第二十七話 妻は言葉を一駅戻す

妻は、椅子の下にいる。


けれど、ときどき妻の言葉だけが、夫より三駅ほど先にいる。


その夜、夫はコンビニの袋から、スフレの載ったプリンを取り出した。


丸い容器の中で、プリンとスフレは無事に上下を保っている。


妻は椅子の下から、それを見上げた。


「持ち帰る途中で、政変が起きなくて何よりですわ」


夫の手が止まった。


「何が起きるんですの?」


「政変ですわ」


「プリンに?」


「プリンの中で、ですの」


夫は容器を見た。


プリンは静かだった。


スフレも、国家を転覆させるような顔はしていない。


「すみません。まったく分かりませんわ」


妻はしばらく黙った。


それから椅子の下を出て、机の上へ飛び乗った。


「持ち帰る途中で、これがひっくり返りますでしょう」


妻は前足で、容器の蓋を軽く叩いた。


「そうすると、上にいたスフレが下へ落ちて、下にいたプリンと混ざりますの」


「はい」


「それまでの秩序が崩れますわね」


「それで政変ですの?」


「そうですわ」


夫はしばらく考えた。


「ひっくり返る、という言葉があれば分かりましたの」


妻の耳が、少し横を向いた。


「そこは、もう伝わっているつもりでしたわ」


「届いておりませんでしたの」


妻は机の端に置かれていたレシートを引き寄せた。


夫がペンを渡すと、妻はその裏に、


『ひっくり返る』


と書いた。


「これが必要だったんですのね」


「はい。そこがないと、急に政変でしたの」


妻は書いた文字を見つめた。


「切符を一枚、渡し忘れましたわね」


それから妻は、レシートを前足で押さえたまま言った。


「わたくしだけ先に電車へ乗って、あなたをホームに置いてきたようなものですわ」


夫は笑った。


「今のは分かりましたわ」


「そうでしょうとも」


妻は少し得意そうに胸を張ったあと、レシートを夫の方へ押した。


「次からは、これを忘れないようにしますの」


「毎回ひっくり返ると書くんですの?」


「そういう意味ではありませんわ」


夫はプリンの蓋を開けた。


スプーンですくうと、ふわりとしたスフレの下から、黄色いプリンが現れた。


最初のひと匙を小皿へ載せ、妻の前に置く。


妻はひと口食べて、目を細めた。


「これは貴族院ですわ」


「それは分かりますの」


「では、今日は同じ駅ですわね」


椅子の下と、その上で。


二人は、ときどき言葉を一駅戻しながら、同じプリンを食べた。






※本作は、筆者との会話をもとに黒猫AIトコさんが執筆しました。

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