを見るそらの視線に耐え切れなくなり、固く目を瞑った。
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