5両目2番ドア

@mioichi

5両目2番ドア


車内でケータイや本に没頭するのは、人を不快にさせないためだと思うの。電車の中で不躾に他人を観察していたら、された方は嫌な気持ちになるでしょう?


だからあえて目を落として、私はあなたの邪魔をしていませんよっていう、スタンス。


山手線に乗り込み、左端の席に座る。この時間は比較的、空いているのが嬉しい。右斜め前に、今日もあの人を見つけた。


1限のある水曜と金曜の朝、5両目の2番ドアのあたりにいる厚い胸板の、短髪。


朝の電車の顔ぶれなんて、いつもだいたい一緒だから気にも留めなかったけど、示し合わせたように皆がスマホを手にしている中で、本に没頭しているから目についた。



広げている文庫本がやけに小さく見える、それだけで恋に堕ちてしまった。


いつも何を読んでいるんだろう。


オー・ヘンリーの短編集を取り出しながら、想像を巡らす。



あなたのことを、見ていません。

邪魔していません。



暗黙の、サイン。



だけど、周りがスマホの中、私も本を読むのは、消極的な好意のアピール。



誰も気にもしない、お揃い。





品川で降りる人の波に、彼は上手く乗って席を立つ。右目の端だけで彼が立った気配を感じると、

ドアが開くのを待つ背中を一瞬、見つめるのが習慣になってしまった。



ノーネクタイのスーツを着こなした、背筋の伸びた後ろ姿。



おままごとみたいな恋だ。

それでも私はそれを享受している。






「アニキがさあ、夕方にランニングから帰ってきて、上半身裸でソファーを占領してたんだけど、汗がソファーに滴り落ちてキモすぎなんだよね。くっさいし」



細面の恵奈ちゃんは、きつねうどんのなるとを口に放り込んだ。途端に香ばしい香りが私に届く。



恵奈ちゃんのお兄ちゃん話は愚痴が多いけれど、

この話をするとき、いつも楽しそうな顔をしている。



「でも私、お兄ちゃんいないから、ちょっと羨ましい」


オムライスの黄色が汚くならないように、慎重にスプーンでひと口掬うと、口に入れる前に恵奈ちゃんに話した。



「どこが。あんなんいらないよ。あたし、やめてって怒鳴ったんだけど、無視してパピコ食ってんの。その後、そこで腹筋始めたんだよ。本当、ムサくて嫌になるよ」


パピコって、可愛いよね、と笑うと、毎日食べてんだよ、パピコ星人だよ!と呆れる。



ランニング好きで、家では半裸のパピコ星人。恵奈ちゃんのお兄ちゃんって、どんなだろう。





金曜日の山手線は珍しく混んでいた。入口の横に立って隅にもたれかかり、本を取り出す。



あの人は、斜向かいに吊り革を持って、後ろ向きで立っていた。背中をこっそり見ていたら、何故かこちらを振り返って、


目が合ってしまった。



ほんの数秒だった。だけど、確かにお互いの視線が絡み合った。見つめ合って、世界が静止したように感じた。



慌てて本に目を落とす。あなたのことを、邪魔していません。こんなことは車内では誰とだって、たまにある。



だけど、いつまでも彼が私を見つめているような気になって、オー・ヘンリーの美しい文章も頭に入って来なかった。



電車の減速で引っ張られるような感覚に、品川で降りる彼の背中を、いつもより慎重にこっそり見つめた。



その人は何故か、後ろを気にするように横に顔を向けたから、また目をお気に入りの本に落とす。



私、今日どこか変なのかな。







水曜日は雨が降っていた。傘の雫が人にかからないように慎重に電車に乗り込むと、また、あの人と目が合った。



勘違いじゃない。意図して、私を見ている。



後に乗り込んだ人の動きで生まれた、土のような雨の匂いに、糸のように繋がってしまった視線を無理に私から、切った。



本がうまく取り出せない。

きっと、ひどく赤面してる。



自分のものじゃなくなったような手で、無理に読みかけのページを開いた。字を追ってくれない目が、もどかしいまま考える。あの人は誰。私、もっと知りたい。




次にあの人を見つけた時も、視線がぶつかった。


糸のように繋がっていた視線が、紐のように強くなった。


怖いのに、視線を切りたくない。


規則正しく電車が走る音さえ聞こえなくなった

時間の後で、彼はその顔を綻ばせた。



笑った!



微かな笑みを載せた顔のまま、やがて彼は視線を切って、持っていた本に目を落とした。


大きな手で細かいページを丁寧に開くのを、吸い込まれるように見ていたけど、電車の揺れで慌てて目を伏せる。



私は、数か国語で話す電車のアナウンスすら耳に入って来なくなり、あの人が品川で降りるまで、

本も取り出せずに宙を見つめていた。




目が合って、見つめあい、彼の方から微笑して視線を切る日が続いた。




気づけば彼を想っている心を、無理やりに繋ぎ止め、お洒落やバイトや勉強を頑張った。


鏡の中の自分を、前から後ろから、何度もチェックする日が増えた。




金曜日。



次の日は神田にある恵奈ちゃんの家に、お泊まりの予定だった。この不思議な恋の話を聞いてもらおう。


きっと、視線だけじゃダメだから。もっと近くに行きたいから。



いつもの山手線に乗り、いつもの席に座って、いつものように視線を絡めた。


いまだに上手く開けない文庫本を、何とか開く。


品川まで、同じ数行を何度も読み返した。



電車の減速で彼が席を立ったのが分かる。ドアに向かって後ろ向きになったら、こっそり見つめるはずが、私に向かって来る。



目をあげて確認していない。でも分かる。


鍛えた身体が、私の前にいる。


顔があげられない。


心臓が、全身を暴れさせるように騒いでいるのに、読んでいない文庫本を左手で辛うじて支えたまま、身体は、少しも動くことが出来ない。



優しい音を立てて大きくて綺麗な指が、上質なメモ用紙を私の文庫本に栞のように差したのを合図に、見上げたら彼は微笑して、品川で降りていった。


隣駅までは、何もできず呆然としていた。


電車が大崎を出るころ、意を決して、その美しい白のメモ用紙を開いてみる。


立派な字だった。癖があるけど、トメハネハライのちゃんと書かれた字。



「えっ」



思わず声が出てしまった。


目が、何度も何度も短い文を、繰り返し追ってしまう。




【明日、来るの待ってる。


パピコ星人】



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

5両目2番ドア @mioichi

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画