永遠のいつか
@Koizumi0303
第1話 部室で見つけた映像
放課後の部室は、西日に照らされた埃がゆっくりと躍っていた。窓を完全に遮光し、映写機から放たれる青白い光だけが、壁のスクリーンを震わせている。
「言えない秘密は誰にだってある。その秘密が暴かれることで、傷つく人がいて、壊れてしまう関係だってある」
スピーカーから漏れるのは、掠れた男の子の声だった。
画面は、漆黒。映像はすでに途切れているのに、音声だけが重く、湿度を伴って空間に沈殿していく。
「俺がしたことはきっと正しくない。自分のことに精一杯で、人の気持ちを考える余裕もなくて……気がつくと、大切な人に刃を向けてた」
乱れた呼吸。嗚咽を堪えるような、震える声。
最後に、消え入りそうな呟きが響いた。
「いつか、ごめん」
ガチャ、と無機質な音がして、扉が開いた。
暴力的なまでの午後の光が差し込み、村瀬は目を細めた。彼女は手元にあるリモコンのスイッチを押し、プロジェクターの息の根を止める。
「何見てんの? お菓子買ってきたけど」
能天気な声とともに現れたのは、柏木だった。
村瀬は答えず、机に置いてあった一枚のDVDを手に取った。盤面には、マジックで無造作に『いつか』とだけ書かれている。彼女はそれを、柏木の鼻先に突き出した。
「何これ、いつの?」
「部室を片付けてたら出てきたの。裏に二〇二〇年十一月四日って書いてある。六年前の映研部員が撮ったものだと思う」
「え、どんなんだった? 最後まで見たのか?」
柏木の問いに、村瀬はすぐには答えなかった。視線を落とし、わずかに唇を噛む。
「……うん」
「なんだよ、その暗い返事」
村瀬は小さく息をつき、今見たばかりの光景を記憶の底から掬い上げた。
「この学校の制服を着た女の子が、海辺を歩いている映像。でもね、その子の表情が全然掴めないの。笑ってるのか、悲しんでいるのか、何を考えているのか……。最初はよくある思い出ビデオかと思った。でも最後に、あの真っ暗な画面で、男の子の声だけが流れるの。あれは、誰かに向けた謝罪なんだと思う。本当に苦しそうに喋るから、聞いてるこっちまで、胸が締め付けられるっていうか……」
柏木はしばし沈黙し、村瀬の手にあるDVDを見つめた。
「そっか。とりあえず、俺にも見せてよ」
村瀬は再びプロジェクターを起動させた。
ファンの回る低い音が部室に響き、再び青白い光がスクリーンを埋める。
画面の中、一人の少女が無表情で海辺を歩いていた。冬に近いのか、風が彼女の髪を激しく乱している。少女はやがてカメラのレンズを覗き込むように近づき、何かを話し始めた。
けれど、映像に音声はついていない。
海を、街を、彼女がただ散策する映像が十分ほど続いた後、画面は唐突に、あの深い闇に包まれた。
――謝罪の言葉が、部室を満たす。
上映が終わったとき、室内は静まり返っていた。村瀬が隣を見ると、柏木は目元を赤くし、頬を濡らしていた。
「……なんで泣いてんの」
「……なんか、最後の気持ち、分かるなと思って」
柏木は鼻をすすり、吸い寄せられるようにDVDを手に取った。
「どうした?」
「この男子が言ってること、この女の子に向けたことなんじゃないかな」
「確かに、そうかもね」
柏木の視線が鋭くなる。彼はDVDに刻まれた『いつか』という文字を指でなぞった。
「だとしたらさ、このDVDがまだ部室にあるってことは、この言葉はずっと……女の子に届いてないことになるよな」
「そうだけど……え? まさか」
村瀬の予感は的中した。柏木は顔を上げ、確信に満ちた目で言った。
「これ、この女の子に渡そう」
「名前も知らないこの人に、どうやって渡すのよ」
「同じ制服だったんだ、卒業生だろ。だったら、卒業アルバムに載ってるはずだ」
柏木は迷いなく踵を返すと、扉の取手を握った。
「どこ行くの?」
「図書室! 司書さんに事情を話せば、見せてくれると思う!」
疾風のように部室を飛び出していく背中を見送りながら、村瀬はやれやれと肩をすくめた。
柏木晴光の、呆れるほどに豊かな感情。その奔流に巻き込まれるのは、決まって自分なのだ。村瀬は観念したように、彼の後を追って廊下へ走り出した。
