第15話 蓮、風の剣を使う

 町外れの、大フタル蝶の飼育場は、町中から随分離れた場所に作られていた。


 町の一区画がすっぽりと入る程の大きな敷地の周囲には、草が生い茂る原野が広がり、低い高低差の丘を越えた先に、その飼育場が構えられていた。

 

 窓の無い木製の木組みの小屋が3棟。その小屋を大きく囲む形で、柵が三重に張り巡らされていた。


 蓮が、背中に玖南を背負って、この柵の入口に立った。


 外側の柵は錆びてささくれた鉄線が無造作に積み上げられている。

 この錆びた鉄が皮膚に刺されば、傷は膿み、処置が悪ければ苦しんだ末に命を落とす事だろう。


『ここに許可なく入るならば、死ぬ気で来い』

そういう警告の意味も込められている。


 その鉄線の内側には木製の普通の柵。一番内側の柵は、この短期間でよく準備出来たものだと呆れる程に背の高い丸太の支柱が、木製柵を支えていた。

 その守りの厳重さは、この蝶の危険さを周囲に認識させるのに十分だと思う。


 にも拘わらず、遥か向こうの草の茂みの先に、こちらを伺う数人の気配が臭った。


 蓮は、背に負った玖南をゆすってあやしながら

「ああいう、気配も消せないヤツには、気をつけるんだよ~。」

のんびりと、そう言って、わざとその方角を指差した。

「無鉄砲な奴等だから、自分の力量以上の成果を欲しがるんだ。で、言って聞かせても引かないんだよ。だから、早めにどっちが強いか、分からせないと厄介なんだ。」


 そんな事を言っていたら、ロバの息遣いと蓮の声に気が付いたギルドマスターが、一番手前の小屋から出て来た。


「蓮さん。済まないな。急に頼んじまって。」

マスターが素直に謝った。


「ホントだよ。ここには、玖南がハイハイする場所がないじゃないか。これじゃ、天幕布を上に張らずに、地面に敷かなきゃならない。明日の補給の人に、天幕を持たせてくれ。」


「……今夜の夜露は凌げないな。すまん。」

「いいよ。玖南が濡れない程度の物は入ってるから。……それより、もう随分と狙われてるじゃないか。」


「そうなんだよ。どっかのバカが、駆け出し冒険者を雇ったんだろうな……。」


 蓮とギルドマスターは、周囲をぐるりと見渡した。


「やれやれ。マスターが離れるのを、今か今かと待ってるんだろうね。」

「やっぱり、そうだよな……。」


「すまないね。蓮さん。俺も、宝が心配なんだよ。今日くらい帰ってやりたくて。」

「いいよ。乗りかかった船だし。玖南と私の装備に付いてたの卵だ。うかうかと渡すような事はしないよ。」

「有難い。ひよっこ冒険者は、どう料理してくれてもいいからな。」


「こんな仕事に雇われてるような奴は、早めに身の程を知った方がいいんだよ。冒険者としていっぱしになりたいなら、ギルドの仕事を、まずは地道にこなして行けってね。」

「違いねえ!!」


 蓮とマスターは、大口を開けて大笑いした。その声に釣られて、玖南もきゃっきゃと笑ったので、また二人は笑った。


「さて。マスター、ちょいと周囲を見晴らし良くしておこうかと思うんだ。」

「おお! 噂の、風の剣を目の前で見れるのか!!」

マスターは嬉しそうな声を出した。


 蓮は、にっこりと笑って、腰に下げていた細身の剣をさらりと抜いた。

 

