2026年7月28日 02:41 編集済
鴨下衛一等兵 昭和二十年 秋 新潟にてへの応援コメント
おいしくいただきました。おそらく現代の作家であれば(アマチュアだけど特に私なんかは)、何らかのひどい・珍しい・痛いなどの経験をしたら、これを糧にして作品を書いてやると考えるでしょう。でも鴨下くんはそうはならなかった。何かを思考すると必ずどこかで停止してしまう。何が原因で、一体何のために、そんなことは考えるだけ無駄という時代だった。でも今考えてみても、きっと思考停止してしまいますね。どうして人が死んだのか。戦争中だったから。どうして戦争になったのか。停止。昔は、たまに見ました。特に東京で。片足のない男性が筵の上に座って物乞いをしているのを。台湾では25年前にも見ました。路上のテーブルでフルーツが乗った鮮やかな色合いのかき氷を食べる観光客に向かって、何かしゃべっている片腕のない男性を。林芙美子ならどう書いたでしょう。意外と、チャーミングな描写で修飾を施したかもしれません。(彼女の作品は読んだことがないのですが)鴨下くんにとっては、思考の先が赤土の感触とそうめんの記憶だったのかな。そんなふうに思いました。大変おいしゅうございました。ありがとうございました!
作者からの返信
祐里様おいしくいただきました、と言われて、こっちが先に唸った。素麺の茹で加減の話じゃなくて小説の話なのに、その言い方が一番正確だった。「何かを思考すると必ずどこかで停止してしまう」——これです。まさにこれです。鴨下は考えることをやめた男じゃなくて、考え続けた先に何もないことを、頭より先に体で知っていた男として書きました。どうして人が死んだのか。戦争中だったから。どうして戦争になったのか。停止。ここまで正確に言い当てられると、書いた側が何か言い足す隙がない。従来の戦争文学からは、できるだけ離れたかった。玉砕を悲劇として磨き上げる型と、反戦のメッセージとして意味づける型。どちらも書き手が出来事に意味を与えることで成立する。鴨下にはそれをさせたくなかった。させたくなかった、というより、させられなかった。彼が最後まで「わからない」としか言えないのは、無知だからじゃない。簡単に意味を与えることへの、体の抵抗です。だから戦闘も、玉砕命令も、劇的には描けなかった。腹の減りと、土の感触と、それだけで押すしかなかった。考えてみれば、その頑固さの出所は、ばあちゃんにあったのかもしれない。「本は逃げん。飯は今食うもんだ」。思想でも教訓でもない、ただの生活の順番です。でも鴨下は戦場でも収容所でも、その順番から一度も外れなかった。考えるより先に、腹が減る。答えを出すより先に、次の一歩がある。理屈より先に生活がある、というばあちゃんの手つきを、彼は無自覚に持ち歩いていたんだと思います。物乞いの方の話、しばらく手が止まりました。東京と台湾、時空の隔たりを越えて同じ光景が繰り返される、ということ自体がもう、この小説がやりたかったことそのものです。林芙美子ならどう書いたか、という想像も面白い。彼女の文体は生活の猥雑さと明るさを両方持っているので、悲惨さをそのまま突きつけるんじゃなくて、どこかチャーミングに描いた可能性はある。鴨下が最後まで持てなかった強さかもしれません。思考の先が赤土の感触とそうめんの記憶だった——この一文だけで、書いた甲斐がありました。理屈で終われない人間が、それでも生き続けるとき手元に残るものが何か、まさにそこに置いたつもりでした。大変おいしゅうございました、をこっちが言いたいくらいです。ありがとうございました。
編集済
鴨下衛一等兵 昭和二十年 秋 新潟にてへの応援コメント
おいしくいただきました。
おそらく現代の作家であれば(アマチュアだけど特に私なんかは)、何らかのひどい・珍しい・痛いなどの経験をしたら、これを糧にして作品を書いてやると考えるでしょう。
でも鴨下くんはそうはならなかった。
何かを思考すると必ずどこかで停止してしまう。
何が原因で、一体何のために、そんなことは考えるだけ無駄という時代だった。
でも今考えてみても、きっと思考停止してしまいますね。
どうして人が死んだのか。戦争中だったから。どうして戦争になったのか。停止。
昔は、たまに見ました。特に東京で。
片足のない男性が筵の上に座って物乞いをしているのを。
台湾では25年前にも見ました。
路上のテーブルでフルーツが乗った鮮やかな色合いのかき氷を食べる観光客に向かって、何かしゃべっている片腕のない男性を。
林芙美子ならどう書いたでしょう。
意外と、チャーミングな描写で修飾を施したかもしれません。
(彼女の作品は読んだことがないのですが)
鴨下くんにとっては、思考の先が赤土の感触とそうめんの記憶だったのかな。
そんなふうに思いました。
大変おいしゅうございました。
ありがとうございました!
作者からの返信
祐里様
おいしくいただきました、と言われて、こっちが先に唸った。素麺の茹で加減の話じゃなくて小説の話なのに、その言い方が一番正確だった。
「何かを思考すると必ずどこかで停止してしまう」——これです。まさにこれです。鴨下は考えることをやめた男じゃなくて、考え続けた先に何もないことを、頭より先に体で知っていた男として書きました。どうして人が死んだのか。戦争中だったから。どうして戦争になったのか。停止。ここまで正確に言い当てられると、書いた側が何か言い足す隙がない。
従来の戦争文学からは、できるだけ離れたかった。玉砕を悲劇として磨き上げる型と、反戦のメッセージとして意味づける型。どちらも書き手が出来事に意味を与えることで成立する。鴨下にはそれをさせたくなかった。させたくなかった、というより、させられなかった。彼が最後まで「わからない」としか言えないのは、無知だからじゃない。簡単に意味を与えることへの、体の抵抗です。だから戦闘も、玉砕命令も、劇的には描けなかった。腹の減りと、土の感触と、それだけで押すしかなかった。
考えてみれば、その頑固さの出所は、ばあちゃんにあったのかもしれない。「本は逃げん。飯は今食うもんだ」。思想でも教訓でもない、ただの生活の順番です。でも鴨下は戦場でも収容所でも、その順番から一度も外れなかった。考えるより先に、腹が減る。答えを出すより先に、次の一歩がある。理屈より先に生活がある、というばあちゃんの手つきを、彼は無自覚に持ち歩いていたんだと思います。
物乞いの方の話、しばらく手が止まりました。東京と台湾、時空の隔たりを越えて同じ光景が繰り返される、ということ自体がもう、この小説がやりたかったことそのものです。林芙美子ならどう書いたか、という想像も面白い。彼女の文体は生活の猥雑さと明るさを両方持っているので、悲惨さをそのまま突きつけるんじゃなくて、どこかチャーミングに描いた可能性はある。鴨下が最後まで持てなかった強さかもしれません。
思考の先が赤土の感触とそうめんの記憶だった——この一文だけで、書いた甲斐がありました。理屈で終われない人間が、それでも生き続けるとき手元に残るものが何か、まさにそこに置いたつもりでした。
大変おいしゅうございました、をこっちが言いたいくらいです。ありがとうございました。