第二章 新たなる冒険

4. 落下する流星、謎の少女との邂逅



 最初は鳥かと思った。しかし点はみるみる大きくなり、やがてそれが艇の形をしていることがわかった。帝国の紋章を持つ小型艇。しかし飛行軌跡がおかしい。高度が安定せず、左右に大きく揺れながら、それでも真っ直ぐヴェルタへ向かってくる。艇の後部から黒煙が尾を引き、その色が、推進装置の限界を超えた燃焼を物語っていた。


 「あれ、煙が出てますよ」ゼフィルの声が硬くなった。「あれ、落ちてきてますよね!?」


 「ああ、落ちてるな。どう見ても」


 広場の人々も気づき始め、ざわめきが広がる。発着塔の管制が警報を鳴らした。低い音が街に響き渡り、水路の舟が一斉に端へ寄る。露店の商人が荷を抱えて逃げ出し、子どもが親とはぐれて泣いている。昼の市で溢れていた広場が、一瞬で混乱の渦に変わった。


 「発着塔に入れる高度じゃないです。このままじゃ街に──」


 「広場に落とすしかない」


 アルバートはすでに動いていた。酒瓶を石畳に置き──置いた、というより投げた、に近い動作だった──発着塔へ向かって走る。大股おおまたの、無駄のない走りだった。普段のだらしないたたずまいとは、まるで別の生き物のような動きだった。


 「ゼフィル、広場の人間を水路側へ逃がせ。俺は発着塔に上がる」


 「了解です!」


 二人は別れた。ゼフィルは人混みに飛び込み、声を張り上げながら立ち止まっている人々を押し動かす。泣いている子どもの手を引いて母親のもとへ連れていき、動けない老人の腕を取って水路側へ誘導する。小柄な体格が人混みの中を縫うように動き、怒鳴り声と泣き声と警報音が混ざり合う広場を、一人でかき分けていく。


 その頃、発着塔の管制室にアルバートが飛び込んできた。


 管制士たちが一斉に振り返る。管制長が怒鳴った。


 「何者だ、ここは関係者以外──」


 「誘導信号の制御盤はどれだ」


 声の質が変わっていた。怒鳴ったわけでも、凄んだわけでもない。ただ一度だけ、静かに繰り返した。しかしその声には、長年甲板の上で嵐と竜と戦ってきた男の、反論を許さない何かが宿っていた。管制長は一瞬だけ口をつぐみ、それから制御盤を指差した。


 アルバートは制御盤の前に座り、指を走らせた。帝国軍の標準仕様。かつて自分が使い込んだものと、基本設計は変わっていない。誘導信号の周波数を落下中の艇に合わせ、着艇ポイントを広場の中央、水路から最も遠い石畳の一角に設定する。


 「出力を上げるな。艇の推進装置はもう限界だ。引っ張りすぎると空中で止まる」


 「し、しかし、あの速度では衝撃が──」


 「石畳なら艇は耐える。人間が広場から出ていれば死者は出ない」


 管制士の一人が窓の外を見た。広場が、急速に空になっていく。小柄な金髪の青年が、残った人々を水路側へ押し出しているのだ。


 「……ひ、広場が空になっています」


 「ならやれる、だろ?」


 アルバートは信号を送り続けた。その指は迷わない。計器の数値を読みながら、落下する艇の速度と角度を脳内で計算し、信号の強度を微調整する。窓の外では艇がみるみる大きくなっていく。黒煙が濃くなり、石畳に影が落ち始めた。


 一方。艇の中では少女が死に物狂いで操舵桿そうだかんを握っていた。左腕は満足に動かず、右腕だけで制御を試みているが、推進装置の出力が不規則に跳ね上がるたびに機体が大きく揺れ、操舵桿が腕ごと持っていかれそうになる。計器はほぼ全滅していた。生きているのは高度計と、通信装置の受信機だけだ。そこへ、誘導信号が入ってきた。


「え、なに。これ、どこから」


 ヴェルタ港湾管制からの信号ではなかった。周波数が違う。発着塔の標準信号より低く、しかし妙に安定していた。まるで嵐の中で灯台の光を見つけたような、不思議な確かさがあった。少女は信号に従った。他に選択肢がなかった、というより、その信号を信じたかった。理由はわからない。ただ、その信号には、迷いがなかったからだ。。


 機体が軌道を修正する。左右の揺れが、わずかに収まった。高度が下がる。石畳が見えてくる。広場だ。人がいない。


 推進装置が、最後の悲鳴を上げた。


 衝撃は、広場全体に響いた。石畳が割れ、砂埃が舞い上がる。艇の外装が広場を削りながら滑り、水路の縁まで数メルリを残したところで、ようやく止まった。広場に静寂が落ちた。遠くで、誰かが息を呑む音がした。


 それから、ハッチが開いた。


 出てきたのは、少女だった。帝国軍の騎士服は、焼け焦げと血と油で原型を留めていない。長い黒髪は半分焼け、残った部分も乱れ切っている。左腕をかばいながら右腕だけで体を支え、ハッチの縁に体重を預けながら外へ出てきた。足が地面についた瞬間、膝が折れた。


 アルバートは管制室を出た瞬間からすでに歩いていた。倒れる前に間に合うか、と視線で測り、歩調を上げる。その時、少女が顔を上げた。焦げた髪の隙間から覗く目が、アルバートを捉えた。何かを探すような、それでいて探し当てたような目だった。意識が飛ぶ寸前の目が、それでも真っ直ぐにアルバートを見ていた。


 「……助けてください」


 かすれた声だった。


 「帝国が、竜を……竜を、狂わせる兵器を作って──」


 そこで力が尽きた。アルバートが一歩踏み出し、倒れる前に少女の右腕を支えた。ゼフィルが後ろから駆け寄ってくる足音が聞こえた。


 「アルさん、怪我は──」


 「意識はあるようだ。左腕と熱傷ねっしょうがひどいが、命に関わる傷じゃないね」


 少女の目が、かすかに動いた。意識の最後の欠片が、アルバートの顔を認識しようとしている。しかし次の言葉を紡ぐ前に、その目が閉じた。


 アルバートは少女を抱え、立ち上がり、空を見上げた。南の空が、赤く染まり始めていた。夕焼けではない。遠く、はるか南の空の果てに、複数の影が動いていた。翼の形をした、大きな影が。一つではない。数えるまでもなく、一つではなかった。


 ゼフィルが隣に並び、南の空を見た。しばらく、黙っていた。


 「……アルさん」


 「なんだい」


 「竜ですよね、あれ」


 「残念だが、そうだみたいだね……」


 「群れてますよね」


 「そうだね」


 「もしかしてですけど……こっちに向かって来るとか、ありますかね」


 「…………そうかも知れない」


 ゼフィルはもう一度南の空を見た。影の数が、見ている間にも増えていた。


 「……せっかくいい買い出し日和だったのに」


 アルバートは少し目を細めた。


 「珍しいこと言うね。どこで覚えたんだい、そういう言い方」


 「うつりました。アルさんの影響ですよ」


 「おっと、そりゃあ悪い影響だね」



 アルバートは少女を抱えたまま、発着塔へと歩き始めた。その目は南の空から離れなかった。隻眼が、群れる影の数を、風の向きを、距離を、静かに測っている。眼帯の下で、何かが動いた。今度はゼフィルも、見間違いではないと思った。


 「すぐに出立できるだけの準備をしておいてくれ。どうやら、でっかい嵐が来そうだよ」


 「……了解です」


 ゼフィルは発着塔へ走りながら、もう一度だけ南の空を振り返った。影の数が、また増えていた。


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