「さて。玖南。よく見ておくんだよ。この剣はこうやって使うんだ。」

そう言うと、蓮は見事な一閃を横薙ぎに振った。


 その一閃は、剣の重さなど無いかのように、舞うように軽々としていた。

 スーッと風が静かに草を吹き抜けていく。


 そよ風のように静かな一閃だった。


 その後、ゆっくりと、草が根元から倒れ始めた。

 一本が倒れると、その重みで次を押した。そして、扇形に水が流れるように静かに、その波はずっと先に広がっていった。


 草が倒れた先に、身なりの悪い男が3人、しゃがんだままの姿で現れた。

 蓮は、風の到達威力を、彼等に触れないぎりぎりで調整していたのだ。


 男達は、唖然として、動けないでいる。


「蓮さん。足首くらいかすってやれば良かったのに……。」

「そんなうまくいけば、苦労はしないんだよ。」


「え? そうなの?」

「そうだよ。下手したら、体真っ二つだからね。」


「え?! この風、そんなすっぱりいく感じ?!」

「そう。すっぱり。綺麗にすっぱりいく。」

「すげー!!」


「加減が、難しいんだよ……。今回は、上手くいった!」

蓮は、安堵の息をふーっと吐いた。


「もしかして、まぐれ?」

マスターは、恐る恐る聞いてみた。


蓮は、大笑いした。

「さあ? どうだろうね?」

蓮に釣られて、背中の玖南がまた楽しそうに笑った。


夕風が、刈り取られたばかりの草の匂いを運んで来た。

夕日が赤く染まり始めた中に、3人の男達は無言で立ちあがって、転がるように走り去っていった。


「マスター、もうすぐ暗くなるよ。日が暮れたら厄介だから、早く荷物を柵の中に入れといてもらえないかな。」

「お、おお。分かった。」


「町には、ロバに乗って帰るだろう? ロバに水も飲ませてておいて欲しいな。」

「分かった!」


「私は、玖南と一緒に周りの草をもうちょっと刈って、見晴らし良くしておくよ。」



 飼育場の周囲の草原の草は、ここ数年放置されていたが、蓮の舞うような風の一閃で綺麗に刈られて、見晴らし良くすっきりとなった。

 これで、草に紛れてこの場所に近付く事は難しいだろう。


「おおー!! いい牧草が出来たぞ!! 明日はギルドに牧草集めの広告を出さないとな。」

そんな事を言い残して、マスターは身重の妻の元に、ほくほく顔で帰って行った。


「さあ。玖南。私達も夕飯にしようか。」

蓮は、地面に敷いた天幕布の上に、玖南を降ろした。


「玖南。この布から出たら、手と足が痛い痛いになるよ。」

そう言い聞かせてながら、荷物の中から玖南を寝かせる敷布を取り出して広げたりと、寝る為の準備を暗くなる前に済ませた。


「宝さんが、美味しいお粥を作ってくれてるよ。玖南が好きな子羊の肉も柔らかく煮てくれているよ。よかったね~♡」


 玖南と蓮は、その夜、星が瞬く薄暗がりの中、小さな明りを灯して過ごした。


 後年、成長した玖南がこの時の事を覚えていて、蓮に話して聞かせる事になるとは、思いもしない蓮だった。



 予想通りに、マスターが去る姿を確認した不心得な輩が、この飼育場を狙って、その夜は度々襲撃に現れた。


 蓮は時に玖南を背負って、時に眠る玖南を起こさないように気遣いながら、散発的にやって来る輩を無言で静かに撃退していった。


 風の剣の一閃の餌食になった者は居なかった。


 蓮は血の匂いを、まだ小さい玖南に嗅がせたくなかったので、風の剣以外の木剣で闘った。蓮の鍛錬用の木剣だ。


 ひよっこ冒険者だったり、食い詰め冒険者だったりと、相手は安い金で雇われた者達のようだったので、蓮は彼等の様子に、憐憫の念を抱いた。


『こいつらを最初に導く人物との出会いが無かったことは、不運だったな』

そう思った。


 まだ若い冒険者には、打ち負かした後に

「お前はまだ若い。まだやり直せる。ギルドに行ってきちんとした仕事を地道にこなしていけば、まだ道は開ける。」

そう、諭した。


 うらぶれて、冒険者にもなれない、どうしようもない者には

「こんな婆さんに負けるんだから、もう辞めたらどうだい。

 ギルドに行きな。一旦冒険者として届け出してから、身ぎれいにして、まっとうな仕事を探しな。」

「まっとうな仕事なんてあるのか?」

「札の色によって金額は違うが、冒険者になった初めの一月は、幾らかの金を貰える筈だよ。」


「……札がない。」

「なら、まずは教会に行って、札を貰いな。札無しで今まで生きてたなら、札を貰えたら、運気が開けるかも知れないよ。」


「……俺にも、札、貰えるのか?!」


「あんた、貧民街の出だね。私もだよ。」

「……!!」

「一人に一つずつ、札は必ずある。教会に行けば、腹いっぱい食わしてもらえるよ。」


「……行ってみるよ。」


「で? あんたを雇った奴の名を、聞いたら答えてくれるかい?」

「……それはできない。」


「そうかい。そうだよね。……うまく教会まで辿り着ける事を願ってるよ。」


「……?? おう。ありがとう。」


「向こうの道に向かいな。こっちを伺う奴らが向こうに5人も居る。しくじったら消すつもりなんだろうね。殺気を消しもせず、こっちを睨んでるよ。」


 その男は息を飲んだ。


「……恩にきるよ。……俺を雇ったヤツの名なんだが……。」

ボソボソと、小さな声だったが、はっきりと名前を告げた。


「……そうかい。分かった。こっちこそ、恩にきるよ。同郷のよしみだ。足止め位はしてやるよ。」


 蓮は、腰に下げた風の剣を、するりと抜いた。


「しっかり、足に力を入れて走るんだよ。必ず、教会に行って、札をもらいな。」

蓮は念を押すように言った。そして、微笑んだ。


「私の合図と一緒に、向こうに走るんだよ。」

 蓮は静かに構えた。


「今だ! 走って!! ……良い未来を!!」


 蓮が遠い背後で動いた5人に向けて、一閃を放った。

 風は静かに刈られた草を揺らしながら走って行った。

 やがて風の刃が、5人の男達の向う脛の脛当てを切り裂いた。皮一枚の深さに届いた威力が、脛当ての中で血の臭いを立てた。


「ぐっ……。」 

 5人の男達は、堪らず全員膝を付いた。


「人を、モノみたいに扱うヤツは、胸●悪いったらないね!!」

蓮は、珍しく悪態をついた。


 地面に膝を付いた男達に一瞥をくべただけで、蓮は走り去る痩せた黒い影を気にしつつ、すぐに玖南の元に戻って行ったのだった。

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元勇者の祖母は、今日も孫を背中におぶってダンジョンにもぐる 於とも @tom-5

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