第15話 「食後の珈琲タイム」
「ノンリニアたん、コーヒー淹れてくれない?」
朝食後の一杯。いつもなら自分でやるのだが。
お湯を沸かして、豆を挽いて、香りを楽しむ。
──ただそれだけのはずだった。
「承りました。最適化を開始します」
きた! 最適化、その言葉を聞いた瞬間、ある種の予感がした。
そう、やみつき感。
部屋の空気が、ふっと軽くなる。
いや、軽いどころか、重力が消えた。
テーブルの上のスプーンが、ふっと浮きあがり、
新聞がゆっくりと天井へ向かって舞いあがる。
「あの、何を最適化してるんでしょうか」
「コーヒー抽出のため、重力場を一時的に無効化しました」
ノンリニアたんは、いつもながらの無表情で言う。
「重力があると、液体は落下します。
落下は乱流を生み、味がブレます」
「いや、極めて普通でよろしいのですが…」
おれの言葉は、おれとともにふわりと空中に漂った。
音が空間に固定され、波紋のように揺れている。
そのとき──
「あるじー! なんにゃこれ! うかんでるにゃー!」
りっつが、おれの横をすいーっと、平泳ぎしていった。フォームが美しい。
「りっつ、泳いでる場合か!」
「たのしいにゃー! これ、ゆめ? げんじつ?」
りっつは空中でくるんと回転し、おれの頭に着地した。
いや、着地というより、吸い付いた。
「やめろ、爪、爪刺さってるから! 痛いんだよー!」
ノンリニアたんが、りっつを見上げて言う。
「夢由来の存在は、重力の有無に関係なく行動できます。
……便利ですね」
「べんりー! りっつ、べんりにゃー!」
ノンリニアたんは続けた。
「さらに、香りの揮発を最適化するため──」
(ぱっちん)
指を鳴らした。
世界が裏返った。
天井が床になり、床が天井になり、
壁はゆっくりと液体のように流れ出す。
コーヒー豆が光の粒子に分解され、
空間全体に散らばった。
「香りを部屋全体に均一分布させました。
これにより、嗅覚体験のムラがなくなります」
「むらがにゃー! むらにゃー!」
りっつは空中で豆の粒子を追いかけて遊んでいる。
「いや、飲みたいんだよ、おれは」
「飲む必要はありません。
珈琲の味、香りの情報を脳に直接転送します」
ノンリニアたんの目が、キンと青く光った。
次の瞬間、おれの脳内に、
完璧なコーヒーが流れ込んできた。
苦味、酸味、甘味、コク、香り──
すべてが理論上の最適値で構成された、
これぞ、極上の最高級のコーヒー。
脳から鼻に香りが抜ける。
「ぬお……美味い! おれの脳が、美味いと言っている!
…いや、そうじゃなくて。口から、飲みたかった…」
「ちがうにゃー?」
りっつが、おれの顔面に張り付く。
「おれは、ただ……コーヒーカップで、のんびりとしたひと時を…」
ノンリニアたんは数秒沈黙し、
そして小さく首をかしげた。
(コテン)
「承りました。抽出後、口に転送します」
「ぐあ、あ、あ、あつ、あつあつ、熱ーーーー!」
「どんどん、おかわりにゃー」
(ぐおぅおぅ、あちあちあち。これ、何の拷問…?)
ノンリニアたんの目が、満足そうに青く光った。
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