百合だから読む、ということを私はしません。嫌いというわけではなくて、無関心なのだと思います(我ながらひどい)。
本作を読んだのは、信頼するレビュワーさんのレビューからです。そして、読んでみたら百合作品だったと。そして、本作は百合である必然性があって素晴らしかった。(百合作品に百合である必然性を求めているわけではないけれど)
本作中にこんな台詞があります。
──私は、あきちゃんが女の子だから好きになったんじゃない。
たまたま、好きになったあきちゃんが、女の子だっただけだったんだよ──
これを私と本作とに当てはめるなら、たまたま好きになった小説が本作(百合小説)だっただけだったんだよ、と言えます。
百合好きでない方にもお薦めできるジュヴナイル作品です。ぜひどうぞ。
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高校生のころでした。
友達のあきちゃんと〝付き合って〟しまいました。
手をつないで一緒に歩いたり、ひとつの傘に肩を寄せたり、コンビニで肉まん、当たり前みたいにはんぶんこしたり。
やっていることは、友達のときとあんまり変わらなくて。
でもなにか毎日が特別になっていたんです。
なにも求めることがなくて、子どもが遊んでいるような関係でした。
それでも、幸せだったんです。
やがて卒業が近づくにつれて、少しずつあきちゃんが変わってしまいました。
〝私〟は寂しくなります。
未来への戸惑いや取り残される悲しさを知りました。
そして、ふたりは大人になりました。
もう会うこともない、ふたりです。
それでも春に制服姿のを見てると〝私〟の胸には高校生の頃のふたりの放課後がよぎるのです。
あの時の気持ちは、あの頃の自分にしか抱けないものだったってわかっているのです。
あの時、ふたりとも同じことを思っていると感じていました。
でもそうじゃなかったんです。
それでも〝私〟にとってあの気持ちは嘘なんかじゃなかったのです。
未来に続かなくても大切な気持ちがあるのです。
あの時、あきちゃんと過ごした時間も、抱いた感情も、人生でたった一度しかない宝物だとわかっているのです。
今はもう思い出のなかにしかいない、あの頃のふたり。
胸の奥には、まだ消えずにいます。
あの時、その相手にしか抱けなかった気持ちだとわかるから。
一度きりの季節と、一度きりの気持ちだから。
消えたりしないのです。
ささやかな胸の奥の疼き。
一度だけのかけがえのないこと。
無くなってしまったのにまだ覚えている、あの時は、確かにあったこと。
描かれているのは、そんな切なくて透明な気持ちです。
ここにあるのは、胸の奥を微かに揺らす、そんな美しい物語です。
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