第14話:走り抜ける(上)
移動車両の中で、三人は装備を身につけていた。
南区第二地区の東端にある衛星都市へ、魔獣の群れが近づいている。住民の避難が終わるまで足止めしてほしい、と車両内で早口で頼まれた。
「ツキ、腕も確認した?」
「はい」
月草は前腕固定ベルトをグッと押さえた。革と金属の間に縫い込まれた導線繊維が、袖口の内側で少し光っている。任務前に締めると、いつも少しだけ手の形が変わったように思える。
向かいの席では、
「ヒワ、前閉めて」
「閉めるってば」
「今」
「はいはい」
鶸はしぶしぶ前のテープを閉めた。腰回りには制動ベルトが巻かれている。飛ぶ鶸の装備は、空中で安全に止まるためのものが多い。
「制動、確認した?」
「したー」
「ほんとに? よく忘れるし」
「たまにだよー!」
車両が揺れ、吊られたゴーグルが小さく鳴った。月草は通信イヤーピースを耳に入れ、防護ベストの胸元を一度だけ押さえた。硬い。重い。けれど、その重さがたぶん安全のあかし。
車両が速度を落とす。外から、焦げたにおいが細く入り込んできた。
「降りるよ」
深緋が立ち上がった。
*
広場へ着いた時には、すでに避難誘導が始まっていた。
大人たちの声が飛び交う。荷ぐるまを押す人。子どもの手を引く人。南一班は広場の端へ走った。
「ヒワ、上がって」
「へーい」
鶸がつむじ風を連れて、トンと地面を蹴り、浮き上がる。
深緋は広場と街路の境へ炎の線を引いた。月草はその中へ入り、身を低くする。
「ツキ、ここから動かないでいて」
「はい」
遠くで何かが倒れる大きな音。
次の瞬間、街路の奥から魔獣が次々と飛び出してきた。
月草は反射的に身構えた。
けれど魔獣は広場へいる人たちではなく、その向こうを見ていた。
「来たよー!」
「見てる」
魔獣の群れは炎の防衛線を避けるように進路を変え、そのまま広場を横切る。
深緋が追加の炎を走らせる。
鶸が上空から進路を追う。
だが魔獣は止まらなかった。しかし襲ってくることもない。
ただ、街を抜けていく。
何頭も、何十頭も、青黒い狂風のごとく目の前を駆け抜ける。
三人は唖然としていた。三人だけでなく、その場にいた誰もが。
魔獣が街を抜けていったあと、空気にはまだ焦げたにおいが残っていた。
月草は、魔獣が駆け抜けていった方向を見ていた。何も、することがなかった。広場の端で深緋が張った炎の防衛線の跡が、石畳に黒い線になって残っている。荷車が一台、横倒しになって、車輪が空を向いたまま回っていた。砂と、こぼれた荷物と、誰かが落としていったらしい片方だけの靴。それらが、ばらばらに散らばっている。
「ツキ、大丈夫?」
深緋がそばに来て言った。深緋も月草も、汗ひとつかいていない。ただ冷たい何かが背中をゆっくりと伝っているだけだ。
「あの、はい。びっくりしたけど大丈夫です」
「まあ、拠点まで戻ろうか。受け入れの手伝いあるし」
月草はうなずいて、膝を払ってから立ち上がった。上空から、ふわりと鶸が降りてきた。風をまとった体が、ゆっくりと地面に着く。
「なんかー、行っちゃったねー」
「うん」と深緋。
「あいつら、最後こっち見もしなかったよ」
鶸はそう言って、空の方を振り返った。けれど深緋は何も言わず、広場の出口の方へ歩きだした。月草は、二人に小走りに付いていった。
*
支援拠点は、街の外れの広い空き地に作られていた。
南一班が戻ってきた時には、空はもう昼を過ぎていた。月草は深緋の後ろを歩いていた。靴の中に細かい砂が入っていて、一歩ごとにじゃりじゃりする。
鶸はさらに後ろから、のろのろした足取りでついてきた。前線では風に乗って飛び回っていた鶸も、地面に降りてしまえば、ただの疲れた子どもだった。
司令部らしい大きな
月草は、あまり聞き慣れない内容にそわそわした。前線で聞いていたら聞き流していたような言葉が、支援拠点のざわめきの中だと、なぜか耳に残った。
「ツキ、こっち」
深緋が呼んだ。
深緋は、車両の脇に置かれた箱の前で、すでに毛布を腕に抱えていた。一枚、二枚、三枚と数えて、月草の方へ差し出す。月草はそれを受け取った。毛布はあたたかくて少し羊のにおいがした。
「あっちの天幕、見える?」
「……はい」
「白い札が下がってる方。あそこに座ってる人たちへ、一人一枚ずつ」
「はい」
「一枚ずつだよ。多めにはあげない」
「はい」
毛布は一枚ずつ。月草は繰り返しながら、毛布を抱え直して、白い札の天幕へ向かった。
天幕の中は、シートが地面に敷かれ、避難してきた人々が思い思いに座っていた。膝を抱えている人、地面を見ている人、隣の人と小さく話している人。年寄りの女の人が一人、片方の靴を脱いで、足首を気にしていた。
月草は、いちばん端の人から、毛布を渡していった。
「あの、毛布です。どうぞ」
「ああ、ありがとう」
短い返事が返ってくる。月草は次の人のところへ移った。三人目の男性のところで、ふと、足が止まった。
男性の上着の肩のあたりに泥がついていた。見たところ、大きな傷はない。けれど月草は、毛布を渡そうとして、なぜか、その人の左の脇腹が痛そうに見えた。
目で見て、何かが見えたわけではない。
ただ、そこだけ、壊れているような気がした。
月草は、自分が今、何を感じたのか、良くわからなかった。気のせいかもしれない。けれど、毛布を渡す手が自然と止まっていた。
「あの……どこか、痛みませんか」
「いや、大丈夫だよ。ちょっと突き飛ばされただけだから」
「左の、お腹のあたり」
「お腹?」
男の人は、自分の脇腹に手を当てた。触って、少し顔をしかめた。
「……あれ。さっきはなんともなかったんだけどな」
「ちょっと、そのまま待っていてくださいね」
月草は、毛布を膝の上にそっと置いて、天幕の外へ出た。深緋を探した。
深緋は、車両のところで、毛布をさらに受け取っていた。月草はその横へ行って、小声で言った。
「コキア、あのね」
「ん?」
「白い札の天幕の、奥から三人目の男のひと。けがしてなく見えるけど、お腹の左側、なんか、変な気がする」
「変?」
「えっと、うまく言えないけど、きっとお腹が痛そう……けが……してそう……」
少しずつ小さくなる声に、深緋は一度、月草を見た。
それから、白い札の天幕の方を見た。
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