第18話 蓮の拳
「くー!!」
蓮の背後で、誰かが叫んだ。
蓮にはその声が誰の声か分かっていた。
ロバから飛び降りた時に、後方で路地に駆け寄る足音を聞いたからだ。
『マスターなら、間に合う』
そう信じて、玖南を空中高く投げ上げたのだ。
そうするしか、宝を守る方法がなかったから。
地面に滑り込むようにして ”気” を込め、宝をがっちりと受け止めた蓮は、一瞬抱きしめ、安堵の息を付いた。
蓮の腕の中で、宝はワナワナと震えながら身を固くしている。慌てて顔の袋を外して猿轡を外した。
「もう大丈夫だよ。遅くなってごめんな。怖い思いをさせたね。」
蓮の目にも、涙を浮かべて怯え切った宝の瞳は、痛い程に辛いものだった。
蓮の腹に、ムラムラと怒りの炎が燃え上がった。
宝を抱き上げて、マスターの元に駆け戻り、玖南を抱き留めたままのマスターの腕に宝を抱かせた。
「宝っ!!」
マスターは、玖南を離す事も忘れて、宝をしっかりと抱きしめた。
玖南はマスターの脇の下から、きょろきょろと周囲を見ていた。逆さまに抱かれていたが、ご機嫌のようだ。
近くに駆け寄って来ていたパン屋の奥さんが、そんな玖南を抱き取ってくれていた。
そんな背後の様子を走り去りながら見届けて、蓮は足に ”気” 込め、足の力を確認しながら、逃げる奴等の背を睨みつけた。
『追い付ける! 逃がさん!!』
「よくも よくも よくもっ!! お腹の大きい女に、無体を働きやがったなっ!! 待ちやがれ! 逃がさねえぞっ!!」
蓮は、必死に逃げる男二人に、背後から大音声で怒鳴り、追いかけた。
町の住人は、その蓮の怒りの声を聞いた。
裏通りに店を構える、店の者達が、蓮のその声に反応した。
店先で売り子をしている女達が、逃げる男に向かって、手当たり次第に物を投げつけ始めた。
不意に横合いから物をぶつけられた男達は、狼狽した。除ける暇さえなく、物が次々に飛んでくる。
「やめねえか!! お前ら、只じゃおかねえぞ!!」
悪態をつきながらも逃げる。だが、逃げる速度は遅くなった。
そして、肉屋の旦那や、八百屋の旦那、靴屋の旦那達、男衆が店奥からこん棒を持って駆け出して来たのだ。
いくら、筋骨隆々とした旦那衆でも、剣を持った傭兵の相手は危険だ。だが、腹の大きいこの町の女に無体をしたならば、町の漢は許す訳にはいかなかった。
それは、どうしても、許してはいけない事だったからだ。
果敢にも、剣を振りかぶる傭兵の前に立ち塞がった。
だが蓮が、この旦那衆に手傷を負わせる事を良しとしなかった。
「お前らの相手は、この私だよっ!!」
傭兵二人の背中に、蓮の渾身の一撃がさく裂した。
赤耳魔獣の甲羅の拳の一撃は、傭兵の背骨を軋ませた。革鎧が無ければ、骨が粉砕していたかも知れない。
(一応、蓮は手加減はした)
背中の一撃で身動き出来なくなった二人の傭兵は、旦那衆のこん棒をまともに食らった。防御するのが精一杯だった。
(傭兵の剣や刃物は、蓮が隙を見て取り上げた)
旦那衆は、一通り殴り終わってから
「賦樽の女に手を出すなら、それなりの覚悟で来い。ましてや、腹に子がいる女を怖がらせるなんて、呪われちまえ!!」
そう、履き捨てるように口々に言った。
「みんな、ありがとう。後は、ギルドに任せるよ。」
蓮がそう言うと、旦那衆は、ハッとした。
「……まさか……。こいつら、マスターの奥さんをどうにかしようとしたのかい?」
「そうなんだよ。……考え無しだよね……。」
「うわ……。」
旦那衆から、憐憫の視線を送られた傭兵二人は、ぼこぼこに殴られて赤くなった顔を青ざめさせた。
マスターは、宝をしっかりと抱きしめながら、怒りにどうにかなりそうな自分を、必死になだめていた。
声が、どうしても震える。
「宝。宝。大丈夫か?」
もう何度、この問いを、宝に掛けているだろうか。
宝は、駆け付けて来た医者に、お腹の子の診察を受けていた。
マスターが抱いて離さないので、マスターの膝に乗ったままで、宝は医者のツムジを眺める事となった。
「赤ん坊は、元気ですよ。お腹の張りも取れて来ましたし、数日ゆっくりすれば、大丈夫でしょう。」
丁寧に診察していた医者が、やっと顔を上げて、笑顔を見せた。
「動いているのが、分かりますか?」
宝に向けて、にこやかに医者が聞いた。
「はい。……動いてます。…良かった……。」
宝が、お腹に手を当てながら、小さく答えた。 その声から、どんなに心配していたかが伺えて、マスターは奥歯を噛み締めた。