「いた!」
静寂の満ちる図書室に、柏木の鋭い声が響き渡った。
村瀬は即座に立ち上がり、柏木の袖を掴んで椅子へと引き戻した。人差し指を唇に当て、鬼のような形相で「しーっ!」と制する。
「……私たちの卒アル制作の参考にしたいから見せてって、司書さんに嘘ついてんだから黙れ」
「すみません……」
低く鋭い村瀬の囁きに、柏木は縮こまって頭を下げた。
二人の視線が、机に広げられた古い卒業アルバムへと戻る。そこには、あの映像の中にいた少女がいた。白黒に近い質感のなかで、彼女だけが切り取られたような静謐さを纏っている。
写真の下には、整ったフォントでその名が記されていた。
『霧島いつか』
「いつかって、名前だったんだ……」
柏木がその響きを確かめるように呟く。DVDの盤面に書かれた文字が、ただの記号から「誰かの人生」へと変わった瞬間だった。
「で? 見つけたものの、これからどうすんのよ」
村瀬の現実的な問いに、柏木は顔を上げた。瞳にはすでに次の目的が宿っている。
「先生たちに片っ端から聞き込みするぞ! 霧島いつかを知ってる人がいないか……」
「ちょっ、だから声が大きいってば」
慌てる村瀬の背後で、椅子が引かれる乾いた音がした。
少し離れた机で本を読んでいた一人の男子生徒が立ち上がり、こちらへ向かってくる。少し冷ややかな空気を纏ったその生徒は、柏木たちの前で足を止めた。
「ここ図書室なんで。静かにしてください」
淡々とした、けれど拒絶の入り混じった声。
「ごめんね。ほら、柏木も謝って」
村瀬が促すと、柏木は素直に「悪い」と手を合わせた。
その時だ。男子生徒の視線が、机の上に広げられたアルバムのページ――霧島いつかの顔写真へと落ちた。
一瞬、ほんの一瞬だけ、彼の眉がぴくりと跳ね、瞳に動揺の色が走る。
柏木はその変化を見逃さなかった。
「……もしかして君、霧島いつかさんのこと、知ってるの?」
射抜くような柏木の問いに、少年は即座に首を振った。
「いえ、知らないです」
「本当に?」
「おい、柏木。しつこいぞ」
村瀬が窘めるが、柏木は引かなかった。むしろ楽しげに目を細め、少年の顔をじっと覗き込む。
「君、名前なんていうの?」
「……教えないといけないですか」
「ごめんね、この人こういう性格なの」
村瀬がフォローを入れるが、柏木はさらに畳み掛ける。
「うん、教えてよ。じゃないと君の名前を知るために、また校内で聞き込みしちゃうからさ」
少年の顔に、隠しきれない辟易とした色が浮かんだ。
「映像研って、探偵か何かなんですか?」
「へぇ、俺のこと知ってんだ」
「『変な先輩がいる』って一年生の間でも有名ですよ」
柏木は「なるほど」と満足げに腕を組んだ。
「しょうがないな、教えてくれないなら……」
柏木がわざとらしく腰を浮かせ、聞き込みに立ち上がろうとする素振りを見せる。少年は深いため息を一つ吐き、諦めたように口を開いた。
「……松井とわです」
その名を聞いた柏木は、満足げに破顔した。
「とわ、か。いい名前だな。その髪の色、似合ってんね」
松井と呼ばれた少年は、自身の少し明るい髪色に触れられると、不機嫌そうに顔を背けた。
「……揶揄うなら、もういいですか」
「でも、本当は気になることあるんじゃないの?」
「ないです」
拒絶の言葉を最後に、松井は逃げるように図書室を後にした。その背中が完全に消えるまで、柏木は楽しそうにそれを見送っていた。
「柏木、完全に松井くんにロックオンだね……」
村瀬の声には、呆れと同時に同情が混じっている。
「あの髪の色、似合ってたな」
柏木はもう一度独り言のように繰り返した。その視線は、再びアルバムの中の『霧島いつか』へと戻される。
「松井くん、可哀想に。運が悪かったわね……」
村瀬は溜息をつきながら、再びカバンから筆記用具を取り出した。これから始まるであろう柏木の「暴走」に、自分もまた、どこまでも付き合わされることになるのだと、半ば確信していた。
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