はじまりに一杯のコーヒーを 〜上級悪魔は、私にもう一度笑う理由をくれた〜

長良リコ

プロローグ

「これはなんだ? 随分香ばしい香りがするが」

「コーヒーといいます、名も知らない堕天使さん」

 そう言って、私はコーヒーの入ったカップを彼に手渡した。天界での戦いで傷ついた、おそらく純白だったろう翼は今や薄汚れぼろぼろになっている。長い黒髪もぼさぼさになっていて、体もあちこち傷を負い、顔も黒くくすんでひどい有様だった。ただその瞳は美しい海を思わせる深い青い瞳だった。

「魔界のものを口にすれば、悪魔になるという。それくらいならこのまま朽ち果てたほうがましだ」

 意固地になる彼に、私はその場で自分のコーヒーを一口、飲んで見せた。

「私、下級悪魔なんです。だから、こうして人間の魂じゃなく食べ物で日々をつないでます。元天使だったあなたには悪魔として生きるのは恥ずべきことかもしれませんが、食べ物でしのいでいくこともできますよ」

「……そうか」

「それに、なんとなくあなたにはこのまま消えてほしくない。なぜなら――」

 言葉を紡ぐと、堕天使は黙ったまま私の淹れたコーヒーを一口飲んだ。

「うん、美味いな」

 そう言って満面の笑みをこぼした堕天使の翼は、黒く染まってゆく。




「エリィ! いつまで寝てるのヨォ!」

 扉が乱暴にノックされる音がして、エリィは飛び起きた。早朝というのにマギーさんは容赦がない。

「はひぃ!! ごめんなさい!!」

 あぁ、ずいぶん昔の夢を見たとエリィはしばし物思いにふける。あの堕天使はどうなっただろうか。もう300年も前の話だが。あの青い瞳は今でも忘れられない。

「こら、まだ身支度終わらないのォ?」

「すみません、すぐに終えます」

 オネェのマギーさんのカフェに住み込みで働くようになって、はや3か月。相変わらず仕事はできないけれど、私の淹れるコーヒーのおかげでカフェの評判は徐々に上がっている。おかげでマギーさんには見捨てられずに済んでいた。

「ほら、早く朝食すませちゃうわよ。来なけりゃアンタの分まで食べちゃうからね」

「そ、それは嫌です」

 やっとエプロン姿になった私は、部屋を飛び出した。その日、300年前の青い瞳と再会するとも知らずに。

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