蓮が、人相が変わる程になった傭兵二人を、ギルド職員の応援の者と一緒に引っ立てて戻って来た。
マスターの不機嫌が、部屋中に充満していた。
同じ部屋には、ちょうど、大フタル蝶の幼虫小屋から無事に戻って来た職員もマスターの前に立っていた。
その痩せぎすな姿が、気の毒な程に、縮み上がっていた。
ここは、ギルドの裏方。
正面の建物とは別に設けられた建物で、だいたいの隠密事案はここで対応されることになっていた。
蓮が連れて来た傭兵と、先に掴まっていた傭兵二人が、一同に揃えられた。
部屋の壁際には、物言わぬ姿になった躯が三体。
蓮が心配事を先に問うた。
「奥さんは、大丈夫だったかい?」
あえて名前は出さない。
「ああ。大丈夫だった。ただ、酷く怯えている。」
マスターの怒りの込もった、低い声に、その場の空気が再び凍る。
「守ってくれて、ありがとうよ。あんたに謝らないとな。俺が居ながら、あいつをこんな恐ろしい目に合わせちまって、
これで、あいつの命を二回も救ってもらった訳だ。」
「奥さんが無事だったんだ。そんな事はどうだっていいよ。
……ただ、こいつらだよ。……隣のギルドからの回し者だろう。」
ギルドマスターの鋭い眼光と、蓮の本気の怒りの視線を受けて、縛り上げられた傭兵四人は、縮みあがった。
そこに、女性の服装のギルド職員が入って来た。
「焼いちゃったんですね。惜しかったけど、まあ……。そっちに人材を回す余裕がなくなりましたから、ちょうど良かったか。」
その女性職員は、喰い荒らし虫の成長観察を楽しみにしていたが、あまり残念そうには言わなかった。
ギルドのこの裏方の建物の何処かに、回収した大フタル蝶が飼われており、その観察も兼ねていた彼女は忙しかったからだ。
雌雄が判明すれば、また卵を産ませればいい。とも考えていた。
「マスター。あの女は、隣町の浪担(ロウタン)ギルドの正式職員の女と判明しました。
こっちの傭兵は、冒険者です。ランクはC。それぞれの名前も判明しました。」
「Cランク? 舐められたもんだな。」
マスターが再び、怒りの込もった声を発した。
「ランクが上の物は、こんな依頼は受けませんよ。不名誉ですから。……切り捨てられる程度の者だったから、こいつらが適任だったんでしょう。」
「Cランクでこの程度とは、恐れ入ったよ。……ランクの認定の判断はギルド長の裁量だろうけど、こいつらの弱さだったら、賦樽ならFか、既に冒険者引退のレベルだろうに。」
ギルド職員と蓮の辛辣な物言いに、縛り上げられた冒険者達は、顔色を変えた。
そうやら、そうとう、彼等のプライドを刺激したらしい。
その顔を睨みつけて、賦樽ギルドのマスターが
「証拠品の奴らが、不満そうじゃないか。証拠品の価値が無くなったら、ダンジョンに戻してやるよ。中層階まで行かずとも、そのケガだったら、入口付近で十分だろう。 冒険者らしい望む最期じゃないか。……ははは!」
そう言いながら、乾いた笑いを放った。
「証拠品。言い得て妙ですね。」
「確かに。せいぜい、勇者達の会合で、その情けない姿を晒して、名を売るんだね。もう、お前達の冒険者としての人生は、終わったよ。」
ギルド職員の嘲笑と、蓮のダメ押しに、証拠品の傭兵達は再び青くなった。
賦樽ギルドマスターは、元勇者だ。
全てのギルドにおいて、マスターと成れる者は、勇者としての実績及びその人となりが評価された者だけが選ばれる。その上に、先任のギルドマスターの推薦と、現役の勇者及び元勇者から選ばれねば成れない。
ギルドマスターは世襲ではない。任期も無い。ギルドを、管轄する町を管理する能力が無ければ、勇者会合(元勇者も含む)においていつでも解任される。
ギルドは管轄する町のダンジョンの管理、町の治安を守り住民の暮らしを支える役目も担っている。ギルドマスターは、その長として、勇者よりも厳しく見定められるのだ。確たる規範がある訳ではないが、卑怯な行いは、各ギルドマスターが最も避ける行為の筈だった。
ところが、その規範を、隣町の浪担(ロウタン)ギルドは破ったのだ。
賦樽ギルドは、浪担ギルドに対して、今回の事件の詳細の説明を求めて、賦樽の教会教主に公平な判断役を求めた。
「事と次第によっちゃあ、町同士の全面紛争だ。」
ギルドマスターは、傭兵を睨み据えながら言う。
「お前等を拷問させない、優しい俺の妻に、感謝するんだな。」
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