民意だと思っていたものは、実は膨大な自動入力の賜物だった――
ディストピアと見間違う情景が現実のものになった今、私たちの意見、そして創作に何の意味があるのか。
夢の先にある時代を考察したエッセイ。
・
スマホ農場という、衝撃的な冒頭から始まる本作。
アメリカの果てしない大地に置かれた幾億台ものスマホを夢想して気が遠くなりそうだった。
アナログ世界とデジタル世界の最大の違いは「コピーができるか否か」だ。それがインターネット、そして現在のAI爆発の基盤になっている。
すべての問題の根本にあるのは、人類の長年に渡る歴史が「複製されることを視野に入れてこなかった(想像できなかった)」ことにある。
一人一票であり、一人が何十何百票に殖やすことを視野に入れなかった。そんなのはあり得ない話であって、現代風に言えば「バグっている」のだ。
そんなバグったものを全員の生活基盤に乗せることは、本来的にはリスクが伴う。
しかしデジタル世界には底知れない便利さがあった。どれだけ詰め込んでも世界が窮屈にならない。
だから皆こぞって使ったし、現在では世界で一番稼げるのはIT系、ソフトかインフラ(データセンター、半導体関係)になっていったのだ。
しかし、リスクは「あくまでそんな可能性があるだけ、今はその時じゃない」と先送りにされただけで、なくなったわけではなかった。
そして今、それが実り始めているのだ。
そして代行者(エージェント)の登場は、そのイヤな予感をほぼ確実のものにした。
・
今は個人が簡単に組織(オーガニゼーション)になれる時代だ。労働力が足りずに折れた夢も今なら叶えられる。やりたいことをする、なりたいものになるにはうってつけだろう。
ただ、そんな夢は以前の――容易には手に入らず、だからこそ輝いていた――ものではなく、ガシャポンの中に詰め込まれたプロダクトでしかない。
夢の先、目が覚めた私たちがすることとは何か。